今日は灰色の西瓜の日/共感覚の話。

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問わず語り

ブローティガンによると、正確には『西瓜糖の日々』の主人公によると、今日は灰色の西瓜の日だ。

そのブローティガンは、私によると共感覚者ということになっているけれど、それはすべて『西瓜糖の日々』のこの一節に起因する。

日々の色彩と、西瓜の色の関係は次のとおりー
月曜日 赤い西瓜
火曜日 黄金色の西瓜
水曜日 灰色の西瓜
木曜日 黒色の、無音の西瓜
金曜日 白い西瓜
土曜日 青い西瓜
日曜日 褐色の西瓜
きょうは灰色の西瓜の日だ。わたしは明日がいちばん好きだ。黒色の、無音の西瓜の日。その西瓜を切っても音がしない、食べると、とても甘い。

 

So do I.  私が一番好きなのも、黒色の、無音の西瓜の日。これはもうずっとそう。週の中で一番地味だけれど、堅実で、地に足がついており、秘めた力を持っている。あまり自己主張しないけれど、それはする必要を感じないからだ。木曜日は自身で楽しむすべを知っている。自分の黒色で無音な部分をきっと楽しんでいる。そんな気がする。

ちなみに共感覚とは、説明するまでもないかもしれないけれど、こういうことみたいだ。

共感覚(シネスシージア synesthesia)とは、「一つの感覚の刺激によって別の知覚が引き起こされる」現象である。 文字や数字に色が付いて見える、何かを味わうと手に形を感じるなど、一言で言うと「感覚と感覚の混線」である。 (中略) 1人で十数種類の共感覚を持つ人もいれば、1種類しか持たない人もいる。
フシギ能力、共感覚とは何か
長田典子(関西学院大学理工学部教授)

上記サイトによると「昔は10万人に1人と言われていたが、最新の調査では23人に1人という説もある。」らしい。2012年の記事だから今は変わっているかもしれないけど、ざっと他も眺めた感じでは「今は23人に1人ともいわれているってよ」というところのよう。でも私の感覚ではもっといると思う。だって私もそうだし。

たとえば、ブローティガンの木曜日に共感しておきながらなんだけど、私の木曜日は茶色だ。週でいうなら私はこんな感じ。

月曜日:オレンジ色
火曜日:赤色
水曜日:水色
木曜日:茶色
金曜日:金色
土曜日:焦げ茶色
日曜日:限りなく白に近い水色

 

我ながら平凡だなと思う。だって火曜日が赤で、水曜日が水色で、木曜日が茶色とか・・・ぷぷ、まんまじゃないですか。日本人には漢字があるからそれにひっぱられやすいところはあるかもしれない。ということは共感覚なんかではないのだろうか。

どちらにしてもゆるい方だとは思う。文字には色がつきやすいけれど、すべてじゃない。

ちなみに12ヵ月はこんな感じ。

1月:白色
2月:桃色
3月:黄色
4月:オレンジ色
5月:黒色
6月:茶色
7月:水色
8月:青色
9月:赤色
10月:黒色
11月:銀色
12月:淡いオレンジがかったピンク色

 

10と5がかぶっているけど気にしない。12ヵ月にしたけれど、数字に感じる色はだいたい一致している。ちなみに1は白で、10は絶対的に黒だけど、100になると薄いオフホワイトとかオフグレーみたいな色になる。200もそう。桃色をたくさんの白で溶いたような淡い色になる。

ちなみのちなみに、音階はこう。

ド:焦茶
レ:赤みの多い紫(バイオレット)
ミ:黄色
ファ:肌色(”肌”色がポリコレ的にあれなら
淡いオレンジがかったピンク色。ファと12ってなんか似ている)
ソ:かなり薄い水色
ラ:青味の多い紫
シ:白
ド:茶色

 

低いドと高いドは微妙に色がちがって、音階の中で2度でてきたときだけ高い方の色がうすくなる。

たとえばこちらのページの共感覚者の説明に、一例として、”「3は水色」「ラは紫」「Fは肌色」”とあったけど、「ラは紫」「Fは肌色」は私も同じだ。ラ行はだいたい赤みがかるか青みがかるかでほぼ紫グループ。でも「3は水色」はちがう。3が寒色なわけがない。3は黄色系列だし4はオレンジ系列だ。3と4は暖色だ。絶対に、だ(鼻息)。

・・・とまあ、かように、人によって違いと類似があるよう。

あとはそうだな、単語でも色がつく時とつかない時がある。日本語でも英語でも。たとえばシングルはどうみても明るめの淡色だし、マルチプルはまったりとした暗色だ、紫の入ったグレーとかそんな感じ。およびは濁ったオレンジ、またははうーん、はっきりみえないけど黒っぽい。今適当にでてきたもので見える色を言ったけど、またはのように見えにくい単語もある。他にもは濁ったオレンジ、は萌葱色とか。は薄緑系列だなあ。あれ、および、同じだな。しいていえば、右のほうがオレンジが強い。およびの方が和風。

‥‥‥ていうか23人とか嘘でしょう。皆持ってるのじゃないの?というのが、私の感覚なのだけど。多かれ少なかれあるのではないの?あなたはどうですか?

たとえば、感情を伴う形容詞はわりと普通に色つけるよね。さびしいとかやさしいなんか普通に寒色と暖色と感じない? 感情に伴う色。そういう延長だと思うのよね。

‥‥‥んーでも「さ」行は私には基本寒色だし、「や」行は暖色と、言葉の響きもやはりありそう。あるいは相互なのかもしれない。これ考えると、卵が先か鶏が先かみたいな話になるな。昔、言葉を作った人に聞いてみたい。言葉も物語(民話)も実はちゃんとベースとなった逸話や自然界の源があったりする。最初に言葉を作った人は共感覚を普通に持ち合わせていて、その感覚に合わせて言葉の音を作ったんじゃないだろうか、なんて。そして、共感を得られる(うんうん、わかる、という人が多い)言葉の発音や象形文字が残っていったんじゃないだろうか。

さて、ごたくはこれくらいにして、明日はクリスマスイブ。そして黒色の、無音の西瓜の日。

とほ