Horgota Beach。 通称マンドラスビーチ。
「ペラギアビーチ」と紹介されているケファロニア島観光サイトもあったり、某国のDVDジャケットではコレリとペラギアにすげ替えられるというせつないことになっていたりもしますが、あくまでここはマンドラスの、マンドラスのビーチ、であります。
マンドラスが幸せだったころのビーチ。
漁師の自分が好きで、ペラギアがそばにいた頃の。
わたくしのCBロケ地思い入れ度ではたぶん、ナンバーワン。
とかいいながら、タクシーの金額聞いていったんは行くのをあきらめようとした場所。汗。
上記地図の記号AとCの間に赤でぐるぐるしている場所があるのですが、わかりますでしょうか。
ケファロニア島のトラベルガイド系のサイト(ここ)では大体Horgota Beachという名称で紹介されているので、とりあえずタイトルにはそれを使いましたが、IMDBではChorgota Beachともなっていますし、この名称錯綜?のせいで実際に探す際に多少の困難がありました。
上記地図はちっこくて見えないかと思いますが、ぐるぐる箇所はGorgotha Beachとなっているのですよね。
Horgotaはギリシャ語の発音に対する英語の当て字なのか、とにかく、その時は、もらった地図にはHorgota Beachが載ってないかGorgotha Beachと書かれているものしかなく、Ag.Familiaのトラベルエージェンシーの人に聞いてようやくGorgothaとHorgotaが同じ場所ということが判明したのでした。
この日の予定をおさらいしますと、巡った場所は以下の通り。
Sami(マンドラス出兵シーン)
Dihalia(ペラギアたちの村)
Antisamos(イタリア軍のベースキャンプ)
Ag.Fanentes(聖ゲラシモスの奇跡&ダンスシーン)
午前中から午後にかけて上記を回り、午後3~4時くらいまでにサミに戻って、その後タクシーを交渉して、Horgota Beachへ、という計画。
のどからっからになりながらサミに再び徒歩で戻ったのが午後4時。
小さな商店で無事ファンタオレンジをゲットして飲みほし、コレリカフェの前で見つけたタクシーの運転手と交渉しました。
タクシーで行くことにした経緯や金額うんぬんの詳細も書こうと思ったのだけど、長くなりそうだったので割愛するとして、運転手との行きがてらの会話もなかなか興味深かったのですがそれもひとまず流すとして、どうにか、件のビーチに向かえることになりました。
オリーブの木の下。戦地に再度向かうマンドラスを見送るペラギア。だけどこのころにはもうペラギアの心はマンドラスにはない。マンドラスもそのことはもうわかってる。そういうシーン。
桟橋。朽ちてはいますが、かろうじて残っていました。
水はとんでもなく青く、映画で見た透明度そのまま。ビーチは石灰質の平たい丸石がごろごろしている急な下りになっていて、遠浅の反対ってなんていうんだっけ、水辺の先はすぐに深くなっていました。
沖にクルーズ船が停泊している他は人気もなく、しばらく堪能してタクシーにもどりました。
その日の夜、この日は別行動だったマメ子に、拾った丸石を見せながら、1日のロケ地めぐりを報告。
「マメ子、私、この石のこと、マンドラストーンと名付けることにする」
しみじみと、おごそかに、宣言しようとしたのですが、最後まで言い切る前に「おやじギャグ」とつっこまれました。
*
ロケ地巡りの話はここでおしまい。
ここからは原作マンドラスの話もからめた雑談。
※この先思い切りマンドラスの話しかしてません&ネタばれしてます。
ペラギアに指輪を戻されて傷心の中、母親の家を去っていくマンドラス。
この後ろ姿が、映画に出てくる彼の最後のシーンになります。このあと、夜が明けていき、マンドラスの姿は消え、この後半の陽気なダンスシーンへと切り変わるのですが。
第二次戦争時のドイツ軍によるイタリア軍将兵大虐殺は、1953年の大地震と並んで、この島の大きな歴史のひとつであり、映画の中でもクライマックスとして描かれています。
カルロが銃口から身を呈してかばった瀕死のコレリ大尉を助け出したのはマンドラスでした(ちなみに原作では大男バリサリオス)。カルロの亡骸の下にまだ息があるコレリを見つけた時の、あ、どうしよ、みつけちった、という表情のCBマンドラスのひげ美しさといったら神がかっっておってねえみたいなファン目線与太話はスルーしてもらうとして、やはり放ってはおけず、イアンニス医師の家に運び込みます。
これ以降のマンドラスは…勝手に肩入れしている身としては、脇役とわかってはいても、もうねえ…涙。
ペラギアにとっては、マンドラスは運命の相手ではなかった。ただそれだけ。
でもマンドラスにはペラギアしかいなかった。マンドラスは、文盲でこそあれ、そしてそれにコンプレックスを抱いていて、それが言えなかったが故に心離れが起きてしまうわけだけれど、イアンニス&ペラギア節穴親娘が思うよりはずっと深く物事を考えている男。
でも、ペラギアの前では自分らしくなくなる自分に気づいてはいて。でもどうしようもなくて。そういう相性って確かにある。いくら好きでも自分らしくいられない相手というのはいる。
ここからは映画では語られていない原作の話になりますが、アルバニア戦でマンドラスの所属していたギリシャ軍の部隊は全滅で、生き残って島に帰ってこれたのはマンドラスただひとりでした。
マンドラスが激戦を生き抜いてこれたのは、ペラギアを「マリア化」して心の支えにしていたから。それゆえに、ペラギアがよりいっそう特別な女性になってしまった。
だから、ペラギアの心変わりを確認してからの、この男の行動はすべてペラギアへの復讐。かたときも忘れられなかったマリアゆえの愛憎。
アルバニア戦での凄惨な経験もあって、パルチザン(ドイツ軍に対する抵抗勢力)となった頃には、身も心も大きく変わってしまっていました。
ぺネロペ・クルスという女優さんの演技を通してみたペラギアの愛情の発露具合って、マンドラスに対してにしろコレリに対してにしろ、どうもピンとこなかったんですが、それが功を奏してか(?)見事に冷淡でよそよそしく指輪をつっかえしてきやがりまして、
その直後に上記後ろ姿のマンドラスの場面になりますので、流れ的にはまあマンドラスが傷心で去っていくことは伝わるか…という内容になってはいるのですが。
実際には、原作では、そんなペラギアに対してマンドラスはある行為をおこしてしまい、その行為により自分の母親とも決定的に決別してしまいます。
居場所もなにもかもをうしなったマンドラスがたどる道は多くはありません。家を出てマンドラスが向かったのはどこだったかというと、このビーチでした。
映画ではひげ美しい青年のままでしたが(ここスルーで)、本では、この頃のマンドラスは、復讐心や戦争でゆがんだ心が表出した、見るも無残な醜い容貌になっていた、と書かれています。
変わり果てた自分。
物語の前半で少女レモニが救ってその後イアンニス父娘が飼うようになったマツテンがいるのですが、アルバニア戦からやっとの思いで島に戻ってきた時に変わり果てた自分の姿にペラギアは気付かず、気づいてくれたのはこの動物だけだった、と、マンドラスは回想します。
今はもう本当の自分を知るのは昔たわむれていたイルカたちしかいない。そうしてイルカの名前を呼びながら、つかのま漁師だった頃の自分を取り戻し、
入水していくのです。
CBがイルカのシーンにこだわったような記事を読んだ記憶があるのですが、
サブキャラクターだし、映画の配分としてはカットでよかったんだろうとは思う。けれど、今となってはやっぱりちょっと、イルカのシーン見てみたかったなあ、と思います。