トイレットペーパー、三角折りにする?

問わず語り

 

わたしはトイレットペーパーの三角折りの正しいやりかたを知らない。

正しいやりかたも何も、ただ折ればいいだけじゃないか、と三角折りが習慣になっている人は思うかもしれない。

そう、わたしはトイレットペーパーを三角折りにする習慣がない。

以前は三角折りにされているのをみてもなんとも思わなかった。まあ、されていたら、されているな、くらいは思ったかもしれない。うまいな、と思うこともあったかもしれない。なんならちょっと持ち上げて折り方を確認したこともあるかもしれない。自分でもやってみて、案の定ぼやぼやゆるい三角にしかならず、速攻自主回収したこともあったかもしれない。

いずれにしても、やる人は習い癖でついやってしまうんだろうなと思っていた。手持ち無沙汰なのもあるかもしれないと思っていた。

三角折りを「マナー」だと思っている人がいると、それも少なからずいると、知ったときはちょっと驚いた。それでもまだ、そうなんだ、くらいにしか思っていなかった。

何年も前になるけれど、たまたま見つけてなんとなく読むようになったブログがあった。地方移住した女性の書くブログで、とくに地方移住に興味があったわけでもなんでもなかったのだけど、文章から、柔軟で多面的な思考を持つ人柄を感じられた。ポジティブに偏りすぎも、啓蒙に偏りすぎもしてなくて、とにかく私にはいろいろとちょうどよくて、ときどきふらっと行っては読んでいた。その人の書く文章がきらいじゃなかったんだろう。読み続けるのはだいたいそういうことだ。

その人があるとき三角折りについて書いていた。三角折りは常識なのにしない人がいる、と怒っていた。あとの人のためのマナーなのに信じられない、と憤慨していた。知らなかった。三角折りはかなりきびしいマナーだったのだ。それ以上に、その人がそう考えていることに、しない人を糾弾する強い論調に、びっくりした。

それで、うむ、となって、脳内障子がそっと閉まり、なんとなくそれ以来、そのブログから足が遠のいてしまった。

その人はその人の書きたいことを書いているだけだったろう。別にわたし個人が責められたわけでもなんでもないし、自分と考えがちがったって、別にいつもしゃっしゃしゃっしゃ障子が閉まるわけじゃない。どころか、普段は、ちがっていてもそれはそれ、がわりとうまくいっている方だとは思う。むしろ、ネット上で、自分に関係ないところで(というのがなんともずるいが)、他人の自分とは違う考え方を読ませてもらうのはおもしろくて好きなくらいだ。

なのに、その時は、なんで障子しめちゃったのだろう。決めつけをしない人、と勝手に思っていたのが敗因だったのかもしれない。意外と自分の常識=みんなの常識と考えている人なんだなあ、ということに勝手にがっかりしてしまったのかもしれない。

なぜそんなことを思い出したかというと、今宿泊しているところの件のペーパーがそなえられているみなが大なり小なりの集中をするあの小部屋で、トップ画像の但し書きを見たから。

但し書きは、この2年の感染症界隈の騒動に起因するものだろう。コロナ禍は、衛生面に限らず、既存の常識をさまざまなところで反転させる作用があった。そう考えるとあながちコロナも悪くなかった。と書くと不謹慎かもだけど、だし、すっかり過去形で話しているのはどうよという別の問題はおいといて、少なくとも「三角折りはマナー(圧)」がほころびそうな今の流れは、わたしのような人間には悪くないように思える。

これは、三角折り自体がだめ、という話ではない。別段、三角折りをしたい人はしたっていいのだ。

あ、でもどうかな、感染症騒動でのメンタル面での後遺症というか、今後は、少なくとも今後しばらくは、三角折りがしてあると、人の手が触ったんだ、と、一瞬、むむ、という反応をしてしまいそうな自分はいる。やっぱりめんどくさい騒動だよ(どっち。

今ちょっと三角折りについて調べてみたところ、もともとはホテルの清掃済みのサインとして始められた、と書いてあるのをみて、そうだったのか、と思った。なにごとも背景はある。

ただ「常識」は、人によって思うより異なる。法を軸に作られるものもあるだろうけど、世の中である程度の人数のコンセンサスを得て暗黙の了解でできあがる部分もあるだろう。日本はこの暗黙の了解でできあがる「常識」が多い気もするけど、だから日本は、といいたいわけではない。他の国だって、外から見ると、一風変わって見える「一般的な」(と思われる)考え方は存在する。

ともかく、自分がそうと思い込んでいることが果たして本当に「常識」、「マナー」、「あたりまえ」、「みんながやってる」ものであるか。人に自分のそれを押し付けていないかどうか。定期的に顧みる必要があるように思う。

とさも賢しげに書いているが、三角折り以外で、自分も気づかぬうちにそっくり同じ罠にはまっているかもしれない。はまっていそう。思いつかないけど。思いつかないからこそやばい。今もそら、そういうとこやぞ、と、障子をしめた人がいるかもしれない。怖くなってきたのでこのへんでやめる。

 とほ