昨日は旅中の移動手段としてバスをディスって?しまったけど、バス移動はバス移動で好きだ。書き物には向かなくても。厳密にはインドのバス移動が好きだ。
というわけでこの先は主にインドの話だと思ってください。
寝台列車は、年齢が年齢なのと旅へたれなので、暑さで寝苦しいのいや、荷物の安否に不安を覚えながら眠りが浅くなるのもいや、というわけで、選ぶのはたいてい、人の層もいいAC付きの3tier(3段ベッド)か2tier(2段ベッド)。
でもそうすると、風景という点では、1段目の席を選ばないと窓の外が思うようにみられなかったり、そもそも光が入らないように窓が最初から真っ黒に塗られていたりする。ので、風景を楽しむという点では、バスに軍配があがる。
もちろん列車でも、日中の5~6時間の短い距離などは通常の座席(CC)で移動することもある。その場合は外の景色はみられるし、列車から眺める景色もとても好きなのだけど、こういってはなんだけど、時折のはっとする景色以外は割とすぐ飽きる。
その点、日があるうちのバス移動は、インドを近くに感じるという点においては最高だ。やることといえば考えることか窓の外やバスの中をながめるくらいしかやることがない(前記事参照)。それがいい。
ほとんどの場合、ACはついていないから暑い。そういうバスを選んでいるんですが。ただ、4、5月の猛暑に行ったことはないせいか、暑いけど、すごく暑いんだけれど、走り出せば窓の外から風がはいってきてなんとかやりすごせないほどじゃない。
でもバスの中はきれいじゃないし、窓あいているから鼻の穴まっくろになるし、イスこわれてるし、ぎゅうぎゅうつめてきたりもする。
しょっちゅうトラブルも発生する。道半ばでバスが故障したり事故にあって途中で乗り換えを余儀なくされるというような事態は、初めての時こそ途方にくれたけど、今では、はいはい、またですね、でどのバスに乗り換えればいいのでしょう、という感じ。
何がいいのか。
バスは町が、人が近い。なんなら動物も近い。田舎道では、ラクダと犬と牛と羊と猿とロバが同時に視界に入ってくる、というような情報量多い世界が展開されたりする。炉端で取っ組み合いの喧嘩をしている横を通り過ぎたりもする。町から町にたどりつくたびに人いきれが戻り、すぐそばで人々の生活が展開される。市場、露店、チャイ屋、サイクルリキシャ、オートリキシャ。バスのクラクションのうるささは半端ない。それに負けないほどの呼びかけの声。とにかくうるさい。なにもかもが笑っちゃうほど大音量。それがいい。
そして人が放っておいてくれない。インドに限らずどこにでもおかしな人はいるからアンテナははっていないといけないのだけど、あとインドはどこでもそうという話ではまったくない、バスの種類にもよる、地域にもよる、のだけど、途中休憩が町中だったりすると、停車中のバスの中にいる外国人の私を目ざとくみつけ、わざわざ乗り込んできて家族の自己紹介がはじまったりする。日本の仕事を紹介しろと言われることもある。なかなかめんどくさい。それがいい。
人が放っておかないということは、めんどくさくもあるけれど、助けてくれる人が多いということでもある。本当に多い。車内で行き先があっているかと車掌さんに聴くなどすれば、必ずといっていいほど私が降りるまで気にかけてくれる人がいる。
前述のようにバスの乗換えが起きた時などは、助けてもらえなかったことがない。そして、これは申し訳なくもありがたいことなのだけど、外国人を優先してくれようとする空気がある。皆、先に急ぎたいのは同じだろうに、いつ来るともしれぬバスがやっと到着し、のりこめるのがひとり、となった時に、一斉にみなが後ろにいる私を振り向いたり。
AC付きのきれいめなバスを選べる路線もあるし、夜の移動は、寝台列車と同じように横になれ、カーテンで仕切れるスリーピングバスを選ぶ。だけど、睡眠を気にしなくていい日中は、ACがついてなくても、町や人に近いバスをあえて選ぶ。
インドのバスの旅が好きだ。そのことを、旅をしているとなんども味わい返すことになる。人が絡んでくるのは本来そこまで歓待する性質ではないのだけど、なぜだろう、インドではウェルカムのスイッチが入るんだよねえ。(※)
その背後には、無事に着けるかしら、とか、やけに胸焼けするけれどさっき食べたサモサは大丈夫だろうか、という小さい不安や不穏、斜め前にすわる女性のあやす赤ん坊がどうみてもほんの生後一カ月満たないことへの驚きなどなども抱えつつ、ではあるのだけど。それもまた、悪くないのだ。幸せいっぱい安全いっぱいでないのがまた。
あーあ、ほらあ、書いているだけで、もうインド行きたくなってきた(知らんがな。
バス移動が好きというより、インドが好きという話をして、おちがないまま終わります。
とほ