とはいえ「人とちがう旅」という考え方には要注意。

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旅語り

前回からのなんとなくの続き。

「テーマを持つ旅のすすめ」と一見矛盾するようですが、旅に限らず、人とちがうことをする、という考え方には慎重です。それが、何かをやる時のばねに、エネルギーに、なることはあるとは思う、だけど個人的にはそれをばねにするのは避ける方向です。

なぜならその考え方だと人が主体になってしまうから。

ここは映画と旅のブログのつもりですのでとりあえず旅に話をしぼりますが、「人とちがう旅」をテーマにしようとすると、比較モードに突入します。

人とちがう場所に行く。人とちがう経験をする。人とちがう目的を持つ。

今は情報が手に目に入りやすい時代で、個人旅行もある程度市民権を得ている時代、その中でそれを目指す難しさはあって、そこにチャレンジというのもなしではない、ないけれど、そこが軸になっているとしたら、自分が本当にしたい旅がおきざりになっていないか、考えてみた方がいい、かもしれない。

ブログを書いていると、たまに、自分で、頭の中で想定した誰かに向かった文章になっているなあ、と気づくことがあります。

たとえば映画については、きてくださっている方は、私よりずっと詳しいという感覚が知らず知らずベースにあるようで、「みなさんご存じだとは思いますが」というような枕詞をどうもつけてしまいがち。

かと思えば、宿や移動など旅情報を書く時には、旅達人さんにはゆるい情報と承知していますが、知っている情報をシェアする、というスタンスが自分の中でわりにきっちり成り立っているせいかあまり枕詞をつける向きにはならないようです。

とはいえ、旅達人というだれかはぼんやり頭にいるわけで。

ブログでは、対象をざっくりとでも想定することは、書きたい方向が定まるメリットがあるし、必要とも思うけれど、その勝手に作り上げただれかと自分を比較するというのは、だれにでも開かれているブログという媒体を選んだ以上、きてくれる人を選ぶことはできない状況でそれをするのは、不要な頭の筋肉をつかっとんではないかと。

基本的には人は人のほうですが(年々ますます)、比較モードがやや強くでているな、と気づいた時にはとりあえず降ろすようにはしてます。だって、あんま、楽しい感情ではないからね。

人とちがう、は、案外もろい、と思うのです。

人とくらべてどうか、というベースはもろい。

人によって「人とちがう」はちがう。自分がどんなに「人とちがう」と思っても、ありきたり、よくあるやつ、と思う人もいる。半面、自分がふつう、と思ってやったことに、まーじーでー、という反応が返ってくることもある。

好きなことをしていたら結果人とちがうことになっていた、というのと、人とちがうことをするのが目的なのでは、方向がまったく逆。自分が主体か、人が主体か。

人にほめてもらえるのはうれしいことだけれど、人を主体にしていると、下手すると、認めてくれない人に怒りすら覚える、というあさってな方向に行くかもしれない。そこまでではなくとも、あまり安定感があるとは思えないです。

反面、自分が好きなことをしている時は。

好き、というのとはちょっと違っても、なんらかの使命感や目標があって、
それは他では変えられないもので、きつくはあるけれどがんばっている時も。

自分の中のどっしりした何かが支えになる。

だし、そういう人ってどことなく楽しげ。

友人のひとりに浪曲にはまってる人がいまして。30代前半♂なんですけど。もっとも、彼の脳内を目下しめているものの8割はロッククライミングと思われ、次の旅先を話してもいい岩場情報がかえってくる、こっちはのぼらんっちゅーねん笑ではあるのですが、

その脳内分布、そこにきての浪曲、クライミングジムで年配の人を見かけると近くでうなってみるそうで(迷惑)、そういうものがとびだしてくる人が私にはおもしろくてしょうがない。

また、苦笑しながらでも私のロケ地話につきあってくれる数少ない友達のひとり♀は、さる漫画の舞台イタリアで、主人公の独特な立ちポーズをしてきたといいます。本人は黒歴史だといいますが、めっさきれいな子なのに、なのにというのもあれですが、まじめにそれやってきたというだけで萌えます。(ところで最近知ったのですが、アニメや漫画方面ではロケ地めぐりのことを「聖地巡礼」というのだそうですね。)

自分のよく知った分野かどうかにかかわらず、そういう話を聞くのが私はどうも楽しくてしょうがないっぽい。つい根ほり葉ほり聞いてしまいます。(←これもじゅうぶん迷惑)

自分をベースに行動してる人からは楽しげなものがたちのぼっている。

自分を主体にしていると、人から承認してもらえなくて、それでたまに落ち込むことがあるとしても、ま、いっか、と流せやすい。なにより「自分」が楽しいことを知っているから。「自分」がそれをしたくて選んだことを知っているから。

自分のしたいことをするということは、主体性と自分の行動への責任につながっていく。楽しい経験は、楽しい体と心を作っていく。

だからどうか、「自分」がしたいことを、「自分」がよろこぶ旅を、してください。

なんだっていいんです。

あとは安全だけには気をつけて、よい旅を。