[再録] 泣くおじさん

※当ページには広告が含まれています※
※当記事には広告が含まれています※
創作

 

✉️

そのおじさんの泣き方は見事にみっともなかった。

何があったというのだろう。
道端で。
顔も覆わず。
過ぎ行く人々の間に力なく突っ立ったまま。

おいおい泣いていた。
ずるずる泣いていた。
ぼうぼう泣いていた。
べえべえ泣いていた。

おじさんはいつのまにかヤギになっていた。

べええええええ。
べええええええ。
めえ、べ、
めええええええ。

自分で気づいていないのだろうか?

おじさん。

思わず声をかけてしまう。

ヤギになっていますよ。

ヤギは一瞬我に返り、いけねえ、という顔をしたが、次の瞬間には、いいんだもうどうでも、という虚ろな目に戻った。

めええええええ。
めええええええ。
めええええええ。

相変わらず目は見開いたまま、涙も鼻水も垂れ流し状態ではあったけれど、泣き声が一つに統一されたせいか、もうみっともなくは聞こえなかった。
どこか、澄んでいた。
それは、真に、真に、悲しい叫びだった。

めええええええ。
めええええええ。
めええええええ。

だめだよう。
そんな泣き方をしては。
私はいたたまれなくなって、ヤギの頭をそっとなでた。
なでて、なでて、でもヤギがあんまり泣き続けるので困ってしまって、立ち去ろうとした。

おじょうさん。

呼びとめられた。

お願いがあるんだけど聞いてくれんかね。

私は突っ立ったまま、おじさんだったヤギの顔を見つめた。

そこのかばんに入っている手紙を全部、私に食べさせてくれ。

ヤギの傍らには、くたびれた革のかばんが落ちていた。
私は黙ってファスナーを開けた。
ふぁさ。
中は手紙でいっぱいだった。

黄ばんだ手紙。
真新しい手紙。
未開封の手紙。
くしゃくしゃになった手紙。
びりびりの紙片になった手紙。

私は言われた通り、それらを無造作につかみ出して、ヤギに食べさせ始めた。
ヤギも泣くのをやめて食べ始めた。
涙だけは流し続けていたけれど、もぐもぐと、静かに悲しみを咀嚼し飲み下してゆく。
私ももくもくと食べさせ続ける。

この手紙には何が書かれてあるのだろう。
本当のところ、知りたくてしかたがなかった。
けれど黙っているしかなかった。
だって、私に知る権利は、ない。

もくもくもくもく。
もぐもぐもぐもぐ。
もくもくもくもく。
もぐもぐもぐもぐ。

ふと、もうヤギが涙を流していないのに気づいた。
流していないどころか、目が悲しみを語っていない。
微笑のようなものさえ浮かんでいる。
それはどうみても安らかな表情だった。

忘れてしまったのだろうか。
悲しみを。
今食べている手紙の内容を。
自分がかつておじさんだったことを。

ヤギは穏やかな顔をして咀嚼し続けている。

私の左手はかばんの中を探り、とうとう空になったのを知る。
今右手に持っているものが最後の一枚だ。
それまで自動的に差し出していた手が止まった。
ヤギは、最後から二番目の手紙をゆっくりと飲み下し、それを早く差し出せと目で合図する。

あ、あの、

ヤギは透明な目で私を見た。

この手紙、いただいてもいいですか。

いいよ。

ヤギはあっさり言った。

でも読まない方がいいと思うけどね。

私、知りたいんです。

いろいろなことが知りたかった。

今はもう安らかになったヤギは、去って行く女の子を見つめながら、

悲しみがあの子のものになりませんように

と、心の底から、真に、真に、祈った。

fin.

 

 

本日も大昔に書いた超短編再録です。