ダークナイト3部作について(続き)

※当ページには広告が含まれています※
※当記事には広告が含まれています※
映画語り

出会いが出会いゆえ素直になれない。
あたし、あの人のことほんとに好きなの・・・?

すみません、続きです。ちゃんと続いてます。 前回はこちら

そんな不完全燃焼を抱えた『ダークナイト』だったのですが。

2012年の夏以降、栗熱にうかされたまま年越しを迎え、2013年、つまり今年の元旦。3部作強制上映会をおこなったんですよね(犠牲者1名)。

他の栗映画を大事に大事に見すすめていて、それでせいいっぱいだったのもありますが、この日までバットマン方面は見ないようにしていてまとめて一気に見た結果。他2作とのあまりの密度の違いにすごい驚いてしまいまして。いやもうほんと、3作品を一気すると歴然。

なにをいまさらな話な感じでほんとすみませんな感じなのですが(←おちつきましょう)、とにかく感じたのはこの密度のことでした。犠牲者もとい友人もその濃さに舌を巻き・・・すぎて、疲れていたようでした(いや疲れたのは、朝3時起きで初日の出&富士山見に江ノ島行ってそのまま夜まで一気さしたのが原因)。

左脳部の小躍りは非常に納得でした。

でも、それでも。

圧倒的右脳人間であるオリジナルトホはやっぱり『バットマンビギンズ』が好きです。

BBは・・・・・・・なんだろう、、特に言葉がでてこない。私、好きなもののこと語るの苦手なのかな(汗)。まあ正直にいうとクリスチャンさんの見た目がやっぱり一番好・・・ごほんごほん、そこだけじゃないよもちろん。なんだろうな、特に語りたい気持ちがない。腑に落ちてそこに静かに置かれてある感じなのです。意味不明ですみません。

そして折に触れ見返したくなるのもこのBBです。

**ここから余談

最近、右脳は文系、左脳は理数系うんぬんの区分けは都市伝説、みたいな話を、某MSN経由S新聞でちら読みしたんですけど、本当かどうかはさておき、便利だと思うんだよなあ・・・表現として。なのでえ、これからも素知らぬ顔で使っていこうと思いマス☆でも自分のことについて語る時だけにしておこうかな。

余談終わり**

そして3作目。『ダークナイトライジング』。

時系列を戻させてもらいますね。

劇場で見たのは2012年7月。まああなた、栗堕ち真っ最中ですからね、こんなしあわせな鑑賞はなかったわけですけど。最後のせつなさといったらなかったですけど。

I-MAXって私この時がはじめてだったんですけど、すごいですね。はいりこみすぎてですね、橋のシーン、ブレイク刑事がやっちゃいかんいうのに、アホ警察がばーんってした瞬間「ぶあああか!」とさけんでしまいましたからね。(滝汗)

(だだいじょうぶだよね、音すごいし、どうかまわりの人気づいてませんように)

・・・・という願いが天に届くことはなく、場面がやや落ち着いた瞬間、ひとつとんで横の男性にがんみされました。かあああ(赤面)。どうしましょう。完璧イタい人です。

しかしその痛みはエンドロールとともに劇場に置き去りにしまして。

映画館を出た直後に妹にメール。その日は一日中、「いかにクリスチャンの腕筋がいかしているか」について延々メールしていました。妹は対抗して、クリス・エヴァンズ&クリス・ヘムズワースという別栗林の腕筋を2倍返ししてきましたけど。知りませんよ。というか、鑑賞ポイントずれてますよ。

内容について少し話すなら。

この最終章はわたしは「あり」でした。ダークナイトという化け物のあと、ということでいうと、密度は明らかに薄いですし、1つの作品で見るとしたら物足りない部分はあるのかもしれないけど、3部作として観た場合、このバランスでよかった気がする。逆に2作目を越えようという意識が見られたり、同じ色と密度でやられてたら、あくまで私はですが、きつかったかも。カタルシスは充分に得られたというか、というか、もう単純にぷはー、やーん、おもしろかった~ん;;

でも、栗落ち中ゆえのアドレナリンの作用がもちあげている部分も多分にあるかもしれません。いや、あるね。

こういう作品に出会うと、物語の作り手ってすごいなあと思う。監督に限らず、俳優、製作者、携わるすべての要素、その化学変化、それを3作目まで維持するエネルギーが。

以上です。

読んでいただきありがとうございました。ではでは先に行きますね。次のロケ地は・・・

あ、その前にもう一個、データ補足記事ありです。

p.s.
もう一個だけ。タンブラーがガムテぐるぐる巻きにしか見えなかったのは私だけ?