旅フォト:ザゴラ in モロッコ

アフリカ旅
後半、なにかいろいろしゃべってます。
炎天下の中、かなり遠くまで歩いて再び戻ろうとしたところで、近道があるよ、と道案内してくれる少年が登場。その彼が途中、草で編んでくれたラクダ。↓
手の中で折り始めたと思ったらあっという間にできあがっていた。
あとで地球の歩き方を見たら、草で編んだラクダやガゼルはタダではなくお金を請求されますと書いてあったけど、そんなことはなかったよ。たまたまかもしれないけれどね。
この草は食べられるんだよ、と生えた草を食べてみせたりしながらオアシスの細道を軽やかに歩いていく、だけど、近道いうてるけどまだですかね、といいたくなるほどいっこうにつかない、そのうちに喉がからからになり、そうだ、もうラマダンが終わっているのだから人前で飲んでも大丈夫なんだ、とリュックの中のポットを取り出し、自分で飲んでから、少年に「飲む?」と渡そうとすると、破顔ってこういう時に使うのかというほどの笑顔が全面に広がり、めちゃめちゃ嬉しそうにお礼をいい、でも大丈夫だから、と断ってきた。そしてモニュメントのある通りまできたところで、メイン通りはこの先だよといって、じゃあ、と去っていった。
このあとも、ワルザザート行きバスの時間まで何時間もある、でもラマダン直後の祝日のためレストランは開いていても自主開店休業状態、人はいっぱいいるけれどサッカー観戦のため、という中で、食べるものもなく、過ごす場所もなく、閑散とした商店街の日陰で時間をつぶしていたら、声をかけてきた人がいて、最初は警戒していたけれど、気づいたら、その人のご家族の家でクスクスやお菓子をごちそうになっていた。
こういうの、ネット上で軽々しく書くと、(年齢も年齢だし問題ないのだ、などという前置きも抜きに言えば)ついていくことに関して、いつか何かあった時に、ほらみろ、と言われるだろうことは明白だけど、自分の勘がいつも正しいという気もないし、こういう失敗経験もしていたりするから、気をつけるにこしたことはないことは重々わかって、は、いる、実際、ザゴラ到着時点での砂漠の勧誘は辛辣な態度でおっぱらっていたし、通常90%はまずgo awayな態度、だけどたまにはこういうのもないと、楽しくないというのはある。
すべてに顔をそむけていたらなんのために外に出てきたの?というのもあるし、
そのへん、難しいけどね、
夜はノーを100%に挙げるとか、そもそも出かけないとか、状況によって扉の開け閉めを調整するしかないよね。
こっちが女性であっちが男性の場合、安心材料のひとつとして、家族がいて家族の話ばっかりしてる、つきあいたてほやほやの恋人がいる、というのも一つの目安かもしれない。
クスクスの彼は後者で、ベルベル人の種族、ザゴラの歴史、モスクでのお祈り前にする儀式の話、敬虔なムスリムであった過去から変化してきている今の心境などなどを話してくれる傍ら、しょっちゅう、ごめんね、と言っては、イタリア人の恋人と電話したりワッツアップしたりしてた。いずこも若い衆は同じw
だけど、この場合は逆に助かるというか、純粋な親切か暇つぶしである確率が高くなり、へんな懸念をせずにすむ。(絶対じゃないけど割合的にぐっと減る)
・・・その地の人に親切にしてもらった、という話がしたいだけなのに、ついこういう方向の話になりがちなのは、治安だの旅中の注意だの、人それぞれがそれぞれのレベルで持ってて持ってるだけならまだしもかみあわないアドバイスとかしてきて本当にめんどくさ・・・・・察してくだされ。
以上、今回も結局トーキー更新でした。
むしろ、トーキー度合い高まってる?
次からはサイレントムービーモードになる・・・はず・・・。←説得力ない。