『バジュランギおじさんと、小さな迷子』ロケ地巡り更新、続きです。
前回記事はこちら。↓

ただし、今回は「ちなんだ」話。
映画の中で母親とシャーヒダが超えるのは、ワガ(パキスタン側)とアターリー(インド側)間にある国境でした。それも列車で。列車であるゆえに、シャーヒダの声が出ないゆえに、引き別れが起きてしまう。
私が越えたのもこのワガ国境でした。ただし徒歩で。インドパキスタン間の陸路超えの王道ルートでもあるこの国境を歩いて渡り、そこからタクシーでラホールに向かいました。列車には乗っていないし映画の中に出てきた駅にも行ってません。というわけで、今回は映画にちなんでの単に自分の国境超え体験の話です。便乗ともいう。
2019年後半の旅の期間は9月中旬から2ヶ月。インドを主として、途中パキスタン、最後インドネシアの3カ国。パキスタンへは10日程度の予定でインドから往復、10月末のディワリをアムリトサルで過ごしたかったため、それまでにインドに戻ってこれるよう旅程を組んでいました。
そんなわけで、ブログ上では再びデリーからアムリトサルに戻りまして。
[往路]
前日夕方にアムリトサル入り。ホステルで一泊。
翌日9時過ぎ、宿からバスターミナルまで歩いて移動。
アターリーまで23番のバスで移動(35ルピー)。
バスを降りサイクルリキシャに乗り換え(20+5ルピー)。※1
インド側のイミグレで手続き。※2
無料のシャトルバスでパキスタン側のイミグレへ(無料)。
パキスタン側のイミグレで手続き。※3
アトラクションのような乗り物でタクシー乗り場へ移動(無料)。
ワガ国境からラホール市内にタクシーで移動(300パ・ルピー)。 ※4
2時過ぎ着。この日の移動はあきらめラホール一泊。
※1
アムリトサル市内からアターリーまではローカルバスで向かいました。小一時間で到着し、そこからサイクルリキシャに乗り換え。オートリキシャ(シェア?)で10ルピーで行けると聞いていたのですがオートは見当たらず、サイクルリキシャのお兄ちゃんと交渉して3kmほどの距離を20ルピーでのっけてってもらうことに。バス停を離れるとすぐに静けさが訪れました。サイクルリキシャを漕ぐ音だけが響く中、やがて遠くにインドの国旗、その奥にパキスタンの国旗が見えてきた時にはぐっとくるものがありました。確実に映画の影響だと思われます。インド映画ファンの皆様はご存知オブご存知と思いますが、インド映画特にボリウッド映画では、バジュランギおじさんに限らず印パ関係を題材とした映画が本当に多い。
※2
インド側のイミグレに到着し、敷地内に入る前に、日本人であることの証明として、質問を幾つかされました。そういう質問があるというのは参考にさせていただいたいくつかのブログから身構えてはおり、私の場合は、宗教は何か、日本のプレジデントは誰か、という二つでした。宗教に関しては、これは滞りなく、特段に信仰しているわけではないけどいつもそのように答える「仏教」と答えました。日本のプレジデントに関しては、「大統領じゃねーし!首相だし!」という部分を強調して無事通過。実はまさかの下の名前が出てこなくてごまかしたというのは内緒です。お父さんの名前しか思い出せなくなってマジで焦った。潜在意識の仕業かしら←?
出国手続きは滞りなく・・・と言いたいところですが、パスポートを見せると座って待つように言われ、しばらく待ってようやく呼ばれて結局とくに何もなく通過。待たされた理由はわからず。さらに通過後の荷物のセキュリティチェックで、係の人がまさかの(しかしあるあるの)ランチ休憩で、さらに1時間ロス。こういう時はどうしても、インドだよ・・・でたよ・・・とか思っちゃうよね。
※3
無料のバスに乗って移動。中でインド人家族からお菓子とりんごをもらう。数分程度でパキスタン側のイミグレ、毎日フラッグセレモニーが行われているワガ国境に到着。
パスポートを見せ、門を開けてもらってパキスタン側へ足を踏み入れる。島国出身であるせいなのか、皆そうであるのか、自らの足による陸路の国境超えは何度くりかえしても独特な感慨が沸き起こります。個人旅において好きな要素のひとつ。ましてここは印パ国境、インドという国に関心が向き始めてだいぶたち、映画も好きになり、両国の関係について他人事と言い切るにはそれなりの感情が育ってしまっている身としては、振り向いて旗を眺めた時に、おまえはインド人か!(あるいはパキスタン人か!)とセルフツッコミしたくなるようなある種の郷愁というか高揚というか謎の感情がこみあげてきて困りました。えもいぜ。
イミグレの建物の外にはおじさま数人が待っていて、このうちの一人からインドルピーからパキスタン・ルピーに両替してもらう。1イ・ルピーがパ・ルピー1.9。レートは悪く、最低金額にとどめて置きたかったけど、この先いつ両替できるか不明だったし、この時はまだそのまま同日にラホールから先へ長距離移動になだれ込むことも考えていたため多めに4000イ・ルピー分を両替。
入国手続きはすんなり。幾つかの場所でビザをみせ、最後に「パキスタンはどう?」ときかれ、どうも何も今からですがな、とは思いつつも、ずっと来てみたかった国だから来られて嬉しいと答えると、そこにいた数人が揃ってぱああと嬉しそうな表情になり、これ、とパキスタン国旗の小さなバッジをくれました。「パキスタンはどう?」という質問は、その後滞在している間に何度も耳にすることになります。
バッジはすぐにリュックにつけ、パキスタンにいる間ずっとつけていました(気にいっていたのにいつのまにか失くしちゃった涙)。
※4
イミグレを出ると、遊園地の移動用の乗り物みたいな乗り物(なんていうの?)でタクシー乗り場へ移動。乗り物を待っている時に話しかけてきた父娘がいて、今回家族4人でカラチに里帰りする途中で、ラホールから列車に乗るとのことだったので、ラホール市内までのタクシーをシェアさせてもらえないか頼むと快諾してくれ、おかげでもっとかかると予想していたラホール市内への移動は300パ・ルピーで済みました。
女の子の名前はマニーシャ。流暢な英語を話し、お父さんも少し話せる感じ。おばあちゃんとお母さんとはにこにこ表情で会話。マニーシャはインド(チェンナイだったかな)の大学でMBBSを取得、今後ロンドンに行きたいのだと言っていました。お父さんがタクシーの交渉はすべてやってくれ、あまつさえ、ラホールについたあとは私の宿まで手配しようとしてくれました。とてもありがたかったけれど、情報収集もしたかったため安宿街リーガルチョークに向かうことにしました。
朝アムリトサルを出発した時点では、この日のうちにラワルピンディかイスラマバードまで移動することも考えていたのですが、インド側のイミグレの謎の待機時間+セキュリティチェックの1時間ロスで力尽き(弱)、ラホールにつくのが2時をすぎることがわかった時点で、その日の長距離移動は取りやめラホールで一泊することにしたのでした。
関連記事:パキスタン[ラホール↔フンザ]の移動
[復路]
ラホールからトゥクトゥクで国境まで(600パ・ルピー)。
トゥクトゥクを降りてイミグレまで歩こうとしていたら、後ろからタクシーの運転手が追いかけてきて途中までただでのせてくれた涙。滞在中もたいがいだったけど最後までパキスタンの人どんだけ親切やねんと。正直この時はパキスタン側に気持ちを持っていかれていたかもしれません。
イミグレの建物につき、毎日開催されるフラッグセレモニーがはじまる少し前の時間帯だったのですでに観客が集まりだしていて人々がみている中、少し照れながら再びインド側へ。
セレモニーについては次に。
■パキスタンへの旅動機について
パキスタンは今回が初めてでした。バジュランギおじさんの後半はパキスタンが主要舞台でありそのロケ地巡りのため、と言いたいところですが、映画の中でパキスタンとして撮影されたのは大半がインド側のカシミール地方(行ってません)。そもそも治安が読めない中でロケ地巡りという目的で行くのは気がすすまなかったため、今回は純粋に旅動機、前から複数人の旅友から聞いていつか行ってみたかった北部のフンザにしぼりました。
国内の治安については、2019年は印パ情勢が再び悪化した年で、カシミール問題を主としてきな臭い出来事がいろいろ勃発していました。外務省のハザードマップをみるかぎり自分が行こうとしている陸路のルートは気をつけながらいけそうと踏んでの敢行でしたが、通常時よりはさらに気を引き締めておいた方がよさそうでしたし、行ってみてだめそうな空気があればいつでもやめるつもりでいました。その時はアムリトサルでゆっくりすればいいかと。結果として、極めてスムーズに出入国でき、入国以降浴びるほど親切を受けまくることになるのですが。
フンザ以外ではムガールの古都ラホールと、できればモヘンジョダロ・ハラッパに行ってみたかったけれど、遺跡周辺は治安も悪そうでツアーを組むなどしないと厳しそうだったため今回は却下。ラホールはフンザに行く道筋にあるため、行きか帰りのどちらかで1~2泊しようと決めていました。他にも行きたい場所はありましたが何しろ10日程度、ラホール↔フンザ間は一部悪路もあるらしく通行止めが起きることもあるとのことでバスを乗り換えていく長距離移動にどれだけ時間がかかるのか未知数で、フンザにできるだけ長く滞在したかったため、ひとまずは却下することにしました。ひとまず・・・次回はいつ行けるのでしょうね。
アムリトサルからフンザまでの往復はこちらをはじめ幾つかのブログを参考にさせていただきました。ありがとうございました。
とほ