これはもうひとえに青かったとしかいいようがないのだけど、初めて彼氏ができたのがクリスマスの少し前で、初デートで繁華街の待ち合わせ場所に向かっている時にそれは起こった。
初彼氏だったし、初の街中デートだったし、何より好きになった相手が自分に振り向いてくれた。付き合うまでの経緯は自分をちょっとしたドラマの主人公と勘違いさせてくれるほどには高揚をもたらすものだった。その高揚は、待ち合わせ場所に向かいながらバスの中で窓の外を眺めている時にも続いていた。
それが消えた。
数秒前にあったものが忽然と消えた。
理由はまったく心当たりがなかった。
え、そんなはずは。私はあせった。
どんなに何かに夢中になっていてもバイオリズムのせいか何かで一時的に平常心に戻ることはあり、これもその手の類かもくらいは思った。いやどうだろう。思わなかったかもしれない。なにしろ四半世紀以上も前だ。ただ明確に覚えているのはあせり。
喉に餅が詰まった時のように、胸をどんどん叩きたい衝動にかられた。例えが悪いのは承知だけどほかに思いつかない。第一餅を喉に詰まらせたことはない。出てこないものをどうにかして出したい切実な気持ち。餅ならまだいい。喉にあるのだから。私は喉にも胃にもどこにもない、自分の中から忽然と消えてしまったものを出そうとしていた。
なんとか待ち合わせ場所に着くまでに戻さないと。その努力がよかったのかよくなかったのか。
待ち合わせ場所について少し緊張した彼の顔を見た時に、多分答えは出ていた。
その後のことはあまりよく覚えていない。クリスマスの装いの始まった町中でウィンドウショッピングをしたのだったか。それなりにおしゃれな雑貨屋で、彼がテディベアのぬいぐるみを指して、かわいいね、というので、かわいいですね、くらいは言った気がする。
数日後、彼の部屋でクリスマスプレゼントをもらった。自らリボンと包みをといてくれて、出てきたものは、彼の手によって取り出されながら彼の声音で「ぷはーっ」といった。
テディベアだった。箱の中は息苦しかったよう、ということだろう。
ぷはーて。
と思ったなんてことはおくびにもださなかった。すでに帰りたくなっていたが、雰囲気がそっち方向に行くのをはぐらかし続け、それなりに楽しい空気を作るのに苦心した。
テディベアにはなんの罪もない。彼にもなんの落ち度もない。悪いのはあの日バスの中で消えてしまった餅だ。違う、私だ。私が100%悪い。付き合ったばかりだし、3年も後輩だし、猫をかぶっていなかったとは言えない。当時髪は腰あたりまであったし、認めたくないが、ちょっとふわついてもいた。テディベアが好きそうに見えたかもしれない。
ただ誓っていうけど、そのぬいぐるみを欲しい素振りは見せてない。そもそもぬいぐるみを集める趣味はない。サークルで学園祭で出す粘土細工に、小さいパンやケーキにまじって、好きなサボテンや、嬉々としてホラー映画で観たばかりのちぎれた人の指や目ん玉をちまちま作って友達にひかれていたのは彼も見ていたはずだ(そこの人もひかないで)。
これがサボテンだったら、いや、そもそもバスの中で餅が消えていなければ、ぷはー、を一緒に笑いあい、場合によっては涙ぐみさえしたかもしれない。その日涙ぐんでいたのは彼の方で、多分その日初めて曝け出してくれた自身の過去や内面の話をしてくれながら、目に涙をためていた。
お互いに思いが通じた。けれど、それまでの過程で、中身をお互いに曝け出して付き合ったのではなかった。正直にいえば見た目に惹かれた恋だったし、私の見た目も向こうの好みからはずれていなかったということなのだろう。
ただ始まりがそうでも、その後育てていくやりかただってある。
その後も一緒に映画を観に行くなどした。初めて一緒に観たダイハードは死ぬほどおもしろかった。交響曲が効果的に使われていて、オーケストラのサークルだった私達は興奮した。おまけに映画の中でもクリスマスだった。なのにタクシーで夜の町をあの日と逆方向に向かって一緒に帰りながら、気が重かった。
映画はおもしろいわ彼氏と一緒だわ、これで高揚がここにあれば最高なのに。この期に及んで餅を出そうとしていた。その後もずっと。あの日自分の中から消えてしまったことを認めたくなかった。半年後に全面降伏して、無理や・・・餅はとっくに消化されている、なんなら口に入れてすらなかったかもしれない、と認め、お別れをつげるまで、胸を叩き続けた。
多分、付き合うまでがゴールだったんだと思う。そこで狩り終了となってしまった。認めたくないけど。多分。でもこれが軽くトラウマになって、その後誰かを好きになっても、付き合い始めたらまたすっと引くんじゃないかと怖かった。別れて半年後、相手に彼女ができた時はほっとした。
ひどい話だ。青かった、で片付けたい。そもそも相手がすんなり振り向いてくれたのも単なるビギナーズラックで、その後まあまあ鼻をへし折られるような失恋もしてきているので、勘弁してください。
とほ