どんなに好きでも別れはやってくる。

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問わず語り

 

マンゴーが好きだ。

だけどある時から食べると唇が荒れるようになって思うように食べられなくなった。

一時期は気兼ねなく思う存分食べていたのに。食べられなくなるなんて思っていなかった。食べられないとなると急にマンゴーが特上の果物に思えてくる。

インドを旅していると、辺鄙な場所だったり、移動が続いたり、暑さと辛いもので胃が疲れた時など、あまりものを口にできなくなる状況がある。そういう時に、保険として、半キロ(3つ分)を買って持っていたりもした。いざという時用の頼もしい食べ物でもあった。

でも、それがある時からできなくなった。少しなら大丈夫なんじゃないかな。おそるおそる手をだす。そうしてやっぱり荒れる。上唇ががさがさになる。一見普通の旅人だけどよくみると上唇ががさがさしている人、になる。

激しい食物アレルギーではないだけ幸いなのかもしれない。だけどなんとか食べられなくもない、という微妙な線が往生際悪くする。だって好きなのだ。つい手を出したくなる。で、またがさがさになる。学ばない人である。

そういう時は多分もう食べないほうがいいのだ。体のためだけでなく。昔は合っていた。でも今はもう合わない。それは事実。

何かが合わなくなる時は、別の何かに目を向ける時期なのかもしれない。

失ったものに目を向けすぎると失った悲しみが肥大化する。傷が気になっていつも触っていると悪化をまねく。

そういう時はマンゴーばかりをみつめるのをやめる。他にも果物はある。マンゴーから目を離すと、意外にすぐ隣に未知の南国フルーツが、え、ぼくのこと知らなかったんすか、という顔で鎮座しているかもしれない。

別に果物じゃなくてもいい。思いもかけない新たな味覚との出会いがあるかもしれない。そうして新たな味覚を享受していて、数年後、ふとマンゴーを食べたら、なんとアレルギーが治っている、なんてこともあるかもしれない。

まあ、「何かが合わなくなる時は、別の何かに目を向ける時期なのかもしれない」に「そうかも!」と目をきらきらさせてとびついても、絶対新しい出会いがあるわけではない、というのがおもしろいところなんだけどね。

あと、あわよくばアレルギーが治ることを期待して心の中でずっとマンゴーのことを考えながら新たな味覚と仲良くしていても、そういう時ほど治癒は起こらない、というのもおもしろいところなんだけどね。

なんの話をしているのだっけ。

とにかく。出会いも治癒もあるかもしれないしないかもしれない。くらいで置いておくくらいがいい。まずはマンゴーに別れをいいましょう。おいしかったよ、今までありがとう。

とほ