クリスチャン・ベール(以下CB)ファンがお届けするケファロニア島『コレリ大尉のマンドリン』ロケ地巡り。

ペラギアやマンドラスの村へ。
前回のサミ港編でも追記しておいたのですが、コレリのロケ地は主にKefalonia Travel Guideを参考にさせていただきました。
その中に、以下の記述が。
Near Sami the village of Dihalia was used for Dr. Iannis’s home, Drosoula’s house, village square with kafeneion and local church.
(イアンニス医師の家、ドロスーラ(※マンドラスの母)の家、じもっぴの教会と広場の撮影には、サミの近くのDihaliaという村が使われたのだよ)
アギアエフィミアのトラベルエージェンシーでは、島全体の地図のほかにサミ港付近のウオーキングマップも手に入れていたので、その地図でDihaliaなる「村」の位置を確認。
サミから歩いて向かうことにしました。
このあたりにロケ地が密集していることは上記サイトで確認しており、「村」のほかにも、この日はがっつりこのあたりを回るつもりで来てました。
なおかつ、さる事情のため、ここは歩きで勝負、と決めていました。いたのですが、距離感はざくっとしかわかっておらず、頼りはゆるめな地図のみ。
しかも、出だしのサミからこういう上り坂がずっと続いていました。
スクーターのお兄ちゃんがふたりほど、「アンティサモスに行くの?のせってってあげようか?」みたいな感じで止まってくれたのですが、歩き始めの元気モードと、若干の警戒&節約モード(?)でことわってしまいました。
このあとどれだけ歩くことになるのか知ってたら、タダだろうがタダじゃなかろうがのっとくんだった。。
ちなみに、おにいちゃんたちも言っているように、この道は、「村」に行く道というよりは、ケファロニア島のビーチといえばここ的なアンティサモスビーチに向かうほぼ一本道。
なので、まあ、ビーチに行く分には迷う心配はなかったのですが。
このおにいちゃんたちにも、宿のオーナー、ジョルジュにも、Dihaliaについても聞いてみたときに、みんな反応が「さあ?」という要領を得ない感じだったのが少し気にはなったものの、地図にしっかり書いてあるし、まあ行きゃあるでしょ、と、まだ午前中とはいえすでに日差しぎんぎんの中歩き始めました。
1時間ちょっとくらいでしたか(うろおぼえ)。それらしき場所に到着しました。
しかし。
あれ?
ここ、「村」ちゃう。
廃墟やん‥‥‥‥‥‥。
そうか、地震。
ようやく思い至りました。
ん?でも、地震は1953年だよね? 人がもう住んでないのは見ればわかるとして、2000年あたりの映画のロケで使われたにしてはすごい荒れようじゃない?
という疑問を抱えつつも、とにかく映画に出てくる場所をまずは探そうと探索開始。
で、最初に見つけたのがこちら。
冒頭のシーン。耳の中に長年豆を押しこんでいた男の家から、診察を終えたイアンニス医師が出てくる場面。
略して耳豆男の家として使われていたのがこちら。
映画の中でもたくさん映り込んでいたヤギも、いたるところにいました。
ヤギベルのからんころんという音がのどかでよかったのですが、風が吹くたびペコリーノ・ロマーノ臭といいますかケモノ臭が。
さて、この耳豆男んちと思われる家からは教会などが立つ村の広場があるはずなのですが。
マンドラスがプロポーズしたり、男たちの決起集会が開かれたりと、映画の中でもさまざまなことが起きる村の中心地。
そんなことが起きたりする村の広場(中心地)の位置は
矢印のあたりでしょうか。
つまり、
矢印の位置あたりにあった芝生は
なーにも残っていませんでした。
ちなみに矢印のある側(右側)が来たサミ方面、左側がアンティサモス方面になります。
あと、イアンニス&ペラギア父娘の家とドルスーラ&マンドラス母子の家も探したのですが、ちょっとわかりませんでした。
イアンニス&ペラギア父娘の家は、奥に金網で行けなくなってる道があったので、そこから下る道にあった可能性が高いかな。
ドルスーラのうちは、広場の前から坂道で降りるあたりだと思いますが、茂っていてよくわかりませんでした。
って、だーれも欲してないだろう、このマイナー映画のロケ地をなにことこまかに説明してんのかしらアタシ。
まあ。でも。まあ。このままつきすすむことにします。
余談:
例によって例のごとく、映画ノリのいいマメ子が「見る♪」と言ってくれるものだから、コーンウオールのキャンプ場のテント内で、予習も兼ねてこの映画の上映会をしたわけなんですが。
イアンニス親子が歩いて家に戻るシーンのあたりでマメ子ひとこと。
「このふたり、もしかして血がつながってないとか? だって一人イギリス人で一人スペイン人だよね?」
マメ子さん、マメ子さん、現実の俳優事情と混同しておられます。
でも無理もないと思うの。
この映画をびみょうなものにしてしまった原因の1つに、「ここギリシャだし、英語もギリシャなまりで」という監督判断があるかと思うのですが。
舞台が英語圏外でも英語が話される件についてはアメリカ資本映画ではめずらしくもないし見逃すとしても、ギリシャなまり巻き舌演出はいらんかったよね…。ちなみに、イタリア人役はイタリア語なまりだそうです。へんに律儀。だけどほんと無意味演出…。