クリシュナ神ゆかりの地マトゥラー。
到着当日の最初の行動はロケ地探しだったのですが、それがすんでようやく、聖地的な側面に目が向きました。それでまずは寺院が集まっているヴィシュラムガートへ。
過去記事でも書きましたが、滞在中泊まっていたのはヤムナー川に沿った通りの端にある安宿アーグラーホテル※1で、そこからも川を左手に通りを辿っていけば10分ほどで到着できるのですが、この時はロケ地であった旧バススタンドからの帰りだったので、そこからサイクルリキシャで向かうことにしました。
時計台になったホーリーゲートをくぐると、せまい通りには商店がびっしり並び、そこを人やサイクルリキシャや牛が往来している、という点では、ヴァラナシと似ている、けれど海外の旅行客はほとんど目につかず、どっぷりとヒンドゥの香り。
ガートの横にはクリシュナ寺院があり、参拝しにきた人が頭上の鐘を鳴らして
中に入っていきます。
その人々の横で、石段に座って談笑しているおっちゃんたちがいました。
ぷらぷらしていると、その中のひとりが「バガヴァット・ギーター(※2)は読んだことある?」と話しかけてきました。
幸か不幸かというか、たまたまというか、たまたまじゃないですね、せっかくだから聖地に来る機会に読んでおこう、と自覚的に数日前に読了したばかりでしたので、はりきって「読みました!」と答えました。
この答えがその日の流れを決めるとは知らずに。
するとおっちゃん、今度は「インドの哲学とは何ぞ?」と聞いてきました。
インドの哲学。
なんとまあ広義な質問であるか。
いいでしょう。答えましょう。
「わかるわけないです。」
と、おっちゃん、まあここ座ってけ、というように自分の横をぽんぽんと叩きました。
バガヴァット・ギーター、私が読んだのはキンドル版だったのですが、非常に読みやすい訳だったのもあってか、すいすい入ってきまして、それは、なんだ、こんなすいすい読める読み物なんならもっと早く読めばよかった、と思うほどで、内容自体は、けして小難しいことばかりでもなく、人が普通に生活していてふと疑問に思うような(まあ、人生とは、使命とは、みたいなことを
考えちゃうような人だったらということですが)ことへの答え(のようなもの)も多く含まれていてしかも、そのようにあるためにはどうあるべきか、という日々の心のあり方や実践が書かれていて、まあ特徴的なこととしては結構なヨガ押しがあるので、それがヨガをする人は読め、みたいに言われる所以なのかなとも思いますが、かといって教訓教訓してるかというとちゃんとそこは物語的であるというか、背後にある叙事詩マハーバーラタがしだいに気になってくる仕様、まあこの一読目の時点では、アルジュナも悩みすぎっちゃあ悩みすぎだよな、という感想もなくはなかったですけど、それゆえにこれだけの問答となったんだろうし、とか、ともかくも読んだことで、この町に着くまでに
自分の中にふつふつと生まれていたものを整理したいとか、何かプラスαが欲しい、というような気持ちがどこかにあったのでしょう、か、知りませんがともかく、
さくっと座ってしまいました。
で。こんな振り方をしておいてなんですけど肝心な会話の内容というとほとんど覚えてません(汗。
あとでメモみたら、重要な文献としてバガヴァットプラ―ナを含む4つの書物名を挙げてくれたのを書きとっていたりはしたものの、熱心な説明のあとに、
結論だから書けといわれたことをカタカナで書き取っちゃってたりとかで、ほぼ意味不明なことしか書いてなかった汗。
まあ、私とおっちゃんの英語がお互いいい加減だったというのもあるんですけど、それよりも、私は単に、よい暇つぶしに使われただけと思われる。
が、多分、外から見ればそれなりにおっちゃんと私の問答の体にはなっていて、おっちゃん話す、それに私返す、するとまわりのおっちゃんが皆もっともだというような顔をしてうんうんうなづく、という構図ができあがっていて、途中からはなんだかそれがおっかしくなったのを覚えています。
だって、おっちゃんたちったら、私が何か言うたび、今何かいいこと言った?
確信ついたこと言った?と思わせてくれるような、非常にヨイうなづきをくれるのだもの。しかも多分内容わかってないのに笑。だって自分でも、何言ってんだ自分?とか思ってましたからね。
一時間はそうしていたでしょうか。
問答相手のおっちゃんは、じゃあ僕、これからお寺でたいこ叩いてくる、といって、このあとはこの人が案内してくれるからね、といつのまにか輪に加わっていた白い衣装を着た僧のような人に私をバトンタッチして去っていってしまいました。
で、そのあとは、その人に連れられて寺院めぐり。
大きいところから小さいところまで、写真を取る暇さえなく、次から次に。主要な寺院はすべて回ったんじゃないかな。
ただ、ここはクリシュナとラーダーの寺院とか、ここはクリシュナとルクミニの寺院、というように、ずっと説明をしてくれるのですが、ほぼ現地語だけなので名前を聞き取るのがやっと。この時はさすがに、ああ何言っているかわかったらなあ、と思った。
そういえば、最初に入った寺院では、というよりは祠のような小さな部屋だったのですがクリシュナの像の前に置かれた箱にお賽銭を入れると、僧がそこの人に向かって何かいい、すると引き出しの中からおまんじゅうのようなものを出して、手渡されました。
で、これを食べなさい、と。
口にものを入れるという点では、お寺であろうとなんだろうとまだまだインドを、というか自分のおなかとインドの親和性を信用していないので、100秒くらいためらったのですが、えいっと食べてしまいました。
その後は、ガートに降りて、ヤムナー川の水とお供え物を使って祝福?のようなものを受け。
最後に入った大きな寺院は、(あとで調べるとドワルカドヒーシュ寺院でした)履物をあずけて中に入るとすごい熱気で、僧の背についてあふれる人々の間を分け入り、クリシュナ神の像を拝ませてもらいました。
そのあと、中心の部屋のまわりを取り囲む回廊を3回ぐるぐるとまわったのですが、1回目にまわった時に、人々が集まって何か食べているのを目の端で捉えてはいたので何かいやな予感はしたのですけど、3回目の回遊時に僧がそこで立ち止まり手に取ったミルクと果物を差し出された時には、さすがに頭を横に激振りしてしまいました。
え、だってミルクだし。
果物も端が茶色く変色している。
これはちょっと・・・無理。
しかし僧、強い目で食せといってくる。
ただのミルクだよ、ほら。
そういって自分で飲んでみせる。
いやー・・・
ごめんなさい、無理。
ほんと無理だから。
かんべんして。
押し通そうとしたのですけど、それまでおだやかげだった目がここぞとばかりに本来の眼力を発揮して飲めと威嚇してくるもんだから
しょうがない、飲んだよね。
ミルクは甘い味がしました。
幸い、このあとお腹を壊すことはありませんでしたが。
その意味するものはわかる、わかるけど今後も飲むかといえば飲まないです。へたれですみません。
最後はボートに乗って、水上からガートで行われるプージャを眺め、結局この日は真っ暗になるまで、ヴィシュラガート周辺にいました。
その後、宿まで歩いて送ってくれながら、ブリンダーバンは明日行く?と聞かれたので、行くと答えると、案内してあげよう、といわれ、明日も英語なしで半日一緒はさすがにきついなあ、とちょっと思ったけれど、せっかくなのでお願いすることにしました。
では、明日8時にクリシュナ寺院で集合ね、ということでその日は終了となりました。
インドの2大叙事詩といえば言わずとしれた『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』。その中心的キャラが前者はクリシュナで後者がラーマ(共にヴィシュヌ神の化身)。
そのうち『マハーバーラタ』は、全18章からなる2大種族カウラヴァとパーンダヴァの戦いの物語で、その中の重要な戦闘のシーンが書かれた6章に含まれるパーンダヴァ5王子のひとりアルジュナとその御者クリシュナとの問答集が『バガヴァット・ギーター』。
クリシュナは当初正体を隠しているんですけど、問答のちょっと前に、実はオレ神やねん、とあかすという、その正体明かしはなんだかしびれるし、アルジュナはアルジュナで、さっき悩みすぎ、と書きましたけど、知ればしるほど、これまた文武両道で心根のよい魅力的な青年でですね・・・といってもギーターのみからかぎとったそれであり、本体のマハーバーラタを読んだことがあるわけではないので、いつかこれも全部読んでみたいです。 ちなみにギーターは、キンドルで最初に読んだのは田中嫺玉訳でしたが、今は岩波の上村勝彦版を読んでいるところ。上村版は、5章までの要約があってアルジュナが悩むにいたる経緯がわかるようになっているし、解説も充実していてこちらもわかりやすいです。どちらもよい訳だと思います。
さらに余談の余談ですが、名前アルジュナだけに、脳内でAKに変換されていたのはお約束。
ヤムナー川沿いでは恐らく唯一の安宿。私が宿泊した時は1泊500ルピー、安宿ながら清潔でこざっぱりした部屋で、オーナーも道を尋ねると、丁寧に説明しながらわかりやすいマップを書いてくれたり、列車の時間を調べてくれたりと親切でした。食堂のごはんは、んー、、でしたが。あまりその界隈では食堂らしき食堂が見当たらずきちんとした食事がしたかったら、クリシュナジャンマブーミー付近まで行かないといけないかもしれない。ついでにいうとトイレットペーパーを売ってる店も周囲になく探すのに苦労したので、このあたりに行く予定の人、気を付けて(私が見つけられなかっただけかもしれないですが)。