父の車で最後のドライブ。

故郷下関ネタ

 

567禍に突入して以来帰省していなかったけれど、帰るなら、緊急事態宣言が解かれ、感染者数が激減していて、次の波が来ていない今のタイミングしかないでしょう、と、実家のある下関に帰ってきた。

高齢の父が免許証を返納する話はずいぶん前に聞いていたし、車を手放すのは今年の秋頃になることも母から電話で聞いてはいて、そのたびに少し寂しくは感じていたけれど、10月に入り、11月上旬の具体的な日付を聞いたときに、その気持ちがいつになく募った。今までは、父の運転に対する思い入れなど特に強くもなかったくせに、次に帰った時には家の前に父の車が止まっていないのだなあ、と思ったら、なんだかたまらなくせつなくなった。

でも、車は半分口実で、いい加減そろそろ家族の顔が見たい、というのが本音だったかもしれない。実のところ、さすがに、すごく、帰りたかった。もう2年近く帰ってない。でも関東からの遠距離移動ということも含めもろもろを考えると、帰ろうかな、とは言いだせなくて、そっか、私乗れないままかあ、さびしいねえ、とだけ言ってその時は電話を切った。でも多分、さびしいねえ、に力がこもってしまっていたんだろう。数日後に、母から、帰ってこない?と背中を押す電話がかかってきた。

まあ、そんなしんみりふうな話をしておきながら、別の頭では、脳内旅企画班が、脳内会議で、次帰省するとしたらこんな移動手段ありますだの、下関ウォーキング案だの、島どうすか島だの、あんな企画やこんな企画をもりもりプレゼンしまくっており、旅実行班がうずうずしていた、というのもある。

旅方面の話はおいおい記事にするとして、そんなわけで、いそいそと帰りのチケットを取った。激減とはいえ、できる範囲内で目に見える安心材料は確保しておきたかったので、前日に渋谷でPCR検査を受け、移動当日に陰性結果を受け取っての帰省となった。

帰省中は、父の車であちこちに出かけた。父と母はこの1年、年の3分の2は、いつも同じような茶色い系のお弁当を作り(母のお弁当は昔から茶色系)、いつも似たようなルートでドライブをしていたらしい。そのルートにもつきあったし、父のお気に入りという「グリーンロード」なる道も通った。あのあたりの道はだいたいどこもグリーンなロードだし、ぶっちゃけ私にはよく通る他の道とどう違うのかよくわからなかったけれど、高低具合が好みのようで、私がわからないのは、運転を忘れてしまった身であるせいかもしれなかった。妹の仕事が休みの日は、平均年齢の高い家族4人そろってドライブした。お墓参りもしたし、よく行っていた山陰コースはひととおり網羅した気がする。

ある時は、晴れ渡る中、

まずは、なじみのラーメン屋さんでとんこつラーメンを食べて

父のお気に入りである小串の海や、

本州最西端の岬、毘沙ノ鼻へ。知らなかったんだけどここ、希望者には本州最西端到達証明書なるものが発行されるらしい。ユーラシア大陸最西端ロカ岬にちなんだのだろうか。ちなみにイングランド本土最西端、コーンウォール地方にあるランズエンドでも証明書でます。証明書って・・・いる?(コラ)。

またある時は、曇天の中、

まずは千畳敷に行って

ここに来たら立ち寄るフォトジェニックなカントリーキッチンというカフェでランチを食べ、

元乃隅(もとのすみ)神社へ。『ナニコレ珍百景』でも紹介されたことのある賽銭を投げ上げる鳥居の位置は移動していた。投げてみたものの、真上に放り上げ真下に降りてくるという鈍臭さを発揮したため、一度で諦めた。

駐車場横の売店にいた猫。人懐っこくてかわいかった。

その後、同じくすっかり人気になった角島(つのしま)へ。この日は曇りがちだったため、海の色があまりうるおしくないのが残念だけど、晴れていれば、ここ山陰?と問いたくなるほどのブルーオーシャンを突っきっていく極上のドライブコース。

また、ある時は、お墓参りに行ったあと、

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高杉晋作の墓所、東行庵(とうぎょうあん)へ、少し早い紅葉を見に。

青梅のジャムのかかったソフトクリーム250円を食べ、

最後は名もない川に4人で降りて、セブンイレブンコーヒーを飲み、石切りをして帰宅。

 

 

ごく庶民な家庭、ごく庶民な普通車を、どちらかといえば母に手綱を握られながら何度か買い替え、最後の車は車検を2度終えて7年目。半世紀の車人生。

健康体という言葉は、父にも母にも正面切っては使えない。薬を飲みつつだったり、定期的に検査が必要だったり、だましだましのところはある。それでもふたりそろってなんとか元気でいてくれていること、おおげさかもしれないけれど、最近はありがたくてしょうがない。まあ、全然長生きしてもらうつもりではいるんだけどさ。

車を手放す日。父は、買い取りしてもらうディーラーのところまでひとりで運転していき、復路はお店の人が送ってくれるというのをことわり、バスにも乗らず、歩いて帰ってきた。特に不思議はない。よく歩く人でもあるから。父はルーティンの男であるので、これからも、車があった時もそうしていたように、よほどの悪天候でない限りは、午前中の決まった時間に歩く日々を続けるのだろう。母とのお出かけはバスになるだろう。いざとなれば妹の車もある。本数は少ないけれど電車だってある。問題ない。新たな段階に入るだけだ。

とほ