『ノマドランド』におけるThat’s lifeの温度。

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映画語り

 

ノマドランドを観てきた。

感想をひとことでいえばThat’s life。

ただし、そのThat’s lifeについていた色は、不安だった。私には。

 

 

広大なアメリカの地とノマドの暮らしを描いたこの映画により、私の中から最も引き出されたのは不安だった。

自分はこのように生きたいだろうか、という問いが、観ているあいだずっと流れていた。答えはノーだった。旅好きであっても、デラシネだという自己認識を密かに抱えていても。

そこに描かれているものは、「自由」ではなかった。こういう生き方を選択して、そこに身を置いて、自由を感じるありかたもきっとあるのだろう。すべてはそれぞれの内側にしかなく、自由はない、と決めつけることはできない。でも私は、その境地に至れないかもしれない、と感じた。

他にも、私がコミュニティに対して密かに抱えている欠陥が、観ているあいだにつくつく刺激されもした。ノマドな生き方は、ひとりでありながら、同時に逆にコミュニティとのコミュニケーションも要する。あるいは要するのではないかという懸念。それを勝手に予見して気がふさいだ。

人生のある時点で必要性を感じて長旅には出たし、年に1~2ヶ月の旅をする生活になってしばらくたつけれど、特記できるほどノマド的な生き方をしてきたわけでもないし、引っ越し回数もそこまで多いわけでもない。それでも、ノマドとか、デラシネとか、ベドウィンとか、自分はどうしようもなくそちら側だという意識がある。

転石苔むさず(A rolling stone gathers no moss)ということわざには2つの相反する意味がある。でも良い意味だろうと悪い意味だろうと、私は苔がむすほど同じ場所に留まりすぎると、淀んでしまうタイプだ。

でも、旅中の移動時間は好きとはいえ、人生においては、それとはまた別で、望んで移動し続けたいわけじゃない、むしろせわしなく移動し続けるのはめんどくさいし落ち着かなくていやなのだ。できればとどまっていたいとすら思う。デラシネなのにインドア虫も飼っている。大いなる矛盾。どちらかといえば、移動し「たい」というよりは、淀んでしまうので、ある程度とどまると本能が動き出せとささやく、だから、心理的にも物理的にも場を移動「せざるをえない」。属すること、根がはえることへの忌避感がある。

そういう点で、私は多くの病いや欠陥を抱えている。

<アカデミー賞最有力候補>車中生活をする高齢者を描いた『ノマドランド』。原作者に聞く | ハーバー・ビジネス・オンライン
キャンピングカーで生活する60代のファーンベネツィア国際映画祭金獅子賞、トロント映画祭観客賞を受賞し、本年度アカデミー賞最有力候補とされるクロエ・ジャオ監督『ノマドランド』が全国の劇場で公開されてい…

ジェシカ・ブルーダー氏によると、ノマド=車上生活を送るのは、劇中のファーンのような「リタイアできない65歳以上の高齢者」と「20代前半の若者」だという。年齢層は二極化しているようだが、ノマドを生んだ要因はやはり2008年のリーマンショックによる経済破綻なのだろうか?

ノマドランドにおける年齢層二極化のこの記事。読む前に思い出したのはサンティアゴ巡礼路だった。あの巡礼路を歩く人々も、世界中の全年齢層が集まっているとはいえ、ざくっとわけると高齢層と若齢層が多く、中間層が薄いという印象があった。

でも、アメリカでノマド生活を送る人の二極化の事情は、当然ちがって(重なる部分もあるのかもしれないけど)、アメリカ独特の環境によるものだった。と同時に、始める理由は人それぞれでもあった。発端が貧困である人は確かに多いだろうけど、一概に括れない。選んでその生活に入った人もいる。ファーンのように。

フランシス・マクドーマンドの佇まいにきちんとそれは現れていた。ファーンからは不安を受け取りはしていない。彼女が荒野に佇む姿からは。

だから、多分、きっとこれは私のものなのだろう。私がノマド生活を選ぶ二極のうち高い側に差し掛かっていることも要因かもしれない。

ノマドたちは自分たちの生活を肯定的に捉えていますが、必ずしもそれが全てではないと思っています。

これにつきる。私がこの映画から感じたことをあらわすなら。

That’s life. C’est la vie. それが人生というものさ。

そこには、酸いも甘いも含めた人生に対する受容や諦観といったトーンがある。どちらかといえば、それらの受容や諦観が板について久しいような気でいたし、最近は妙にフラットになってしまってつまんねえなとすら思っていたくらいだけれど、そんなことはなかった、体の中に隠れていた不安が、この映画から引き出されてしまったようだ。

アメリカを旅した時に味わった、大自然に心打たれながらも、方向指示器をどちらに出せばいいのか、どちらに向かえばいいのか、広大すぎて途方に暮れるあの感じ、ぽつねんとたたずみ、感じる漠然とした不安。That’s lifeを基盤にしているつもりでも、生き続ける限りふとした拍子に浮かび上がるもの。

この映画から受け取るものは人それぞれだろう。中には、良い映画の良い余韻を受け取って劇場をあとにする人もいるのだろう。か。と、感じた先から訝しむほどには荒涼を抱えたまま帰宅した。

でも観てよかったんだけど。だけど、ベストではないかな、と思いながら。

もとから観賞前は前情報を極力さける方ではあるけれど、最近映画から遠ざかっていることもあって、Twitterの事前の雰囲気をいつも以上にキャッチすることなく観に行ったのだけど、久しぶりに映画アカウントの感想をのぞいてみた。

すると、スリービルボード並みに評判がよい。驚いた。まあでも、主役がF・マクドーマンドだしアカデミー賞候補だし、比較する人が多いのもわからないでもなく。さすがアカデミー賞は強いな、と。

けれど、絶賛、みたいな空気で湧いているのが、ぽつねんと途方にくれた心理状態をそのまま持ち帰っていた私には、なにか自分との温度差を感じて不思議な気がした。

映画から引き出されるものは、その時の心調によってもちがうから、別の時に観たら、よかった、これも人生、とほんわり劇場をあとにしたのだろうか。

まあ、それでも観てよかったんだけど。

とほ