パターソンとE.T.とタカノさんのこと。

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問わず語り

 

昨日の記事からマッチつながりで。

映画『パターソン』にも「オハイオ・ブルーチップ・マッチィズ」という印象的なマッチが出てくる。このマッチの描写だけで世界観が伝わるとても好きな映画だ。

 

が、今日はその感想ではなく、パターソンを観た日に触発されてツイッターに連投した(←迷惑)思い出話をここに救済しておこうかと。

以下、ツイート時に省略した部分も含めて加筆修正したもの。

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旅をしていた頃、宿泊した某国の日本人宿でとある年代の人たちが「自分たちは『グーニーズ』世代!」と盛り上がっていて、なるほどそういう括りかたもあるのね、それなら私は『E.T.』世代だなと思った。

E.T.が公開された頃は、アメリカの映画産業にまだ夢を見せる力があった。ハリウッドは全盛期で、独特の興奮を与えてくれていた。E.T.はその最たるもので、リアルタイムの熱は相当だったように記憶するのだけど、でもそれは私が子供だったからよけいに何もかもが新しく、正面からまともにくらったせいもあるかもしれない。

いいな、M&M’sのチョコをあんなにわしづかみできるほど食べられて、こっちは8文字型の銀プラに入ったチョコをぷちぷちと大事にせせこましく食べてますけども、なんていう感想に始まり、ピザも、子供部屋も、音楽も、物語も、何から何まで自分の世界とは桁が違っていた。おざなりな表現だけど映画館に別世界がひろがっていた。圧倒された。まさに映画体験だった。たった一回の観賞だけど、E.T.に夢中になった。結果、観賞後に「これは自分の映画」感を抱えることになる。

でもそれは私だけではなかったようだった。

ある日、席が近かったとかでたまたまそういう話になったのか、きっかけは忘れたけれど、クラスの中でそこまで仲良いわけではなかったタカノさん(仮名)の家に遊びに行くことになった。

そして、小さい部屋の中で、彼女のE.T.に対する熱い想いを延々聞かされることになる。想いなんていう生易しいものではなく、見えない友達がそばにいるかのような臨場感と恍惚感があった。なんならもうエリオットと同化していた。「わたし、7回みたから」。

その時点で私の「これは自分の映画」感は消し飛んでいた。そっか、じゃあしょうがないなと思った。E.T.はタカノさんにゆずろう、となった。何がしょうがないのだか、そもそも日本の片隅で、その日、自分の譲渡が勝手に行われたことをE.T.は知る由もないだろう。いや、E.T.だけに知ってるかもしれないけど。

タカノさんはクラスでもおとなしい目立たない女の子で、人は話してみないとわからないものだな、と思った。けれど、なにしろそこまで仲良くはないので、交友は自然に途絶えるものに思えた。でもそれから数日後、タカノさんが教室で小さなノートをそっと見せてくれた時に、E.T.譲渡時より大きい衝撃を受けることになる。

それは詩のノートだった。それまでは詩は教科書に載っているものくらいに思っていたし、教室で書かされることはあっても、自分で書くものという感覚がなかった。あ、詩って自分で書いていいんだ。

でもそれも、タカノさんの言葉が刺さらなければそこで終わりだったかもしれない。タカノさんの詩は何かがちょっと違っていた。素直でありながら直接的な言葉を使っていなかった。悪い意味ではなくちりっとひっかかる表現があって、そのひっかかりにやられた。その一文だけでノックアウトだった。

その詩を覚えていないのが悔やまれるけれど、私が詩を書き始めたのは間違いなくこれがきっかけだった。でもまあ自分に関してはやがて、・・・才能ねーな、というところに落ち着く。

けど読むのは今でも嫌いじゃない。詩は、ポエマーなどといって揶揄されるところはあるけれども、それは短いから誰でもとっかかりやすい、から玉石混合具合半端ないゆえのマイナス反応もあるだろう。特に詩にあまり触れてこなかった人は、詩はそういうものというイメージがあるのじゃないか。

でも感性のある人の言葉のセンスはやはりすごい。言葉というシンプルなツールを右や左に置き換えて特別な形を作る力。世界をみつめ、削いだ形で落とし込む才能。あれらを生み出すには、外側に向かっておしゃべりであるよりは、どうしたって内側に地下室の書斎のような小部屋を持つ性質になってしまうだろう。

というようなことを、パターソンをみながら思い出していた。

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パターソン→詩→タカノさん、タカノさんといえばE.T.という風に逆走する形で思い出した話でした。

とほ