三年前の夏に広島平和記念公園に行った。
原爆ドームを見上げながら、ほぼ真上わずか600mの地点で爆発したという、その近さを思った。平和記念資料館では、当時の資料や被曝された方々やご家族の証言の動画が自由に閲覧できるブースがあり、長い間そこで動画を見続けた。
平和記念資料館の中は驚くほどの外国人観光客数だった。日本人を見つけるのが難しいくらいで、ぱっと目に入るだけでも、耳に入る言葉からだけでも、さまざまな国からの訪問客であることがわかった。
“平和記念資料館の入場者数は、外国人旅行者が年々大きく増加しており、日本人の入場者数が微増傾向なのとは対照的だ。2018年度には、外国人旅行者数は43万4838人で過去最高であり、全体に占める外国人の割合は23.4%と、過去最高を記録した。10年前の2009年度の16万341人と2018年度を比較すると、2.7倍になっており、比率も当時は11.3%と現在の半分以下だった。”
日本を訪れる外国人の多くは広島を行き先に選ぶと聞く。誘致がうまくいった結果と穿った見方もできるけれど、たとえ観光であっても、選ぶ人の多さは多少なりとも関心の高さを表しているように思う。
各国を旅していても、私が日本人と知るとまずヒロシマナガサキを口にする人は多い。インドのオートリキシャーワーラーも片言の英語とともにその名を口にする。知っているよ、と。
私たち日本人が思うよりずっと世界の人は認識している。
数日前に起きたレバノンの爆発事故で、ベイルートの市長は二都市の名前を口にしたという。規模や性質がちがうとかは関係ない。即座に思い出すほどに人々の意識に根付いている。
広島と長崎はもう、日本のものだけではない。世界の歴史においてひとつの象徴となっている、と言い切ってもいいんじゃないか。
世界平和という言葉は、おいそれと口にできないほど私には大きい。
口にするのが安易だという話ではなくて、口にした途端に実際の密度に反して、おそろしく軽く嘘ごとのように響くからだ。それでも人々の内側にはあるもの。とも思っている。だから、日々の生活の中ではもてあますとしても、たとえ今日一日だけしか黙祷しなくても、思い出すことに意味がないとは思わない。
国に関係なく、広島と長崎の名を知る人の頭にこの二都市の名前がうかぶ時、もちろんさまざまな立場からさまざまな見方もあるだろうけど、心ある人たちなら、一瞬でもそこにはその漢字四文字の言葉が各国語バージョンで同時に浮かんでいるのではないか。
平和祈念公園には実は子供の頃にも行ったことがある。けれどわたしはまだとても小さくて、鳩がひどく多かったことと、気づけば迷子になっていて父親が見つけに来てくれた時の表情と安堵して大泣きした記憶しかない。あれが平和記念公演だった、とあとで聞いて知った。
数十年後、そこに世界中から人々が訪れるようになる。
だけど、今年の夏はおそらくあの場所に外国人観光客の姿はないだろう。
日本を訪れていた海外からの訪問客の大半は今、自国で行動範囲を狭めた生活をしているはず。今年起きているさまざまなことに対し、胸の内でさまざまなことを考えているはず。
今年の8月6日はそんなことを思う1日でもあった。
とほ