明日から10月ですね。
IFFJの季節になりました。
自分の中でインド映画への門戸が大きく開かれて1年。
この時期を待っておりました。
IFFJというのは何?という方に説明しますと、インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパンの略で、東京と大阪で2週間開催されるインド映画祭。今年は短編1作を含む計13作品が上映されます。私もその存在を知ったのはまだ昨年で、インド映画道に片足つっこんだばかりだったとはいえ、昨年の期間中に観たのは1本のみ。
軽く予告編とかあらすじをチェックしたくらいで、まあ、じゃ、これとあれくらいを見ときますか、と自分の好みにあっていそうな2本を選出し、そのうちの1つ『ファニーを探して』を期間中に見て、見逃した『ピクー』をDVDでその後鑑賞したのですが。
ああ、あの頃の自分に、襟首つかまえてがすがす揺さぶりながら言ってやりたい。
あんた・・・!日本語字幕で観られる貴重な機会を!!!と。
まあ・・・あの頃はまだ余裕でしたのでね(遠い目)。その後に飢餓がやってくるとも知らず、残りの映画も、往生際悪く日本語上映を待ってみたり、あきらめてDVD輸入したりするようになるとも知らず。
試しに、昨年のIFFJ以降に観たインド映画の数を数えてみたところ52本でした。これが多いか少ないかはおいておき。
ちなみに、ここでいうインド映画は、外国人がインドを舞台に取った映画ではなく、インド人が監督・俳優でインドが製作国の映画ということで話をすすめています。インド映画といっても、さらにヒンディ映画、タミル映画、マラーティー映画・・・と地域・言語によっていろいろ分かれているのよん、ボリウッドというのはヒンディ語映画のあくまで通称よん、などという情報のもっと先を知りたくなった方は、私もまだ毛が生えたくらいの身ですので詳しいサイトにレッツラゴーでお願いしますね。
インド映画に詳しい方はおわかりかと思いますが、私が選択した2本は、いわゆるインド映画らしい映画かというとちょっと違うんだろうな、と思います。
じゃあどういう映画をインド映画らしい映画というんだ、え、と聞かれるとちょっと困ってしまうのですが、世間的にそう思われているのではないかなというのと、自分がかつてそうであったというところから推測するに、踊る、長い、濃い、激情、崩壊(崩壊ってなんだ)あたり?
誤解のあるなしは放置して強引に話をすすめますが、上記2本は、ほぼあるいはまったく踊らない系の映画。
前者は、ゴアを舞台にした、ヨーロッパ映画のような雰囲気のコメデイタッチの昔の恋人に会いに行く系ロードムービー。後者はデリー、コルカタを舞台にした、わりと静かめなコメデイタッチの家族系ロードムービー。
前者は、ヨーロッパ映画のような雰囲気と書いたけど、かなりその要素は強くて、言語も英語ですし、インド映画と知らずに観たら、南欧のどこかあたりと勘違いする人もいるかもしれない、かといって、ヨーロッパ映画を模倣しているかというと、けしてそうではなく、ゴアという土地に興味がわく仕様。
コメデイとはいえ結構ブラック風味で、○○好きにはきついシーンもあるのですが、そこを除けばそのブラックは嫌いではなく、あと、人生的にだめ方面の人々が多く出ている話なんですが、そのだめさ加減がちょうどよいというか、個人的にはつぼで、インド映画にはこんなのもあるんだなあ、という、それまでに幾つか観ていたインド映画による「それまでのインド映画のイメージくつがえし」をさらに一歩進めてくれるものでした。
そして、その、インド映画っぽくなかった、というのがインド映画への門戸が開かれる前のワンクッションとして、私には必要だったのだろうと思います。
だって、やっぱり、ね、国自体にはすでにがっつり持っていかれていた私でも、映画ということになると、踊る、長い、以下略はそれなりに結構なカベだったのですよ。カベといいますか、開かれることのなかった扉というか。正直、女性特有の高い歌声の節回しもなんかだめでしたし。あと、1回目の旅でバス移動時などに見た、というか大音量ゆえなかば強制的に見せられたヒーローもの、家族もの、ハヌマーン変身もの(?)などの古めの映画のインパクトが強烈だったのもあります。あれだけの世界だったらやっぱりきつかったんじゃないかなあ。
それが、幾つかの要因が後押しして、なんとなーく徐々に見てみるかという気になり、でも最初は、『巡り合わせのお弁当』とかわりと規格外?なところから入って、徐々に助走をつけていき、やがて踊る方面にも手を出し始め、まじで?インド映画ってこんなんやったん?というカタルシスがぷちぷち起きまして、そのぷちカタルシスたちが扉のこちら側から向こう側のまぶしい世界を覗いているうちに、その重量である日いきなり扉がばばん!とひらいたというわけだったのでした。よくわからない例えで申し訳ありません。
が、そのカタルシスとして、とくに最初の頃よく感じていたのは、冒頭が印象的な映画が多いということ。
まず画質がすごくきれい。あと期待を引き出す作りがうまい。これから何が起きるんだろう、という気にさせてくれる。で、それを裏切らない内容、、まあこれは、今はまだハズレっぺいものを引けるほど観てない、というのもあるかもしれませんが・・・なんだろう、感じたのは、エンターテインエントということをものすごくきちんと意識してやっているんだろうなあ、ということ。観客を楽しませることを第一に考える姿勢、心意気といいますか、なるほど、そこが映画大国たるゆえんか、と。
ええと、なんですか、ほめすぎですか。
ともかく。
そうして、めでたく?門戸が大開放され、思ったのは、なにこれ、宝の山じゃん、でした。ああ、反転っておそろしい。
でもね、その反転がまた楽しい経験だったのですよ。くつがえされていくのが心地よかったというか。だから、インド映画のイメージ先行や誤解はあってもいいんじゃないかなあ、と思うのです。開いたあとのお楽しみが大きい。ちょっとずれてる楽しみ方かもしれませんけど。
が問題は、どうやって門戸を開くかだよなあ。
踊るばかりではないし、踊らない映画もある、長いばかりでもないし、その長さに納得させられる内容がある、ジャンルも通り一遍のイメージでは到底語れないほどの幅がある、ということは、道を進むうちにわかっていきましたが、とはいえ、それは、門戸が開いてから知ったことで、開かないうちは知りようがないですし。
人様の門戸をどうやって開くかという大きなおせっかいに突入しているような気がしますが、でもね、そこそこの映画好きで、ジャンル問わず観るという人なら、開かないでいるのはもったいないと思うの・・・。なので、なんとかして、門戸を開いていただきたい。だって、宝の山、なんですよ。本当に。
明日10月1日から劇場公開されるマラヤーラム語映画『チャーリー -Charlie-』 の先行上映に6月に観に行った際に、主催のマサラプレスさんのパンプレットにも「宝の山」という文字があり、ですよね・・・私それ発見したばかりです・・・とつぶやいていたとかいうやばい人の話はおいといて、
いま、うはうはいいながらその山を崩していってる最中なんですけど、観たい映画が多すぎて全然崩れていく気配がないというか、はずれに当たる余裕がないほど、評価が低めだろうと初期の高揚も手伝ってか、どれもがおもしろい状態
というのが続いてまして、かなり幸せ♡
IFFJ上映作品も、長編12作、今年は網羅したいと思っています。
なので、最近、なんかあまり観たい映画ないなあ、とか、インド映画ってあれでしょ、意味なく踊るやつでしょ、みたいなソレをお持ちのアナタ、持ったままでいいですから騙されたと思って、どうにかこっちさきてみましょう。おもしろい反転を楽しめるかもしれませんよ?
・・・観たあとで、やっぱ騙された、と言われても知りませんけど。
となんだかだらだら書いてきちゃいましたが。
で。
門戸は開かれましたと。
このブログはなんのブログですかと。
はい、海外映画のロケ地巡りブログですと。
そうなると必然的にやることは決まってますねと。
そうなんですけど・・・と。
おや、何をしぶってらっしゃるんですと。
本当は今回、それを書こうとしていたはずなんですけど、前口上のつもりで始めた自分のインド映画の入り方を猛烈に語ってしまい、今たいへん頬がほてっておりますのでほてりを冷ますためにも、続きます。