その後のモンステラ。

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問わず語り

順調に育っている。こうなるとかわいくてしょうがない。

緑の指がなくたって。
緑の指を持っていない。俗にいうサボテンも枯らす人である。実際俗に言うかは知らないが、実際サボテンさえも枯らしてきた。 ...

長い間、さまざまな植物を枯らしてきた私だけれど、ついに緑の指の持ち手になったと宣言してもいいかもしれない。と書いた先から、いや、本来モンステラは育てやすいらしいし、調子に乗るのはまだ早い、緑の赤ちゃん指くらいにしておこう、と謙虚な気持ちになった。

しかし、赤ちゃん指と言えば小指だ、小指で植物を育てるのはどうも頼りない。というか、緑の指ってそもそも何指なんだろう。脳内でとっさに親指が「わたしでは?」と名乗りを挙げたけど、親指は、親といいながら育てるという行為においては不器用すぎる。一本ではできることが限られている。せいぜい指紋を押し付けるくらいだ。植物を育てる状況下で指紋を押し付ける局面を思いつかない。親指は人差し指の補佐があって初めて力を発揮する。

では、実質的な緑の指は人差し指だろうか。一本で活躍できる指という点では人差し指の右に出るものはいない。いや、実際の右隣には中指がいるが。中指は、温和な仲裁派という体で、ムード作りにはいいけれど、実のところ存在意義は微妙である。といいつつ、なくては力が入らないので、目立たないながら重要なのかもしれない。そのさらに右隣の薬指は、葉の上をさっとなぞって「ホコリついてますね」と細かくチェックするという点で便利なような口うるさいだけのような。実際に葉を拭く場面では、人差し指と中指の協力なくしては心もとない小姑指。

とはいえ、植え替えたり、水やりをしたり、葉を拭いたり、総合的に考えるとやはり5本揃ってこそだ。掌だって何かとだいじだし。なら指じゃなくて手では。なぜ緑の指なんだろう、緑の手でいいのでは。

へりくつはこれくらいにして、この多肉植物も、なけなしの私の緑の指(もしくは手)で増殖可能だった植物の1つだ。増えすぎてちょっと困っているくらいだが、貴重な生き残り組なのでかわいくてしょうがない。冬の終わり頃についに花が咲いて、花が出るのは植物の生長的にいい兆しなのか悪い兆しなのかはともかく、かわいらしくて嬉しかったので、これを分けてくれた友人にラインで報告した。

で、その場を借りて、一緒にわけてもらった他の植物たちはすべて虹の橋を渡ってしまったことを告白した。気のいい友人は、花についてはとても喜んでくれ、虹の橋事案も絶妙にフォローしてくれたけど、そういうわけで、私が緑の指の持ち手を名乗るのはやはりまだ早いようだ。

とほ