そういえば小学校の時の作文の時間も、カサ増しさせて文字数稼ごうとしていた子供でした。
作文は嫌いじゃなかった。むしろ得意な方だった、かもしれない。ただし自分の気持ちがのるものに限り。読書感想文なんかは率先して書いていた気がします。ノートが増えていくとシールが増えていくシステムで、ごほうびといえばそれくらいなのだけど、シールが増えていくのと色が変わっていくのだけで何か嬉しかったな。
しかし興味ないトピックの作文となると。なーにもでてこない。しょうがないので、
「と思ったけれどそうじゃなかったかもしれないからおかあさんに聞いてみようと思いましたがやっぱり自分で考えようと思いましたがやっぱりやめました。」
みたいな感じで、茶色の升目の400字詰め原稿用紙で規定の文字数に達するまで言葉をつないで引き延ばしを図るなどしていました。そこのあなた、身に覚えがあるでしょう。
気持ちが向くものとそうでないものの差が如実にでる子だった。
宿題も、日々のやつと自由課題があって、日々の宿題はしょっちゅう忘れてたんですけど、自由課題の方は突如むくむくっとわいた興味にしたがって自発的にやっていったりしてました。偉人伝やギリシャ神話などからえらい人や神様などをリスト化して各特徴をまとめたりとかね。なんかよくまとめてた。
子供の頃ってえらい人の話を読ませられたよね。当時のえらい人の代表格が野口英世だったなあ。あとはエジソンとかキュリー夫人か。発明(発見)家が多かったんだな。あとだれがいたっけか。
それにしても「えらい」ってなんでしょうね。わかりますよ、偉業をなした人ってことですよね、野口英世もキュリー夫人も異論はないです、ないですが、えらいってだれが決めるのかって話なんですよ。大人になって再定義が必要になる言葉な気がします。
キュリー夫人といえば有名な逸話は集中力の話でしょうか、子供の頃から兄弟姉妹が騒いでいる中でもまったく動じず本を読んでいたというエピソードを読んで、自分でもちょろい子供だと思うんですけど「か、かっこいい…」と魅力を感じ、魅力を感じたものはだいたい自分にもある性質と夢想する子供であったので、集中力無双のつもりで宿題をやり遂げ、ようとしたはずなのにいつのまに投げだしたのか翌日空白のノートを持って学校に行く羽目になり、マリーキュリーはわたしではない、との気づきを得て軽く失望したのを覚えています。あの頃から集中力なかったんだな、自分。
・・・あ、でも私、インドの大音量で流れるテレビ騒音の中でも割と平気で本読めるようになったので、インド限定でならキュリー夫人と名乗っていいかもしれない。あ、でもでも、眠っている時に人のいびきが気にならない、という特技も持っているな。もういいんじゃないかな?キュリー夫人で(そこじゃない。
宿題といえばアッバス・キエロスタミ監督の『友だちのうちはどこ』。なんていい子だろうか。泣ける。私は確実に「友だち」側でした。よいこのみんなは宿題ちゃんとやりましょう。
とほ