音楽の効用と気圧の罪。

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問わず語り

 

なにか文章を書こうとして、今日はいやに栓が固いな、詰まっているな、出てこないな、と感じる時に、ストレッチをしたり、コーヒーを飲んだり、サプリを飲んだり、陽の光を浴びたり、シャワーを浴びたり、散歩に出たり、と、外側からなんとかしようとしてもうまくいかなくて、頭も重いし身体もこわばってなんだか膜に包まれたようだし今日はだめな日なんだな、とあきらめかけて最後にふと自分的に鉄板な曲をイヤホンで耳の中に直接落とし込んだ時にビンゴ、ということがある。何をしてもだめだったのに、特効薬は音楽だったということが。そのたった一曲が、体にまとわりついていた膜を溶かし、最初のひとことが出てきて、あとはするするほどけて流れ出す。それをパソコンのキーボードに、間に合わないならスマホのメモ帳に、それも間に合わないならそのへんの紙にうつしていく。

ただ、気をつけないといけないのは、その際に、音楽のムードに引きづられすぎないようにすること。エモーショナルになりすぎたり、逆にイケイケ無敵になりすぎたりしないように。音楽に引きづられすぎた文章もまた、夜中に書く文章のように、あとで読むと、はずかちー!と顔を両手でおおい、指の隙間からのぞくような代物になりかねない。少し時間をおいて、無音の中で読んでみると、なに書いとんねんわれ、とあとで消すはめになったりする。

なに書いとんねんはともかく、2日前はそんなふうに、音楽が突破口になった日だった。

音楽もしかし、いつも効くわけではない。むしろ最後の砦のようにすがるように聞いても、膜が一向に溶ける気配がない、なんてことも往々にしてある。むしろ耳の中にまで忍び込んだ膜によって音楽の浸透が阻まれ、ミュートをかけているかのごとくどこか遠くに聞こえたりする。そういう時は不思議に言葉も遠い。こうなると打つ手はない。あきらめて寝るか拗ねるかぼやくしかない。

膜は、他の刺激でオーバーフロウになっていたり、疲れていたり、睡眠が足りていなかったりすると、貼りやすい気がする。忙しさも敵だ。だから、睡眠を十分取るとか余白をできるだけもたせるとか、本来ならそこをなんとかしようとするだけでも詰まりは減らせるはずなのだけど。

しかし、自分ではどうしようもない、外部からの影響もある。気圧はなかなかめんどくさい相手だ。今日は気合をいれてやる、と決めた日に限って気圧のせいで、ごーろごろの1日になっていたりする。しかしなにしろ目に見えないので本当に影響を受けているのかはわからない。このやる気のなさは低気圧のせいだ、そうだそうだきっとそのせいだ、と決めつけても、実際には気圧は平常時と同じだったりするかもしれない。あるいは体質的にあいつ影響を受けるタイプじゃないんだけどな、と、ごーろごろしている私を俯瞰しながら、気圧は、オレのせいにすんなよ、と呆れているかもしれない。

だだだれも今日がそんな日だなんて言ってませんからね。

とほ