今回のカミーノ旅の主要動機である2つの映画
『星の旅人たち』と『サン・ジャックへの道』について。
まずは『星の旅人たち』。
『星の旅人たち』
原題:The Way
監督:エミリオ・エステベス
出演:マーティン・シーン、エミリオ・エステベス
制作:2010年
カリフォルニアで眼科医をしているトムは、ある日息子のダニエルの訃報を受け取る。旅が好きで大学を中退した息子が、ピレネー山脈で嵐に遭遇して命を落としたのだ。トムは遺体を引き取りに現地に向かうが、遺品を眺め、生前の会話を思いだすうち、ダニエルが歩もうとした聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼路を、息子の遺灰とともに歩くことを決心する。
原題はThe Way。
まんまですね。道。
息子の遺体を引き取りに向かった場所はサン=ジャン(・ピエ・ド・ポー)。カミーノ・デ・サンティアゴの出発地。前回も書いた通り、出発してすぐにピレネー越えがあり、ダニエルは不運にもそこで嵐に遭遇し命を落としてしまうのですね。
妻の死後疎遠になり、生前は衝突もあった、大学を中退し旅に出るという希望を理解できなかった、そんな息子の遺品であるバックパックを背負いトムはその道を歩くことにします。
前回、号泣した、と書きましたけど、書いときながらなんですけど、まだ観てない方がいらっしゃるなら、この記事読まなくていいから、まず観てと、と言いたい。まっさらな状態でみてほしい。
なぜならどんでん返しがある類の話だから
ではなく、逆にベタな話だから。
上記予告なんてほぼ全部言うとりますやんレベル。
まあでもしょうがない。
だって「道」ですから。基本、道を歩くだけの話。その動機と、行程と、出会う人々と、それに伴い心に移りゆくよしなしごとあるいは非よしなしごとの話。
極めてシンプル。起きることは大体予想がつくしそこから大きくはみだすこともない。
それでも、胸にくるものがあるのは、父と子というドラマがあるせいも大きいですけど、実際そこ涙腺直撃ですけれど、道を歩くこの映画を観ている人にも、観すすめるうち道を歩く時に起こる作用が起きるんじゃないか。
なんてね。
俳優でもある監督エミリオ・エステベスの演出もでかしたエミリオ・エステベス(なぜかフルネームでしか呼べない)なんですけど、実父マーティン・シーンが演じた主人公トムがね、またなんともよいのですよね。だしエミリオ・エステベス本人が演じた息子ダニエルもいい。
エミリオ・エステベス、最近は俳優としての活動を聞きませんが、かつてはヤングガンなど主役もあったものの、メインキャラ数人の一人だったり脇役だったり当時スターだった弟チャーリー・シーンの影に隠れていた印象があります。
お父さんのマーティン・シーンも、地獄の黙示録という大作のイメージが強いわりに気づけばB級な映画にも出ていたりして、いつのまにか、脇のイメージが定着していて、でもそのあたりの家族の経済事情が、DVD特典のメイキングで、二人の口から語られています。
マーティン・シーン本人は、良い役がまわってくるのが減ってきていたこと、小さい役でも重要な役の方が好ましいこと、演技を可能なかぎりつづけていたいという思い。その中で息子が自分のためにこの役を書いてくれ、喜んで演じたということ。その正直さに心を打たれたりもして。
エミリオ・エステベスもまた、俳優としての父親を称賛しつつ、家族を養うために父がB級映画に出ていたことを語り。
映画の中のトーマスの多くを語らないありかた。マーティン・シーンの人柄そのものなのらしい。
トムの役をやりたがる大物俳優もいたといいます。でも、実際の父子という関係性も大きいでしょうがこのふたりくらいの存在感が(というと失礼だけど)、映画の実直な空気ととてもマッチしていて、これが別の大物俳優だったり、あるいは弟チャーリーシーンだったら絶対その空気は醸し出せなかったような気がする。
きれいな顔をしているけれど弟に押され気味な兄俳優というイメージだったエミリオ・エステベスと、いつのまにか低迷俳優の位置づけにおいてしまっていたマーティン・シーンに対する自分の中の好感度が、この映画によって、さらにメイキングをみたことで、急上昇し、この親子がなんだかとても好きになってしまいました。
なんだかとりとめもなくなってしまいました。
話を戻しまして、あと音楽もいい。4人の同行者との絡みもちょうどいい。
オランダ人の食いしん坊ヨスト、カナダ人の冷め系女性サラ、アイルランド人の作家ジャック。寡黙で多くを語ろうとしないトーマスに対しとまどったりしながらもそれぞれに寄り添う。トーマスもまた、各所で息子の存在を感じなからそんな3人と打ち解けていく。
トムをサンジャンで迎えた警部は、息子はなぜここに、と問われ、経歴も信仰も世代も異なる人々が歩くサンティアゴまでの巡礼路を辿るつもりだったと答えます。
このように、人々が、宗教上の理由だけではなく、さまざまな動機で歩くために来ていることをはじめ、聖ヤコブや巡礼証明書などの説明もさりげなく必要十分になされており、このような巡礼路があるということを、この映画で初めて知ったという人でもなんたるかがざっくりわかるようになっています。
大作ではないけれど、確実に一定の人々の心に残る良作であり、映画が旅にでるきっかけになるとしたらこれも間違いなくそういう映画のひとつなのではないかと思います。
長くなってしまったので『サン・ジャックへの道』については次に。
p.s.
まあ、弟は、その後勝手にイロモノ枠に入ってっちゃった感あるんだけど。いろいろと大変そうですが弟もがんばって。