君はごろっぱいを知っているか。

問わず語り

ごろっぱいを知っているだろうか。

ごろっぱいと打つと即座に五、六杯と変換されたので、それが語源かしらと思ったけど多分違う。今の今まで思いつかなかったのだから違う。ごろっぱいの語源はただのオノマトペ的な何かだ。

本当は秘密にしておきたいのだけどあかそう。ごろっぱいは、私が小さい頃から時々我が家に登場するとびきり美味しいごちそうだ。

最初にその名を口にしたのは多分母。よく覚えていないけど妹でないことは確か。私だった可能性もあるけど多分母。こういうことはたいてい母。父ではない。父はごろっぱいに関しては門外漢だった。

それにしても由来はなんだろう。子供はだいたい、うんだのしっだのちんだのにをつけた言葉やさもなくばぱいに代表するパ行を促音と合わせて破裂させるか連発しさえすればなんでもおかしい生物なので、そのあたりをうけて口からぽんとでてきたのではないかとにらんでいる。

うちは裕福でない方の中流家庭ではあったが言葉に関しては厳しめな家庭であったため、というか男子は父のみの女系家族であったため、うんだのしっだのちんだのにこをつけた言葉がとびだすことはほぼなかったはずだが、ぱいに関しては、ぱいってなんかおかしい響きだよね、という潜在意識が母にもあってカジュアルに口から出たのかもしれない。繰り返すが、言い出したのが私じゃなければ。その辺の記憶がどうも薄い。ただ、母が初めて口にしたあとは私も喜んで口にしていたことは認める。ごろっぱい。ごろっぱい。ごろっぱい。

ごろっぱいは母や私にとっては身近であったが、妹にとっては幻の食べ物であった。なぜなら、妹が友達のうちに遊びに行くなどして出かけている時に限って届けられるから。そして母と私で食べてしまい、なくなった頃に帰宅した妹は、あー今日こそはごろっぱいがあったのに、と告げられる。当然妹は悔しがる。あるいは虫の居所によってはへそをまげる。でもこれは食べられなかったせいというよりは、私や母がしつこくしたせいだ。

うちには別段、母と姉が結託してシンデレラをいじめるような構図はなく、妹もどちらかといえばちゃきちゃきした負けてない子であったのだが、ごろっぱいに関してだけはなぜか常に妹が標的であった。むしろごろっぱいの存在意義はそれのみといってよかった。

妹も本気で悔しがっていたわけではない。ごろっぱいは初めて登場した時から、皆が承知している茶番だった。今日はごろっぱいがあったのに、と母か私のどちらかが言い出し、おいしかったねえ、と私か母が返し、妹が悔しがる、までがセットで繰り広げられる茶番だった。しかも過去形ではなく、今でもごくたまに私が帰省した時などに繰り広げられる。ごろっぱいは相変わらず妹のいないすきをみはからって届けられ、私や母が食べ切ってしまう。ていうかひときれくらい取っておいてやれよ、母と私。

実のところ、ごろっぱいを食べたことがないのは母も私も同じなのだ。当然どんな食べ物なのか知らない。とびきりおいしいお菓子のつもりでいたけれど、今とっさにひときれという言葉がでたということは、果物という可能性もある。少なくともスナックのような塩味のものではない。おそらく甘い。木になったタフィーのように水気を含んでいる。そうだ、味覚はナルニアの木に実ったタフィーに近い。お菓子と果物の中間のような。知らんけど。

ごろっぱい、どんな食べ物だったんだろう。どなたか食べたことがある人がいたら、どんな形でどんな味なのか教えてください。もし万が一ごろっぱいの木を所有している方がいたら、一つでいいので実をおすそわけしてください。

とほ

 

トップ画像はインドのゴアで食べたクルフィというアイスクリームです。上にかかっている見た目グロいカエルの卵みたいなあれ、なんだったんだろう。クルフィはおいしかったです。

 

物語の中の食べ物と翻訳者の功罪
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