5月26日 曇り(雨ぎりぎり逃れ)のち晴れ
サンティアゴ・デ・コンポステーラに着いた。
780km。34日目。荷物は最後まで11キロ。バックパックのトランスポーテーションサービスは使わず、バスは使わず、全行程歩ききった。全然使うのはありだと思っていたし、今もそう思ってるけど、真っ先に使いそうな自分がそれらなしで歩ききれたことは、やはりちょっと嬉しい。
朝暗いうちにサンティアゴ19キロ手前の町ペドロウゾを出発。もくもくと最初の10キロを歩く。朝食休憩を取ったあと、キャンプ施設のあるサンマルコス村を通り、サンティアゴの5キロ手前にあるモンテ・ド・ゴゾに到着。ここには、『サン・ジャックへの道』でも出てくるヨハネパウロ2世が訪れた記念に建てられたというモニュメントがある。サイードが、とある知らせを受け取る場面。
その後これもサンジャックで出てくる、大いびきドイツ人三人組に会ってしまい、ここに泊まるのはやめよう、と走って逃げる場面で使われた大収容所のようなアルベルゲを横目に通り過ぎ、このあたりにあるはずの『星の旅人たち』で出てきた大聖堂を指差す銅像も見つけられないままあっさりその区間を通り、そして。
モンテドゴゾを過ぎ丘から見えたサンティアゴに下って行くとき、「サンティアゴに入る」という言い方がぴったりだな、と思った。バックパックを背負い杖を持つ人々が次々にサンティアゴに入っていく。
朝食休憩を短くとったあとに急げば正午のミサまでに到着できそうな気がしてきたのもあって、サンジャックのアルベルゲ探検もホシノの銅像探しもうっちゃったところはあるのだけど、なんとか11時40分には大聖堂に着いたものの、知り合いにばったり会って写真撮ったりしているうちに時間が過ぎてしまい、今日のミサ出席はあきらめた。昨日到着した人の話では正午も夜も両方のミサでボタフメイロが焚かれたという。毎日焚かれるわけではないらしいので、自分が見られるかなにげにどきどきしているところ。ともかく。
その後、 巡礼事務所に向かい、二時間待ちでクレデンシャル(巡礼証明書)を受け取り、アルベルゲに荷物をおき、シャワーを浴びたりなんだりしたあと、待ち合わせの約束をしていた日本人sさんと会うために再びカテドラルの前へ。
レモンビールでまずは乾杯し、その後mさんからおすすめされたというレストランへ。19時半のオープン前には行列ができるほどの人気店だけあって、10ユーロとリーズナブルながら一皿目からデザートまでおいしい満足の店だった。
本当はmさんも一緒のはずだったのだけど、おうちの都合で今日の午後、帰国されてしまった。思い返すほどに人柄のいい人で、短い間ながら日本人四人での一緒歩きは楽しく、一番年長者のmさんが個人主義的な各人(笑、でもそれもまたよかったのだけど)をさりげなくひっぱってってくれていた。日本でお会いする約束をして別れたので再会を楽しみにしている。sさんとも別れがたかったけど、さすがに電池切れしてきたのもあり、明日フィステーラに向かう彼女に最後のブエンカミーノを言って別れ、少し遠くにある自分のアルベルゲに戻った。
そのアルベルゲ。だれも10時過ぎてもねていない。明日から歩かなくていいんだというのがとても不思議な気がする。
通りを歩いていてもバックパックを背負っている人は少なくなっていた。カテドラルの前ではおしゃれして記念撮影している人もいた。道をすれ違っても普通の旅行者と見分けがつかない。・・・ようで本当はあるんだけど、見分けるこつ。それは歩き方がおかしい人笑。
フィステーラ、ムシーアというサンティアゴの先の地まで歩を進める人も多く、厳密にはまだ巡礼が終わっていない人もいる。だけど、もう毎日暗がりで起きて荷物をまとめ、次々アルベルゲをあとにし、道中でブエンカミーノを交わし合う、そういう日々はもう終わってしまった。
しょっちゅうへろへろになっていたくせに、終わってみるとあっけない気もする。達成感や感慨深さもなくはないのだけど、今はどちらかというとあっけなさの方がうわまわっている。
出発地:ペドロウゾ(6:40出発)
到着地:サンティアゴ・デ・コンポステーラ(11:40)
歩行距離:19km
「星の旅人たちと行くサンジャックへの道」とは、巡礼路を歩くきっかけとなった『星の旅人たち』と『サンジャックへの道』という2つの映画タイトルを合体させた旅タイトル。センスがよろしいとはいえないこの映画タイトル合体旅タイトルはブログ主が得意とするところらしいという噂(前科あり)。時に、星の旅人たち=ホシノ、サンジャックへの道=サンジャで略すことあり。なお、ロケ地巡りという性質を含む行程である以上、関連場所を通過する際に映画の内容に触れることがあります(ネタバレ宣言参照)。ラストにどんでん返しがあるタイプの映画ではないですが、ネタバレ過敏症の方は注意。