[再録] 花

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創作

💐

美しい乳房の先に花の咲いている女がいて、右の乳房には青い花が、左の乳房には白い花が、それぞれ常に咲いている。美しい女の顔に見惚れて数々の愛の言葉を投げかけ衣服を脱がすところまで成功しても、さてそこで、たいていの男は乳房の上の花にひるんでしまう。白と白、青と青ならいいのかといえばそういう問題でもなくて、男は手を伸ばしかけてはやめ、伸ばしかけてはやめ、あ、とか、う、とか言ったきり、それきり、動きを止めてしまう。そうすると女は、男をなじるでもなく言い訳をするでもなく、黙って脱がされた衣服を着始める。

衣服の上から見る乳房はとても形の良いラインで、我に返った男は思わずそこに触れてしまう。が触れてみても花の感触はない。まぎれもなく正常な女の乳房で、状況を把握できない様子の男に、女は念を押すように云う。「花はちゃんとあるわ。」

「花、なんて君、ずいぶんはっきり口にするね。」
男はどぎまぎして云う。
「だって私のいち部分ですもの。」
「君、それは取ることはできないのかい。そうすれば僕は」
「だって私のいち部分ですもの。」
女は繰り返す。
「私は私を花ごと受け入れてくれる人を探しているの。」
衣服を整えた女は、もう男には見向きもしないでさっさと扉を開けて出てゆく。

愛の言葉をささやかれるたびに女は、とまどうことなく青と白の花を見せてきたけれど、どの男も反応は似たようなものだった。ごくまれに、花を見ても動じずに、動じないどころかたいして珍しいことではないという態度を取る男はいたけれど、いざ体を合わせる段階になると、汚せない、などともっともらしいことを口にして女に衣服を着せ始めるのだった。その手の男は、自分が多くの女の体を通り過ぎてきたから返って気を使うようになったと、遠回しに伝えてくるのが常であった。
数にどれほどの意味があるというのだろう。
女は思ったがそんなことはおくびにも出さず、いつものように黙って衣服を元通りにし、出てゆくだけだった。

こうして女はいったい幾人の男に花の存在を知らしめてきたことだろう。その美しい表情には、希望も、欲望も、失望も浮かばず、何を考えているのか男たちの誰一人として推し量ることはできなかった。淡々と男の要求に応え、淡々と開示し、淡々と閉まい、扉を開けて出てゆく、その繰り返しだった。いつまで続くのか、という焦燥の念すら垣間見えることはない。ルーティンワークのようにただ淡々と。淡々と。淡々と。
表情とはうらはらに、花だけがいっそう色鮮やかに咲き誇ってゆく。

「君のすべてをみせてほしい。」

だから、その男がこういった時も、女は内心、ああ今日も同じことが繰り返される、と思っただけだった。変化を期待するにはあまりにも長い時間が経ってしまっていたのだ。
それで、男がまず白い花を見て優しい顔でうなづいた時、予想外の展開に女ははじめて自分の無表情が崩れるのを感じた。男はさらに、女が覆っていた手をそっとどけて青い花も確認すると、少し顔を離し、両方の花が鮮やかに女の胸を彩るのをしばらくじっと眺めて、「美しい」とつぶやいた。
女はたずねた。
「私の顔よりも?」
男は言った。
「美しい。」
「声よりも?」
「美しい。」
「乳房より?」
「美しいとも。」
男は言った。
「花を持つ君のすべてが美しい。」
「もし花がなかったら?」
女がまた聞いた。
「花がなくても君を愛することはできるけど、花を持つ君には遠く及ばない。」

青と白の花がざわざわと揺れた。
女はもう無表情でいることなどできなかった。

男は女にキスをした。
青い花がさらに大きく揺れ苦しげに震えたかと思うと、次の瞬間花は二つに増えていた。追うようにして白い花も同じように揺れ、震え、花を二つに増やした。二色の花は競い合うようにして分身を増やしてゆき、揺れと震えを繰り返し、蔓も延びて密接に絡み合い、見る間に女の姿を覆い隠してしまった。

男は驚き、とっさにまだわずかに見えていた女の腕をつかんだ。
なんという柔らかさ。なんという滑らかさ。なんという。
男はそのまま指を滑らせて腕の内側を慈しむように愛撫し始めた。が、増えつづける花に押されてたちまち手が離れてしまった。かきわけかきわけやっとの思いで腕をつかんでもすぐに引き離されてしまう。男はさらに手を伸ばし、花の中をやみくもに探る。どうにか女の体に触れる。花の分裂する勢いが増す。触れる。増す。触れる。増す。

「あなた。」
花の向こうから女の声が聞こえた。
「花を。花を愛してください。」
男はわかった、とつぶやいて、一等先端にありながら苦しげに尚も伸び続けようとしている青い花に、そっと口づけた。その途端、花はまるで一切から解き放たれたというように苦しげな様子が消えて、それは軽やかに気持ち良さそうに新たな蕾を十に増やし、ふるふると開花させた。
悦びを伝える溜め息がかすかに男の耳に届いた。
男は同じようにして白い花にも口づけた。目の前の白がみるみる広がった。再び聞こえた溜め息は前にも増して官能的ではあったが、心なし小さくなったようだった。増殖により呼び起こされる歓喜に今やすっかり身を委ねていた男は、かまわず交互に両方の花を愛し始めた。慈しむたび花は恐ろしいほどの速さで分裂し、そのたびに女の声も小さくなっていった。

悦びを与えれば与えるほど彼女との距離が遠のくようだ。
男がようやくそのことに気づいた時、花はまだ分裂を続けていた。
頭が冴えてくるに従って歓喜は冷え、男はよろよろと立ち上がると女の名前を呼んだ。
返事がない。
もう一度大きな声で呼んだ。
何も、聞こえない。

男は狂ったように何度も何度も愛しい女の名前を呼びながら、いまやベッドも覆い隠し床から天井まで蔓をはびこらせている植物の中に勢いをつけて身を投じた。女の場所にあたりをつけてやみくもに突き進むうち、自分がいつのまにか植物に四方囲まれていることに気づいた。
壁も扉もベッドも窓も見えない。
むせかえるほどの強い香り。
払っても払ってもからみついてくる蔓。
男はにわかに、手足と一緒に命までからめとられそうな恐怖を感じて、声をあげながら手足をやみくもに振り回しそこから抜け出した。植物の侵蝕していない扉付近のわずかな空間に逃げ込み、肩で息をしながら振りかえった。青と白の花が、同じく息をするように前後に揺れていた。植物は生きていた。だがそれは、動物のそれではなく、植物の静かな静かな生だった。襲いかかってくる気配など微塵もなかった。揺れはだんだん小さくなり、やがて

止まった。

女の気配が消えていた。

「消えてしまった・・・」

花に口づける直前まで、姿こそ見えなかったけれど植物の向こう側に確かに女の気配を感じ取っていたのに。花の先は乳房につながっていると確信できていたのに。だからこそ夢中で愛したのだ。
どうして恐怖に打ち勝てなかったのだろう。呼吸が落ち着くにつれて、途方もない喪失感が男を襲い始めた。もしかしたらまだ間に合ったかもしれないのに、なぜ。
一瞬の恐怖と引き換えに、自分は、これからかけがえのないものになる筈だった対象をなくしてしまったのだ。

耐えきれなくなった男は、その場に突っ伏しておうおうと泣き始めた。そのままいつまでも泣き止まず、朝が来て、夜が来て、また朝が来て、夜が来て、幾日も幾日も男は泣きつづけた。涙はそのうち床に溜まり、その養分を吸って植物はいつまでも美しい花を咲かせ続けた。
気がつくと百日が経っていた。

百日目の朝、ようやく男は泣くのを止め、妙に清清しい気持ちで目の前の花を見つめた。そのままじっと何かを考えている様子だったがやがて起ち上がり、青い花と白い花をそれぞれ同じ数だけ摘み取って、大きな花束を作った。
それから、シャワーを浴び、ぼうぼうの髭を剃り、髪をセットし、衣服を整え、すっかり身繕ろいを済ませると、花束を抱えて扉を開け外に出た。
新鮮な空気が部屋に入りこみ、それと同時に男の背後でかさかさと軽く乾燥したもののくずおれる音が聞こえた。が、男は振りかえることなく後ろ手で扉を閉めた。
外に出るともう、部屋の中で起きたことを忘れていた。

男は花束を大事そうに抱え、歩き始めた。
これから新しい女の扉を叩きにいくのだ。

fin.

 

 

 

※本日も大昔に書いた再録物語。当時百をテーマにちまちま書くなどしており、これもそのひとつ。なんじゃこりゃとご笑納いただけたら幸いです。