読書ゲーム[再録]

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創作

 

星と 月と チョコレットの作家様
ロビングッドフェロウは無事 ほうき星になれましたか。
             かなこ

はい、今度はこれよ。

そう云って、かなこは紙切れを差し出した。
もう人もまばらになった、放課後の図書室で。

これはいつ頃からか、二人で始めたゲームだ。
本好きなかなこが、作家に対する質問を紙に書く。
その中には、キーワードとなる言葉がちりばめられている。
私が、それらの言葉をヒントに、作家を探し当てるのだ。
常に、質問を出すのは、かなこ。答えるのは、私。
紙を渡された日から七日後の放課後までにわからなければ、私の負け。ただし、探し出せてもまだ勝ちとはいえない。質問の答えを、作家から貰ってこなければならないのだ。しかも、気のきいた文句でなければ、かなこは勝ちと認めてはくれない。
なんだか、私に分の悪いゲームのようだが、それでも私はこの遊びが嫌いではなかった。おかげで随分と本を読むようになったし、以前は読めば終わりだったのが、内容についてもっと掘り下げて考える癖がついて、自分なりの問いや答えを取り出してみるのがなかなか楽しい作業であるということに気がついたからだ。そうしてみつけたものは、普段はすっかり忘れ去っていても、日常のさまざまな場面で、ふと浮かび上がり、新しいものを生まれさせたり、何かを思い出す、あるいは悟る、ほんのひと押しとなってくれたりする。それに気付くのが楽しかった。

もっともゲームを始めた当初は、負けてばかりいた。
作家が誰なのか、どの作品からの引用か、さっぱり探し出せずに、またほんの偶然から探し出せても、気のきいた答えを差し出せずに、かなこを失望させてばかりいた。
かなこの世界は、とてつもなく広かった。
前の週に著名な児童文学作家の処女作の一節を引用したかと思うと、次の週にはインドの詩人が気まぐれに書いた唯一の小説を選んだりした。古文だったこともあったし、私がうんとひねくれた分野をあたっていると、実はシェイクスピアだった、ということもあった。
私が、砂漠の中の一粒の砂を見つけ出そうとしているような思いにかられて、自ら負けを認めると、かなこはため息を軽くつく。
そうして、目的の本のある棚まですたすたと歩いていって本を取り出し、おもむろに、キーワードと一番関連のある個所を朗読してみせるのだった。
かなこは、私が見つけ出せないでいるたびに本当にがっかりしているようだった。
でもその気持ちと同じくらい朗読も楽しみにしていることを、私は知っていた。
実際それは美しかった。
抑揚の、間の取り方の、感情のこめ方の絶妙さに加えて、内面の強さがにじみでるような密度の濃い、よく通る声。図書室という場所柄、ひそやかな音量に落としていても、声の魅力は損なわれることがなかった。
彼女自身もそれをよく承知していたし、朗読という名目で、滑らかな声になる前に通りすぎる声紋の、僅かに振るえる感触を味わうことができることを心から喜んでいるように聞こえる、そんな声だった。
私もまた、見つけ出せなかった悔しさと同じくらい朗読を楽しみにもしていて、この相反する感情に揺られながら、しばらく黙って耳を傾けるのだった。ただ、楽しみだからといってわざと負けるということはけしてなかったし、だから私の負けは正真正銘の負けで、だからこそ朗読を心から楽しむことができ、次こそはと心から誓えるのだった。

気のすむ個所まで読み終わると、かなこは顔を上げる。
そして、微笑む。
早くわたしのところまでいらっしゃいな、というように。

こうして多くの負けと、幸運によるほんの少しの勝ちとを積み重ねるうち、読書量に比例して、道を探すコツのようなものがみえてくるようになった。相変わらず世界は広かったけれど、時々見覚えのある場所をみつけ、そこから目的地まで辿る勘のようなものが身につき始めたのだ。
だんだん私は幸運からでなく、しっかりと確信しながら本を探し当てることができるようになった。そうして、かなこの欲しがっている答えを差し出せることも多くなっていった。
冒頭の紙切れをもらったのは、そんな頃だった。

「稲垣足穂ね?」
七日後の図書室で。
かなこは返事をする代わりに、口元だけで少し笑った。
「今回はすごくカンタンだった。私、もらった次の日にはもうわかってたのよ。チョコレットはキーワードにいれるべきじゃなかったわ、だって題名じゃない。キーワードの数もいつもより多かったし、どうしたの、かなこらしくないわね」
いつになく早く見つけ出せたことに、私は少し有頂天になっていたかもしれない。いつもより口数が多くなってしまった。
それで、足穂は何て?
私の言葉には答えず、かなこは穏やかに答えを催促した。
「『君は<一千一秒物語>の方は読んだか。答えはその中にある』ですって」
実をいえば私は<チョコレット>と同じ本に収録されている<一千一秒物語> の方をひどく気に入ったのだった。それで答えに使ってしまった。
そう。
かなこがうつむき加減に黙ってしまったので、答えが気に入らなかったのかと思い、さっきの発言も少々得意さ加減がにじみでていたかもしれないと思い返されて、急に心許ない気分になった。思わず、「また、わたしの負け、ね」と自分から言い出そうとした時、彼女の肩が小刻みに震えているのに気がついた。

くすくすくすくす。
かなこは笑っていたのだった。
そう。今度はわたしが答えを見つけないといけないのね?
本当におかしそうだった。そしてとても楽しそうだった。
いいわ。新しいゲームの始まりね。でも、少し時間を頂戴。
私はうなずき、かなこはまだ笑いながら、
食べる? チョコレットよ。
と、ポケットから銀の包み紙を取り出した。
「それ、まさか、トンカチでも割れないくらい硬いんじゃないでしょうね?」
私が云うと、今度こそかなこは声をあげて笑い、
試してみる?
といった。

彼女が学校にこなくなったのは、次の日からだった。

考えてみると、かなこが<一千一秒物語>を読んでいなかったわけはないと思うのだ。短編だし、表作の一つであるし、何よりかなこの嗜好からいって<チョコレット>より遥かに<一千一秒物語>の方がその範疇に入っていただろう。
私達のゲームの質問は、質問のようで質問でなく、かなこの中からあふれる読後感を端的に表していればそれでOKだったし、答えも、答えのようで答えでなく、ちゃんと私の中から出てきたもので、しかもかなこが満足できればそれでよかった。
ゲームは、ゲームのようでゲームでなく、勝ち負けの境界線はあやふやで、即興的に生まれたものが、いかに私達の気にいるかが重要なことだったのだ。
だからあの時、かなこが即興で答えを出そうとすればいくらでもできた筈なのだ。
もともと私とかなこはクラスが違ったし、互いのクラスに知り合いもいなかったので、なぜ彼女が突然学校にこなくなったのか、なかなか知ることはできなかった。
いまもはっきりとは知らないのだが、家庭の問題であるようだった。
彼女自身の意思かもしれない、と漠然と思っていたのだが、実際は違った。
私はかなこのことを、ほとんど知らなかった。図書室での結びつき以外は。それ以外は、たいして重要じゃないと思っていた。あのゲームだけで、私達は、今考えると不思議だけれど、お互いのすべてを知っているような気持ちになっていたのだ。
もしかしたら彼女は、少し前から自分が学校を去らなければなるだろうということを察していたのかもしれない。そうして、あの質問を最後のつもりでだしたのかもしれない。最後のはずが思いがけず、ゲームを続ける糸口のようなものがみつかったので、答えないまま持っていくことにしたのか。
かなこはゲームを終わらせたくなかったのだろうか。
いずれにしろ、私とかなこが会うことはもうなかった。

かなこがなぜ、ゲームの相手に私を選んだのか今もわからない。
今では、私の世界もかなり彼女に近づいたのではないかと思う。
ちっとも美しくはないけれど、時々は朗読したりもする。
でもあのあと、新しい誰かとゲームを始める気持ちにはなれなかった。卒業するまで図書室は、もうずっと独りになるための場所だった。
けれど、ゲームはまだ終わっていない。 少なくともかなこのゲームはまだ。

かなこ。
私も最後の質問が欲しかった。答えなど即興でいくらでもみつかる、でもどれも正しいともそうでないともいえない、ずっと考えつづける事のできる、そんな質問が私も。

私のゲームはあの日、終わってしまった。
かなこのゲームだけが続いている。今もきっと。

今も時々、足穂を読み返す。
そうして、かなこの答えを考えつづけている。

fin.