貧乏性なので、色違いの付箋があると、一番好きから遠い色から使ってしまう。好きな食べ物も最後に取っておくタイプ。
そうやって取り置いた結果、一番好きなものに到達できなかったり、時を経て忘れ去ってしまったり、どこかにやってしまったり、ついには人に始末されてしまったりすることもあるというのに。
好きなものはまっ先に獲得すべし、最初に使ったり食べたりすべしと、昨今の幸せ学のようなものは奨励しているようだ。幸せ学の具体的な名称が思いつかないからそんな学問などないかもしれない。けれど理にはかなっている気もする。その方が確実に満足度が得られるから。効率もよい。
それでも私は付箋の青から使う。オレンジや緑はいつかのだいじなときのためにとってある。
寒色系は嫌いじゃない。むしろ青は好きだ。けれど付箋の色としては君は少し存在が薄い、などと思ってしまう。暖色系の方が、はい!これだいじ!を少し未来の私にアピールするには向いている。青だと、付箋しておきますけれど別にわたしはあとでいいですから・・・という遠慮深さを感じる。付箋としてそれではだめなのだ。付箋に謙虚さはいらない。
そういいながら、いますぐにでも付箋したいだいじな箇所に付箋するために、五色の中で一番どうでもいい色を選んでいる。これはどうしたことだ。青、君がいるせいだ。
そもそもなぜ君は付箋としてここに顔を並べているのだ。緑?緑は私のお気に入りだからいいのだ。それにかつがつ暖色系とうまくやれないこともない。赤や黄色やオレンジは、なんならここにはないピンクも、付箋にふさわしいアピール力がある。この先も付箋仲間としてやっていく気があるんだろう、ああん? それなら根性を叩き直す必要がある。
青の付箋にはなんの責任もない。ないのに今私に正座をさせられて説教を受けている。はい、はい、と殊勝な顔して聞きながら、あーあ早く家に帰ってビールでも飲みたいな、と内心は思っているのかもしれない。
青だって付箋に選ばれたくて選ばれたわけじゃないのかもしれない。青には青の活躍できる場所がある。というか、そもそも本当に青は付箋としてふさわしくないのだろうか。私に選ばれたのが青の不幸だったのかもしれない。付箋としてすばらしいな君は、と言いながらうきうきと使う人だっているだろう。ぺたぺた貼られていきながら青の付箋はひそかに嬉し涙を流すだろう。クールを装いながら涙で行間を濡らすだろう。
待てよ。そうすると私に貼られる青はどうだろうか。行間に落書きをしたりこっそり移動して未来の私を混乱させたりはしないだろうか。おとなしいやつは切れると怖いのだ。ここはひとつ機嫌を取っておこう。いや私も言い過ぎたようだ。どうだい、一杯ビールでも飲みにいかないか。おごるよ。
さて気づけば千字を超えている。即興雑談の最低文字数規約にある四百字の二倍以上だ。上出来だ。書いたのは文字を埋めるための戯言なので、ここから人生哲学を学んだりしないように。私をパワハラ上司にあてはめたりしないように。
とほ