Kindleで購入した本については、「手に入れた」と思っていないところがある。所有のためではなく権利のための代金だと思っている。いつかなんらかの理由で(amazonサイドの都合による)取り上げられる可能性がゼロではないものと認識している。
ので、紙より少し安くて助かるのは確かだし、所有しておきたいほど執着がなく(またはしなさそう)読めればよく、あるいは旅先で読む目的で選ぶ時はその軽量さゆえに、今では結構な割合でさくさく電子書籍も選ぶけれど、所有しておきたい場合は紙一択。
そして、紙媒体で所有しておきたい本は圧倒的に小説。あくまで私はだけど、電子書籍で購入するのは実用書の割合が高い。実用書は紙で購入しても一度読んだらさっと手放すことが多い。
小説でも引っ越しを機にさくさく手放していた時期もあったけれど、本来コレクター気質ではない私でも、逆に紙の小説の所有欲は以前より高まっているかもしれない。欲というよりは危機感に近い。電子媒体や図書館で借りるなどして一度読んだものでも、気に入れば確保に走る。最近では、『ケプラーの夢』は結局購入した。
紙媒体だって劣化や焼失のリスクはあるわけだけれど、それでも。物理的に手元においておきたい。なんだろうね、別に華氏451度の世界がくると思っているわけでもないのだけど。あれは紙の本自体がだめなのであり、電子書籍なわけではないのだけど。今の時代では紙の本の方が安全な気がするのなんでだろう。
ただ、読書欲とともに旅欲も強く抱えている人間なので、つまり定住志向が低いために、いつか居を移す日のことを想定して多くは所有していられないという意識もある。そういう事情でも本に限らずコレクターにはなれない。かといってミニマリストでもないという非常に中途半端なところにいる凡人T。
とはいえ、次に海外に出る時は長くなる予定なので(今年のあれにより計画は保留中だけど)、ものを減らす方向にはいる。所有のための購買はよくよく考えて行うようになっている。にもかかわらず、紙の本だけは逆に買う頻度が増えている。どういうことだね、君。
だってさ、Kindleの中にある本はある日気づいたらじゅっと蒸発してそうなんだもの。そんなことは起きない? でも取り上げられた後では遅い。常識やルールは変わる。起きる時はいとも簡単に。
繰り返すけれど、ディストピア小説に毒されているわけではありません(多分)。
どっちみち全部抱えているのは無理なので、今後吟味して減らしていかなくてはいけない。でもでも一度手に入れた小説はむしろもう手放したくないのだよなあ。
というもんもんを抱えたまま今日は眠りにつくことにします。
とほ