本記事の文体:常体(だ・である)
『百年の孤独』が文庫化されたけど世界はまだ続いているようだ。
インドに戻ってきて数日後、ヒンディ語学校で出会い今年からデリーで働き始めた友人が、あずかっていた荷物を取りに来た。
コーヒーを飲みながら5月からの互いの状況を語る中で、一時帰国のあいだに読んだ本の話になり、最近文庫化されたガルシア・マルケスの『百年の孤独』の話題になった。
聞けば友人は、図書館で『バガヴァットギーター』と『百年の孤独』を借り、『百年の孤独』がすごくおもしろくて『バガヴァットギーター』を読む時間がなくなりそのまま返しちゃった、という。
「文庫化を知ってこっちに持って帰りたかったけど、発売日の前で」
残念ながらそれは私も同じで、文庫発売日の前にインドに戻ってきたため手元にはない。ハードカバーは自宅に置いてきてある。文庫、欲しい。けど次回の帰国まで市場にまだ残っているだろうか。買って実家に送っておいたほうがいいかしら。
この本が文庫化されるとは私も思っていなかった。し、本や読書をメインで追っている某SNSでの最近のにぎわいをみて正直驚いてもいる。あのにぎわいが昔からの読者と文庫化により興味をもった新たな層の両方で構成されているとしても、そしてそれは私が選んで作り上げたタイムラインだけで起きていて外界ではあいかわらず知らない層があふれているのだとしても、それでもこのにぎわいをみると、わあんみんなどこに隠れていたんだよう、なんて大手をあげてとびこんでいきたくなる。実際はコミュ障なんで遠巻きにみてるだけだけど。←
そして、マコンドを旅していたときに出会ったオランダ人に「日本ではガボは有名?」と聞かれて、「うーんどうだろう、好きな人は好きだろうけど」なんて無責任に答えた過去を思い出して、冷や汗をかくなどしている。
物語に出てくる架空都市マコンドのモデルといわれるアラカタカを旅したのは14年前。長期の世界旅をしている途中で、あの頃もすでに映画や本に関連する地を巡るなどしていて、とりわけコロンビアはその点において太字と下線の国だった。理由はいわずもがなガルシア・マルケスだ。
『百年の孤独』を読んだのは大昔なので、今となっては具体的に挙げられる感想は多くはない。けれど、あの日常と非日常が何食わぬ顔して隣り合っている道を辿る楽しみ、長い長い歴史につきそっていったあとでしか味わえない最後の瞬間に対する諸行無常の感と清々しさと長引く余韻には降参するしかなかった。旅の強い動機になるには十分だった。
当時のコロンビアはまだまだ危ない国という印象が強かったし、情報を得る手段も少なく、緊張ぎみの入国だった。けれどふたをあけてみれば旅は不思議なほどうまくまわり、各都市の独特な雰囲気に魅せられ、コロンビアは50ヶ国以上旅してきた中でも五本指に入る好きな国となった。
旅しているあいだ物語の世界を旅しているような錯覚にとらわれていた。ガルシアマルケスに限らず南米文学に触れてきた自分のフィルターのせいもあるだろうけれど、カルタヘナから入国して、首都ボゴタ、モンポス、アラカタカ、メデジンと1ヶ月旅したあとの感想は、ここはやはりマジックリアリズムの国だ、だった。
旅語りはこれくらいにして、実はカルナタカを旅した当時の記録は、旅当時に書いていたレガシーブログにまだ残っていたりします。向こうに写真を多く乗せているので興味があるかたはよかったら。
ついでに、『予告された殺人の記録』の舞台モンポスに関する記事も。
あと、もっとコロンビアの旅を読みたいわんという奇特な方がいらっしゃいましたら、とっくに新刊では買えなくなってますが、2014年に出した本もあったりします。調子にのんな。
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コネもなにもない人間が旅の本を商業出版するまでの話。
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以下はその世界一周レガシーブログで『イングリッシュマン イン コロンビア』というタイトルで一度挙げていて、本出版の際に引っ込めたモンポスからアラカタカまでの道中を書いた記事。本からも省いたし、旅の空気が少しでも伝わるといいなと思い、ここに救済することにした。
イングリッシュマンというのはモンポスで泊まった宿の若いオーナー。ガルシア・マルケスよりバルガス・リョサが好きな人だった。この旅をしていたのは2010年で、その年にバルガス・リョサはノーベル賞を受賞しており、当時モンポスの宿でもそのことが話題に出ていた。でも赤面しながら白状すれば、その頃の私はいっぱしの南米文学好きを語りながらリョサを知らず、へええ、という生返事であった。
そんな自分がまさか10年後にリョサ派に寝返るとは…………(遠い目)。
いや寝返ってはいない、いないよ、でもね、でも、リョサの物語る力に恋してしまったんだよ…憧れの先輩を好きだと思っていたらガチ恋の相手に出会ってしまったんよ…
この話はすると長くなるしこの記事はガボの話をするために書き始めたものなのでこのへんで自主規制します。それに『百年の孤独』が私に激烈な読書体験と読後を与えてくれた本であることに変わりないので。
いずれにせよ、南米は、物語という点においてこのうえなくパワフルな語り部たちを配した大陸であることだけは間違いないと思います。
モンポスの次はアラカタカと決めていたので、モンポスに着いた時から行き方を探していた。
船着き場でビールをおごってくれたおじさまは、モンポスからバランキージャ(Balanguilla)までは直行バスがある(4時間)、そこからサンタマルタ(1時間)、サンタマルタからアラカタカ(1時間)とコレクティーボを乗り継ぐ行けばいいと教えてくれた。
なるほど、行けなくはないんだな、という感触を持ってモンポスに到着、La Casa Amarillaの掲示板にカルタヘナ、サンタマルタ、ボゴタなど、コロンビアの各所への移動手段を載せたリーフレットを見つけた。ただアラカタカは小さい町だからかさすがに乗っていない。リチャードにたずねてみると、サンタマルタ行きのバス(実際はコレクティーボ並みのバン)を途中下車すればいい、という。途中下車かあ、とためらっていると、リチャードもアラカタカに行く用事があり、偶然にも同じ日だという。それならと予約をお願いした。
当日。午前3時起床。5時に宿の前に迎えにきたバンに乗り込んだ。
モンポスからアラカタカまでの金額は60000cop。途中下車にもかかわらず終点サンタマルタまでと同じ値段なのは、その小さいモンポスのバス会社のおばちゃんマネージャーが、リチャードいわくnasty(やなヤツ)だから。
電話で予約する際に、途中のアラカタカで私をおろしてほしいと伝えると、途中下車にもかかわらず15000copを上乗せしてきたんだそうだ。なのでサンタマルタまでということにして、乗ったあとで運転手と交渉しようと思ったのらしい。
けれど、いざ乗ってみるとおばちゃんも同乗していて、なかなか降りる気配がなく、可動式の橋を渡ってモンポスを出たところでようやく下車、そこで集金となった。おばちゃんとリチャードがなにか言い争っているので、その時点では事情を知らなかった私は、もめてるなあと他人ごとのようにみていたのだけど、もう一度交渉を試みてくれていたのらしい。だけど決裂、「・・・というわけなんだごめん」と説明され、おばちゃんに60000copを手渡した。言わなければ私はわからなかったのに。
おばちゃんは、ご丁寧にも、私がアラカタカ途中下車するんなら上乗せ分15000copももらうようにと運転手に釘をさしていたらしい。だけど、これは8000copに値切り成功。そしてそれを払ってくれてしまった。リチャードはモンポス→アラカタカ途中下車オーケーで55000だったから、という。このへんの事情はよくわからない。モンポスの者とよそものということなのかもしれない。だけどそれだって言わなければわからなかったのに。
おばちゃんとの一件が尾を引いたのか、そのあとも車がエンストして、と思ったら実はガス欠で、という状況に「ありえない」と怒っていたリチャードだけど、そろそろアラカタカという時点で短い休憩となった時に、しぼりたてのみかんジュースを飲みながら少しだけゆっくり話ができた。
もともと大学で南米文学を専攻していたのだという。ちなみにガルシア・マルケスよりバルガス・リョサ派(「ノーベル賞をとったバルガス・リョサ」と言っていたので、そうなんだ~とあとから調べたら2010年の受賞だった。知らなかったのでスルーしちゃったけどホットな話題だったんだ)。ともかく、卒業後はジャーナリストとなり、南米をまわるうちコロンビアが気に入りいつのまにか定住。モンポスはガールフレンドの家族の故郷で、3年前にホステルを始めた。今は、半年ボゴタで彼女と生活、半年モンポスで宿を経営という生活。モンポスを留守中は、ガールフレンドのお母さんがホステルを見ていてくれてるらしい。話ぶりからすごく頼りにしている様子がうかがえた。「イギリスに帰ってももう居場所はないし、ここにいたら自分が自分のボスだ、そういう生活は悪くないだろ」
その後、少しばかり走ってやっとアラカタカに到着。
と思いきや、ポイとおろされた場所はなんにもないただの道路。
まさかアラカタカはやっぱり架空の
なんてことはなく、はかったようなタイミングで登場したバイクタクシーをリチャードが停めた。「もうすぐだよ」。えええ、これに乗れと。バックパック背負って? 「歩いていってもいいよ。僕は乗ってくけどね」ニヤリ。乗るよぅ、乗ればいいんでしょう。
重心が後ろに傾かないようハラハラしながら何分走っただろうか。 気づくと私たちはGabriel Garcia Marquez museoとかかれた建物の門の前にいた。
リチャードは、前回来た時にメモしておいたという宿の名前を教えてくれ、その宿の場所を博物館の人に確認してくれた。数時間はここにいるからもし何かあったら来て、というリチャードにお礼をいい、私たちは握手をしてわかれた。