ミュウと台風と風見鶏。

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問わず語り

今日は猫の日らしいので大昔にどこかで書いたものを再投下。

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晴れた日曜日に、家に犬を置き去りにして、Tま川の河川敷に出かけるという暴挙。犬好きの人に言ったら、ごうごう非難を浴びそうだな。でもいいのだ。これはひとりの時間だから。

最初は無音で、途中からはウォークマンで音楽を体内に落とし込みながら、走る人や、老夫婦の散歩や、親子連れのサッカーや、鉄棒でストレッチする人や、チワワを抱いた女の子や、その隣でギターを弾く彼や、時計屋さんの日光浴を、ぼうっと眺める。

時計屋さんというのは、もちろん本物のではなくて、Tま川沿いに住むホームレスのこと。彼の住処の壁に時計がいくつかかかっているので、今勝手に命名した。

前は、いくつか、じゃなく、いくつも、だった。

去年の台風でTま川沿いのブルーテントが押しなべて流される前には、本当にいくつもいくつも時計がかかっていて、遠くから見るとなかなか楽しい風景だった。近くでみると、時計の他にもテレビとか自転車の車輪とかいろいろな小物が小屋の廻りに置かれていた。仲間うちでは、なんでも屋のげんさんと呼ばれていた。かもしれない。そんな気がする。

時計がいくつもいくつもあった頃のある年、私はいなくなったミュウを探しにこのTま川沿いまで来た。うちからは離れすぎていたし、人懐こいミュウの性格からして、さまようにしてもここは選ばないとは思ったのだけれど、いなくなって1ヵ月も経っていたし、その時はもう本当にせっぱつまっていたので、可能性のあるところをかたっぱしからつぶさないことには気がすまなかった。

しばらくうろうろした後、時計小屋に近づき、庭(?)先に椅子を出して日向ぼっこをしているげんさんとお隣さんに、この猫知りませんか、とたずねた。二人は写真をのぞいて、知らないなあ、といった。キジ猫がお隣さんのそばでくつろいでいた。共同で飼っているらしかった。げんさんとお隣さんは知らないといいつつも、Tま川猫情報をいろいろと教えてくれた。庭先には、手作りらしい風見鶏が立っていた。とても静かでのどかな風景だった。

去年、Tま川が台風で氾濫した時、その様子がニュースに流れた。私は見てなかったのだけれど、Nが、ホームレスの1人が助けに降りようとしたヘリコプターに、来るな来るな、と大きく合図していて、その理由は、猫がこわがるから、だった、と教えてくれた。なんとなく、お隣さんとキジ猫のことを思い出した。可笑しいのと同時に大声で泣きたいような、ミュウのことも思い出されて、なんだかたまらなくせつなくなった。

ブルーテント問題はとりあえず横に置き、その後、彼らはどうするのだろうと思っていたら、前ほど鈴なりではないものの、ぽつぽつと小屋が復活し、いつのまにかげんさんちも元の場所に復元された。今遠目からも見える時計はとりあえず2つだけれど、これから増えていくのだろう。多分。

なんの話をしていたのだっけ? 日曜日のTま川の話だった。

晴れた日曜日の午後、この河川敷で、空や緑や水を眺めるのと同じくらい、走ったり、散歩したり、親子連れでサッカーしたり、鉄棒でストレッチしたり、チワワを抱いて彼のギターを聴いたり、風見鶏の横で日光浴したりすることを選んだ人々を、ぼうっと眺めるのが好きだ。時々泣きたくなるくらい。