火遊びは楽しい。

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キャンプ

 

焚き火台が小さいのでそれに合うよう、買った薪を家から持ってきたDIY用ノコギリでせっせと半分に切る。

切りながら、ああこういう無心になる時間必要だなあ、と思う。

焚き火も無心になれるし、そのために切っているのだけれど、そして焚き火は焚き火で火の世話が必要で、火を右に左に移動させながら起きる作用も非常に興味深いのだけど、なんだろうまた違う作用があるというか、そっちが主にメンタルに作用するとしたら、こっちはフィジカル経由でどっちみちメンタルというか、少しだけ負荷のかかる手を動かす作業をせっせとこなすことで頭がからっぽになるのが実によい。

からっぽ、といいながら、必要だなあ、などと考えてはいるわけだし、この木は切りやすいなとか、妙にひっかかるやつあるなとか、力いれすぎてもだめなんだよなとか、手が疲れるから薄いのは足で折ったれとかも考えてはいる。考えるというよりは工夫か。目の前にあるものに専念する感じがよい。

いずれにせよ昨今ではこのへんすべて、それも一種の瞑想ですよ、で片付けられそうな気もするけれど。

昨日は、最近の需要過多で薪が品薄だから1束にして欲しいといわれ、えええ、焚き火も目的のひとつだったのにと思いながらも、しょうがないので昨日はご飯作って食べたら即消した。ら、深夜から早朝にかけて氷点下よこんにちはしていたらしい。どうりで手が悴むと思った。

寒さと焚き火の関連性はともかく、今日、幸いもう1束めでたくゲットできたので心置きなく焚き火したろうと結構な量をせっせと切ったというしだい。

ところで、よく安っぽいアトラクションか何かで焚火や暖炉の火をライト使って再現しているの、あれよくできてると思うのですよね。とくに炭になるまで燃えたあとに赤いひかりがゆらゆらする感じ、そのまま過ぎて笑える。待って、きみフェイクの真似してない?みたいな気持ちで、目の前の本物の炭化した薪をまじまじとみつめる。逆だから。

そういうわけで、焚き火も心おきなく楽しみました。

以上、本日も目の前の話、火遊びは楽しい、火遊びの準備も楽しい、というだけの記事でした。そっちの火遊びの話でなくて失礼しました。

とほ