「物語、言葉、映画、本に旅」から、本と映画のこと。

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物語/本語り

物語、言葉、映画、本に旅。

この5つの要素を軸にして生きている。本気である。本気と書いてまじである。

5つとも外せない。どれもだいじである。ただ白状すれば、映画と本に関しては、どちらも互角にだいじではあるけれど、どちらも等しく追うということはなく、どちらかが優勢がちな期間がある。旅から帰ってからの8年は映画優勢、というか全盛期だった。と思う。学生時代以来の。

ビデオは巻き戻してご返却下さい。
コロナ禍の影響で、テレワークだったりなんだりで自身や家族、働き方、来し方行く末を思いがけなく考える時間が増えたせいなのか...

5つの自分構成要素のうち、映画と本は並列で、長い時代のうちにどちらかが台頭してどちらかが後ろにさがり、そのうちまた入れ替わってというのを繰り返してきているのだけど、大学時代はまちがいなく映画台頭期だった。

30代はフリーランスの仕事を軌道に乗せることやその他日々の生活に忙しく、とくに後半は一番映画からも本からも遠ざかっていた時で、人生のある種のターニングポイントとなった長旅から帰ってきた時に、反動で取り戻すかのように映画を浴びる日々が続いた。

正直に告白すれば、むしろ本は避けてすらいた。映画の台頭ぶりが華やか過ぎてエネルギーがそちらに取られていたというのもあるし、思うところあってあえて自分から文字からの吸収を避けていたところがある。多分もっとも本から遠ざかっていた時期。

それがここ数年で再び自分の中で本が台頭してきているのを感じていて、今年は多分もう重点が本に本格移動した、という自覚がある。本の芋づるがどんどん伸びている。

並列といいながら矛盾しているようだけれど、自分のベースキャンプは本という意識は常にあった。どんなに遠ざかっていた時期でも。物心ついたころから本は身近な存在だった。映画は、家の前でひとり遊んでいたらある日突然隣に引っ越してきたのちの親友、みたいな感じ(意味不明)。

親友からは新しい遊び方や世界の見方を教えてもらった。さまざまな場所に連れていってもらった。だからどちらも重要。映画と本は世界を彩るために欠かせないツール。だけどベースキャンプに戻る時期がまたくるだろうこともわかっていた。

8年くらいは、半分本能的に、半分策略的に、圧倒的に映画の比重が大きくて、本(特に日本人作家の本)はものすごく遠ざかっていて、でも内側がそうしたいといっているうちはそうしようと従っていたけれど、いつ頃からか、そろそろ変わり目なのではない?戻していくべきなのではない?と内側がささやきだして、同時に欲求も少しずつ高まっていき、短く縮んでいた本の芋づるが再び伸び始め、するとアンテナの精度も高まるために目に入る機会が増えだし・・・そうして今、持ち場についたかのような落ち着きを覚えている。

これからは映画もみるけれど、本の方の芋づるが伸び始めたので、映画は減っていくんじゃないかと思う。まだまだみてなくてみたいものあるしみる気もあるのだけど、時間には限りある。すべてに平等の情熱をというわけにはいかない。なにかがぐっと突出する時期がある。時期というのはある。5つの要素をはっきり意識しはじめてから、このローテーションを観察しているのもまた楽しいかもしれない。

自分の内面がそうしたいとささやく時は従った方がいいんだろう。いいんだろう、というよりは単純に楽しい。

今読みたい本がたくさんある。本ばかり買っている。

とほ