昨年秋のインド旅にて。デリー国際空港に夜中に到着後、空港内で早朝まで待ってタクシーで駅に直行、列車に乗ってバレーリー という町に着いた。そこでオートリキシャーを捕まえ、ホテルに向かう途中に町の景色をみながら感じたこと。
それなりにインドでの旅の回数や期間が増え、インド映画もそこそこ観てきたという背景がある中で、たった今目の前に広がる慌ただしい光景、渋滞、騒音に感じる懐かしさが、自身の旅の記憶に根差すものなのか、映画のシーンから来ているのか、そのどちらもあるんだろうな、と思った。
それは面白くもあるけれど、少し危険な気もした。
まだ見分けがつかないほど衰えてはいないつもりだけれど、記憶は自分が思うよりずっと持ち主に嘘を付く。浮き上がった時点で、これは実際の記憶、これは映画、と振り分けはできるけど、すべての記憶を管理してはおけない。表舞台に出ていない間に置き換えは平気でおきるだろう。その記憶が新鮮なうちは、浮き上がるたびに補正されるとしても、年数がたち記憶が薄れるほど、置き換えは起こりやすくなるだろう。そこに加齢による機能の衰えが加われば、それは加速し、置き換えの多くが放置されたままになるのかもしれない。
とほ