次に向かうのはDihalia村廃墟の先にあるアンティサモスビーチ。
コレリ大尉率いるイギリス軍の野営地が撮影されたそうです。
つまり、CBの出てない場面なので、スルーでもよかったのですが、ここまで来たからには、せっかくだから行っときますかと。
ただ、村を出た時点で正午をとうにすぎていました。
日差しの強いこと暑いこと。
持ってきていたペットボトルの水も予想外に早くなくなっており、やばいな、と思い始めた頃でもありました。
ここまでの道にはどこにも、小さい商店すらなく。で着いたのが廃墟ですから。
やばいな、もう一本持ってきとくんだったな。という中、ともかくビーチまで降りればペットボトルは売ってるだろう、とりあえずそこまではがんばろうと。
思ったのですが。
まだかな、まだかな、と歩いて行った先で、ビーチが見え始め、この記事冒頭のシーンとほぼ同じ角度から見下ろした時点で
あそこまで降りるのか。
で、また昇ってくるのか。
と一気に気力ダウン。
その体力をコレリごときに使うよりは(コラ)、このあとの絶対行かないと後悔するマンドラスロケ地のために取っときたい。
それとも、おりてって水を買う方がだいじ?
と、けっこう真剣に悩んだのですが。
結局、休憩もかねて、そのへんの座り、作ってきたサンドイッチを食べながら上から眺めて終わり。
チャオ、イタリア軍。へたれでごめんよ。
コレリさんのことD認定してみたり、ごとき呼ばわりしておきながらなんですが、ニコラス・ケイジという俳優さん自体は、実は(実は?)きらいじゃないです。
外見的にはどっちかというと苦手方面だし、演技がどうみたいな話も触れないでおきますけども、この人の、駄作だろうがなんだろうがしったこっちゃねえ的な、出る映画を選ばないところは妙にふふふです。
いつのまにか、君はもうしょうがない許す、という境地に。←なぜ上から目線
で、たまに「あら、映画当たっちゃったね」となっても、どこかまぐれ感が漂うのがさらにほほえましくもあり。
ともかく。
「アダプテーション」とか「マッチスティックメン」みたいな、どうしようもない、くたびれた、困った感じの方が、この人は妙にはまるというか、私は好きですかねえ。
で、カルロ。
俳優さん知らないので、役の話ですが。
正直、この人の存在も「なんじゃらぽん?」でしたね。本読むまでは。
(この先、勝手にあの、あつく語ってますので、ロケ地だけでいいという方は飛ばしてください)
存在感ないけど、コレリ大尉とのからみはなにげに多く、かと思えば急に思わせぶりなこと言い出したりするし、そうこうするうちにクライマックスでコレリをかばう展開になって、ああそういう役どころね、でもいまいち説得力ない…だって存在感ないもん(しつこい)、みたいな。
重要な役どころっぽい感じもにおわせてはいるような、でもうまくいってなさも相まってすっきりしなかったのですが、本を読んでようやくいろいろと合点が行きました。
カルロはゲイなんですね。カルロのコレリに対する忠誠は、部下としてではなく、もちろんそれもあったでしょうが、それとは別の深く強い愛情があった。
その愛情を持つにいたるだけの説得力のあるカルロ自身の歴史にも、本ではかなりのページをさいて語られていて。ある意味メインキャラクター。とくに前半の。カルロの愛情のあり方も、この物語の根底に流れてる大きなテーマ、んーテーマじゃないか、幾つかある本流の1つで。
ついでにいえば、コレリ大尉にも惚れられるだけの魅力があり。まあ、ほかの登場人物にくらべると、むしろ薄いようにも見えたけど、コレリの役割はそれでよかったんだろうとも思う。イタリア人であり、イタリアの明るさを象徴とした人物であり、だけどそれだけではないよ、というところも垣間見られる人物像。その軽さがある意味救いにはなってるところはあって。
じゃないとカルロの歴史はあまりにも重いし、マンドラスもあまりにも悲惨だから。
映画ではおいしいとこどりに見えるペラギアもね、、美しい中のはなっぱしらの強さとか、自分の性欲をもてあましてたりもしててもっとちゃんと、なんというか人間くさく魅力的。あの毛は実は・・・とか(?)、その年月はせつなかろう、とか。ドロスーラとの関係もただのフィアンセの母親以上の友情があったりして。
イアンニス医師にしても、多分このおっちゃんは言うてるけどケファロニア島史を書き上げることはないんだろうな、とか、耳豆男スタマチスにしても、大男バリサリオスにしても、ちょろちょろしてるだけに見えたレモニちゃんにしても、みんな役割があり、それが本の魅力にもなっているのですよね。
勝手な想像ですが、まあコメンタリでもおっしゃっているので完全な想像でもないですが、監督はこの本のこの空気を映画にしたかったんだろうなあ。
とは思うけど、2時間に落とし込むのはなかなかに困難な本であることは間違いなく。
映画の配分は監督が作るものであり、カルロ部分やマンドラスの物語をけずらざるを得なかったのは全然わかるんだけど、けずるのも取り込むのも中途半端すぎたというか、実は深いカルロのセリフも、映画の中ではものごっつういてしまってて、今となってはすごい残念。
この映画普通に好きなんだけど、という方がいらっしゃったら、びみょう扱いしすぎてすみません。
映画と本は別ものです。とは、ほんとに思ってるんですが。
本が予想外によかった、というか好みだったものだから、マンドラス熱に加えて、読んで以来、各登場人物に妙に肩入れしてしまい、そのびみょうさの原因をついさぐってしまうという、それゆえに思い入れがつよくなるという、なんとも奇妙な位置づけの映画になってしまってます。
とまあ、あつくるしい語りを終えまして。
ビーチを見下ろしながらの休憩を終えまして。口ぱっさぱさになるので、サンドイッチ2個のうち1個を食べるにとどめ。もと来た道を戻り始めました。次のロケ地は。
聖ゲラシモスの日、村人や病人たちが快癒の奇跡を求めて、奇跡の丘に向かう場面。映画のごく最初のシーン。
この坂を上って次のロケ地に向かいます。