東京国際映画祭作品1本、インド映画3本、それ以外の映画4本を劇場で観ました。前置きはとばして、感想を書き落としていきます。順番は観た順です。
『LAMB/ラム』
原題:LAMB(2021年/アイスランド他/106分)
監督・脚本:ヴァルディミール・ヨハンソン
出演:ノオミ・ラパス、ヒルミル・スナイル・グズナソン、ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン
今回記事を書くにあたり、はじめて日本の予告を観たのだけど、あれは禁断(タブー)なんだろうか。夫婦は目の前に現れた事象に反応しただけだ。こういう現象が目の前に現れた時、意味を探さないのは難しいかもしれない。とりわけ癒えてない傷を持つ人にとっては。
あの存在の始まりでは何があったんだろう。起源ではタブー(と人間がみなす)行為があったのかもしれないけれど、それは語られていない。すでにそういう存在である彼にとっては少なくともタブーではないだろう。あれは、人間の「みなす」行為に対する怒りかもしれない。あれは非現実でこれは現実、あれはタブーでこれは幸福だとして他を排除する行為に。
マリアという名前からもこの映画はキリスト教との関連が思い浮かぶ。でもだれかがあれは悪魔だと言っているのを目にしたけれど、キリスト教なら悪魔を想起させるのは山羊だろうし、これは羊だ。どんなに不穏であっても。茫然と立ち尽くすマリアの表情は、少なくとも私には、彼女自身がまよえる子羊であるように見えた。
それにしても北欧はダークな、でもダーク一辺倒ではない、不穏で途方にくれる寓話のような物語がすごくはまる。白夜が活きる。白夜ってなんだろう、こういう物語にすごくはまるのは、明るいのにまぎれもなく夜だからだろうか。
『秘密の森の、その向こう』
原題:Petite Maman(2021年/フランス/73分)
監督・脚本:セリーヌ・シアマ
出演:ジョセフィーヌ&ガブリエル・サンス姉妹、ニナ・ミュリス他
これも『燃ゆる女の肖像』監督作というだけで、前情報を入れずに観に行った。どこかで見た二人の少女の絵柄くらいは頭にあったかもしれない。
冒頭、オーヴォワー(さようなら)と言いながら病室をめぐる少女が出てきて、最後の部屋で1人の女性の背中がうつり、タイトルが出る。「Petite Maman」。それでこれから始まるのがどういう話かなんとなくは予測がつく。一方邦題は、タイトルだけでネタバレかましてくることもある邦題だけど、今回は逆にぼかしているのか、悪くないな、なんて思っていたけれど、数日後に別の映画館で得たパンフレットを見たら、中央に思い切り「それは、8歳のママだった」と書かれていた。まあどちらにしてもこれ、ネタバレがどうの、という話ではないからいいんだけど(じゃあなぜ書いたんや)。
実際そのままの話で、その見せかたが好きかどうかになるのかな。すべてがさりげなく、現実と地続きで起こる。私はとても好きでした。
この監督は、前作でも感じたことだけど、ほとんど音がない中で話が進んでいき、ここぞというところでかかる音楽が効果的だ。でもそれは、音楽がいいというのではなくて、や、いいんだけれど、音量がこちらの予想を超える大きさなので、はっとする、という感じ。それが逆に効果をもたらしている。静かに見つめて蓄積されていた物語が一気に流れこんできて、感情の扉を開かせる。
静けさの方は、アピチャッポンのような雰囲気が少しある、と思った。
『スーパー30 アーナンド先生の教室』
原題(英題):Super 30(2019年/インド/ヒンディ語/155分)
監督:ヴィカース・バール
出演:リティク・ローシャン、ムルナール・タークル、ヴィジャイ・ヴァルマー他
かっこいいがすぎるリティク・ローシャンがかっこいいを懐にしまって、とはいえ別の意味でかっこいい実在の教師アーナンド・クマールを演じている本作。実は英語サブタイトルのDVDを持っているんだけれど、積んでいる間に公開が決まったので、未開封のまま公開まで待った。
映画としての魅力ということではそこまでの引きはなかった、とはいえ、スーパー30というタイトルは原題通りであり、文字通りそういうことであり、つまりクライマックスは最初から提示されているのだけど、実際にその場面になったときには素で、すげー!と鳥肌がたった。いや、これが実話はすごい。
『ガリーボーイ』で脇役ながら強い印象を残した俳優ヴィジャイ・ヴァルマーも成功した教え子として出演していて、この人の視点で語られるのもよかった。あと他の俳優では、記者役のアミット・サード、主演映画はピンと来ないのに(私見)、こういう脇でぴりっと、という役柄ははまるなと思った。
あと冒頭、アーナンドが、座り込んで本をむさぼり読んでいるバナーラス・ヒンドゥー大学の図書館は、2017~2018年の年末年始のバラナシ滞在中に見学に行った。中の撮影はNGだったので写真はないけど、天井が高い円形の広い学習スペースと、書庫の書物の古さとその匂いが印象に残っており、ここで撮影されたのかあ、とひとり盛り上がっていた。
観終わって一番考えていたのは、本筋の主役の先生よりも、はみだした一人のこと。一歩遅れの重みを身で学んだあとで、運がふってくること、その運を活かすことについて。あれが実話かはわからないけれど、ゼロを発明するにはまず1-9がなくてはならない、というのは、彼のケースにもあてはまる。30からはみ出して入れなかったけれど、一度は遅れによりチャンスがゼロになったわけだけれど、そもそもあの場で食い下がっていなければ、30に空きが出た時点で思い出してもらえることはなかった。あくまでそれは運ではある、運は運だから降ってくるとは限らない、でもゼロのところに種を巻いておく、だめもとで存在を示しておく、という態度はだいじ、もし一歩先にいきたいのなら。などなど。
『響け!情熱のムリダンガム』
原題:Sarvam Thaala Mayam(2018年/インド/タミル語/130分)
監督:ラージーヴ・メーナン
音楽:A.R.ラフマーン
出演:G.V.プラカーシュ・クマール、ネドゥムディ・ヴェーヌ、アパルナー・バーラムラリ他
南インド映画界の大スター、ヴィジャイに傾倒していた一人の青年が、インド古典音楽の打楽器「ムリダンガム」の巨匠の演奏に触れ、自らもその魅力に目覚めていくストーリー。
荒川区にあるインド料理屋「なんどり」のオーナーさんがこの映画に惚れ込み、配給会社を立ち上げてまで上映にこぎつけた、ということでも話題の本作。実はこれも日本語字幕付きDVDを持っていたにもかかわらず積んでおり(汗)、今回が初観賞だったりする。本国インドでの上映にさきがけての2018年の東京国際映画祭での上映は知っていたし、その後も何度か、その頃は『世界はリズムで満ちている』の邦題で劇場で観る機会はあったにもかかわらず。それで今回ようやく観てみて、頭をかしげた。私なんで今まで観てなかったんだろうな。
小手先も何もなく、ただ真摯にまっすぐに何かひとつのことを突き詰めていくということ。楽器は、楽器に限らずだけれど、音楽を、芸術の道を究めるというのは、元の才能も少しは関係あるだろう、技を磨いていく過程ももちろんだいじだ、だけど一番だいじなのは、ありかた、内側にあるものかもしれないと青年ピーターを通じて気づかされる。
世界はリズムで満ちている。心に音楽があふれている人が見ている世界。正直にいえば、最初の邦題の方が、青年ピーターの内側とその目に映る世界をとらえていてとてもしっくりくる気がして好きなのだけれど、楽器の名称を題名に含めることで、認知してもらいたい意図もあったのかもしれない。
最後は、素直に胸をうつ。なんとか蹴落としてやろうと画策していた意識にさえもすがすがしいほどに白旗をあげさせる圧倒。それはけして技だけではなしえない。あと、師匠のキャラクター造形もとてもリアルだと感じた。芸術家の難しさが表面的じゃないというか、素でそういう人なんだろう、と思わせる感じが。あと、奥様もよかった。
『RRR』
原題(英題):RRR(2022年/インド/テルグ語/188分)
監督・脚本:S・S・ラージャマウリ
出演:N・T・ラーマ・ラオ・Jr.、ラーム・チャラン他
ザ・大活劇。ストーリーはシンプルなので、その軸に沿ってラージャマウリ節をどれだけ楽しめるかで作品の印象が変わってきそう。ラージャマウリ監督作は、私は実を言えば、バーフバリ、マガディーラはそこまで嵌まれてなくて、でも今回はそれに反して! というのを期待したのですが、やはり似たテンションで見終わりました(汗)。どうも自分は長編スペクタクルな映画は、国は関係なく、尿意より眠気を催しやすい体質であるかもしれない。
とはいえ、盛り上がりどころはあって、自分的に一番盛り上がったのは、神話に帰着したところ。今度は英国植民地支配下にある時代の話というところも興味深くはあったのですが、そこからの、というのが、やっぱりインドや!みたいな。て最初から最後までインドなんですが、神話の時代、古代、近代、現代、どこをとってもインドはやはりおもしろい。二人の名前を見れば由来はラーマーヤナだろうなということはわかっても(ビームはわからなかったので調べた)、ストーリーが思った以上に帰着してた。いやその格好のまま行くんかいwとは思いましたが。でも必要だったんだろうな。帰還だから。
あとナートゥダンスにはやられましたし、ラーム・チャランのまつげにもやられました。ラージャマウリ映画は、私は平温で観終えてから、ツイッターの熱狂からは少し身をおきつつそれでも怒涛のタイムラインに漏れ出てくる140字以内にうまくまとめられた感想を目にするなどして、なんかだんだんおもしろかったような気になり、そ、そうか、じ、じゃあもう一度くらいは観てみるかな・・・という気になるという、自分の中ではあまりないパターンが形成されつつあるかもしれない。
とはいえアーリア・バットがでてきた途端、家に帰ってきたようなほっとした感があったのはなんだろう、私はやはりヒンディー映画びいきなところはあるかもしれない。このところボリウッド方面は苦戦が続いているようだけど盛り返して欲しい。
『イニシェリン島の精霊』
原題:The Banshees of Inisherin(2022年/アイルランド他/109分)
監督・脚本:マーティン・マクドナー
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン他
東京国際映画祭のガラセレクションで。TIFFは毎年ほぼ素通りなのですが、マーティン・マクドナー作品が好きなのと、来年1月の公開時には日本にいないようなので、どうしても観る機会を逃したくなくて、先行抽選販売に申し込んだら通りました。ありがたい。
マクドナー作品は、私はサム・ロックウェル目当てで観た『セブン・サイコパス』が最初で、パンフレットを一目見て、あこれ絶対好きなやつだとピンときて観たら予感がビンゴとなり、それまで若干アウェイ気味だったコリン・ファレルもきらいじゃなくなり、次に観た『ヒットマンズ・レクイエム』が性癖どんぴしゃで完全にはまってしまい、コリン・ファレルへの印象もここで完全に反転してブレンダン・グリーソンとともに癖になる俳優入りし、なので『スリービルボード』には完全にできあがっていた状態でのぞんだんですよねー・・・ってすみません、頼まれもしないのに経歴語るなどして(赤面)。
いやーもうね、In Brugesのこの予告編が好きすぎて、仕事の息抜きに何度ヘビロテしてきたことか(息抜き?)。コリン・ファレル、アメリカ映画に出ている時はちゃんと聞き取りやすいクリアな英語を話すのに、この中ではくぐもったアイルランド訛り(多分)で話すのが本当好き。途端に私の耳では解像度がひどく落ちるけど。
そういうわけなので、ブレンダン・グリーソン&コリン・ファレルとの再タッグ、しかもアイルランドのどこかの島が舞台となれば、はずせるわけがない。満を持して観に行ってまいりました。
それで。結論からいうと、スリービルボードのようなヒットはしないかもしれない、とは思った。けしてわかりやすい映画ではない。でも逆にヒットマンズレクイエムが大好きなおかしな人々なら、おかえりマクドナー❤️となるんじゃないだろうか。そういう意味では期待を裏切らなかった。少なくとも私は好きだった。好き、という言葉を使うのは若干ためらわれるけれど。
コリン・ファレル演じるパードリックはどこからどう見ても素朴な気のいい人間だ。なのに、ある日いきなり親友と思っていたコルム(ブレンダン・グリーソン)に絶縁される。前半は、人を食ったような、くっという笑いがたびたびあるし、ロバはかわいいしで、コリン・ファレル史上最高の八の字眉とロバを愛でる映画、と感想に書く気満々でいたんだけど、しだいに島(概念)から想起される鬱屈が立ち込め始め、やがて可視化されていく。島(景観)自体はこの上なく美しいというのに。
誰もが互いを知っている小さな島で絶縁されるパードリックを気の毒にも思う一方で、パードリックにとっては突然であっても、コルムにとっては積み重なってきた結果であってこれ以上もう1ミリも無理となってしまったんだろうな、とコルムの気持ちもわからないではなかったり、悲劇はそれが小さな島で起きているということで、島出ればいいのに、私だったらさっさと出るのに、とは思うものの、そう簡単にいえないのもわかりはしたり。
そういうわけで悲劇は起こる。けれど、一方でそれは悲劇ではなくて、単なる日常の続きのようにも思う。救いがあるかというとどうだろう。観た人によるかもしれない。わかりやすい答えはどこにも落ちてはいない。ネタバレを回避したつもりなので、何言ってるかわからなかったらごめんなさい。
バンシーは「アイルランドおよびスコットランドに伝わる妖精」で、「人の死を叫び声で予告するという(by Wikipedia)」。昔、泣き女のような濡れた感じのイラストだかを見て、湿った空虚と陰鬱の入り混じる怖さを抱くなどしていたし、バンシーがどういうものかいちおうは知っていたのに、前半のマクドナー流ブラック風味にしばらくだまされた。多分バンシーの役割を果たしているのはあのおばあさんなんだろうけど、あの姿は、どちらかといえば、いやどうみても『第七の封印』でしょう。
『アムステルダム』
原題:Amsterdam(2022年/アメリカ/134分)
監督・脚本:デヴィッド・O・ラッセル
出演:クリスチャン・ベール、クリスチャン・ベール、 マーゴット・ロビー、ジョン・デヴィッド・ワシントン他
クリスチャン・ベール二度打ちはタイプミスではございやせん。申し訳ありません、長年の推しなもので。その遍歴が気になるという物好きかつありがたい方には過去のクリスチャンべール巡りの旅を見ていただくとして、観に行った動機は一にも二にもそのクリスチャンが出ていたから。
言わずもがなの変身自在俳優さんなので、それが観られるだけで満足してしまうファン視点はあるのだけど、それは映画自体は?だった『ソー:ラブ&サンダー』にも適用されたのだけど、本作に関しては、本作に関しても(すみません、この先ほめてません)映画自体はお口にあいませんでした。
観ているあいだ、うわすべり、という言葉が何度か頭に去来するなどした。どうにも頭に入ってこない。特に前半、コメディの雰囲気を出したいのはわかるんだけど、毎回微妙にはずしているというか、なにがしたいのん・・・?となっていき、それでも後半、将軍が出てきてからは多少話はしゅっとしたけど、これが語りたいことなら、センスのないコメディ要素を入れずに真摯に作ってもよかったのでは、なんて思ってしまった。ひどいね。
というか私、もうデヴィッド・O・ラッセルはいいな。『ザ・ファイター』がよかったので、クリスチャンの演技がよかったというのもあるけれどそれだけではなかった気がしたので、過去作新作観るようになったのだけど、観るごとに、うーん?が深まっていき。なんつうか、おしゃべりがすぎるんですよ。『世界にひとつのプレイブック』『アメリカン・ハッスル』でも思ったけど、セリフに頼りすぎというか、なんでも口で説明しちゃう。言葉が多い映画全部がNGなわけじゃない。そこを楽しむ映画だってたくさんある。だけど説明がすぎるとどうにも興ざめする部分が私にはある。映画とは?となってしまう。
あと「ほぼ実話」という切り口も、豪華キャスト!といううたい文句も飽きた。少なくとも今回は、前作のようなロバート・デ・ニーロの無駄遣いじゃなくてよかったけれど。どうも何から何まで口に合わなくなってしまったようだ。コメディっぽくするなら他の監督・脚本で観てみたかったというか、つまり自分とこの監督との相性が悪いということなんだろう。でもクリスチャン出ていたら凝りもせず観に行ってしまうんだろうな。やれやれだ。最近のクリスチャンは相性がよかった監督作品に出ることが続いていて、個人的にはもう少しこう、違う色の映画もそろそろ観たいなあ(とずっと言っている気がする)。
とはいえ中心の3人の俳優さんはよかったです。今までピンとこなかったマーゴット・ロビーが魅力的だった。
『アフター・ヤン』
原題:After Yang(2022年/アメリカ/96分)
監督・脚本:コゴナダ
出演:コリン・ファレル、ジョディ・ターナー=スミス、ジャスティン・H・ミン、マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ
実はこの映画はちょっとチート、これだけ11月に入って観ました。本当は『イニシェリン島の精霊』の前に観て、自主コリンファレルはしごデーにしたかったんだけれど、どうにも時間とれず、でもどうしても気になって。今は仕事つめつめ、この先も引っ越しその他で怒涛の日々なので映画観賞はこれでしばらく打ち止め。
前置きはよいとして、始まってすぐ、一秒目のシーンから、あ、これ間違いなく好きだ、という予感があり、続いてすぐに家族ダンスバトルが始まり、真顔の本気に笑いが漏れ、ダンスが終わったところでタイトルが出た。なぜかそこで既に泣いていた。
泣くような映画ではないのかもしれない。全体的にはとても静かな映画だ。メモリは記憶なのか。記憶の断片がひとつづきの流れになって、それがただ美しくて、その美しさに気づけばまた泣いていた。美しさに泣くなんておかしいのだろうかと思っていたら、ミカが父親になぜ泣いているのかと問いかけて、そこで父親も泣いていたことがわかった。そうだよね、あの一連はそうさせるだけの要素がある。私はその記憶の一部でもなんでもないのに。共有しているわけじゃないのに。
カズオ・イシグロの『クララとおひさま』を読んだことがある人で、この映画を観たらやはり連想しちゃうんじゃないかな、と思った。アンドロイドだからという共通点だけでなしに。アンドロイドから人を見る目のやさしさ。やさしくみえるのは人間の勝手な受け取り方にすぎないとしても。
挿入歌でもあり最後にかかったGlide(グライド)の歌詞が、今の私の心境にとてもマッチしていた。静かなものを求めている時期なのかもしれない。
語りすぎずに多くを語るものが私はやはり好きなのだ、理屈じゃなく、ただどうしようもなく好きなのだと、あらためて感じた。観てよかった。大好きだった。
とはいえやはり冒頭のダンスも癖になるのよねw。この家族ダンスバトルの人々は、本編中でも出てきた人であったことがあとでわかる。
以上、かけあし&ほぼ自分のための覚書でした。ほめてばかりではないので、これ読んでくださった人の中で、中に好きな映画があったらごめんなさいね。あくまで個人的な感想です。
とほ
p.s.
コリン・ファレル、俳優自体が好きというより、好きな映画やつい手が伸びる映画に出ている率が高すぎなのよ。
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