ベティ・ブルー、それからTさんのこと。

映画

 

私の生涯の映画3本に入る『ベティ・ブルー』を撮った、ジャン=ジャック・ベネックス監督が亡くなった。著名人の訃報には大きく反応しないようにと思ってはいるけれど、どうしようもなく心が揺れ動いてしまうこともある。最近はめっきり減ってしまったツイッターのチェックを今日していて、フォロワーさんのツイートが目に入り、どきっとして調べて訃報を知った。記事によると、長く闘病されていたらしい。

ベティ・ブルーがとにかく好きすぎて、12年前の世界旅行中には南フランスでロケ地巡りをした(旧ブログ記事。末尾に初観賞時の感想を再掲載している)。

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そのあとに観た『ディーバ』がまたよくて、これも2016年にパリでロケ地巡りをした。このときはフランス映画15本、一気にロケ地巡りをしたのだった。

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2018年のサンティアゴ巡礼中は、最高に気分のよい日に、ベティブルーのサントラからC’est le vent bettyを聴きながらぶどう畑を歩いた。

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そんなふうに、たったこの2本で好きな監督が確定したけれど、いずれも私が観たのは劇場公開よりずいぶんあとだし、この監督に注視し始めてからの新作公開は『青い夢の女』のみだ。でも『青い夢の女』は、ベティブルーのゾルグ役ジャン=ユーグ・アングラ―ドが出ていたのも観る動機だったけれど、正直に言えば響くものはとくになかった。既存作品の『溝の中の月』も『ロザリンとライオン』もそのうちと思いながら観ていないし、『IP5/愛を探す旅人たち』は英語字幕版を持っているものの積んDVD状態のままだ。つまりは好きといってもその程度。

それでも新作をもう観ることができない悲しみはことのほか大きく、それに、やはり私にとってはベティ・ブルーなんだろうと思う。おおげさかもしれないけれど、この映画をこの世に出してくれたというだけで、私にとってはまぎれもなく特別な監督だ。

 

この映画はさまざまなものを私にもたらした。テキーララピドやチリコンカンを知ったのも、カフェオレボールやその他の調度品、角砂糖を入れてかき混ぜて飲むしぐさ、ゾルグという名前、これらに魅せられたのも、くわえ煙草でピアノを弾く男の人をたまらなくセクシーだと感じたのも、ガブリエルヤレドの音楽に出会ったのも、色彩にこんなにまで心を鷲掴みにされたのも、全部この映画だ。当時白猫を飼っていて、かつ書くことに捕らわれていた私は、白猫をまるで守護神のようにも感じたものだ。

観た直後1ヵ月は映画から抜け出せなくて、思い出すたびに泣くなどしていて情緒不安定わっしょい状態になり、そんな折この映画を好きな女はXXみたいなことを某芸人さんが言っているというのを目にしてしまい、ちぇっばーかばーかなんて心のげんこつをふりまわしつつも、……否定できん……と心の汗をかいたりもしていた。

私がフランス好きになったのもまちがいなくこの映画のせいだ。おかげ、という言葉は使わない。それまでとくに興味なかったのに、ベティブルーのせいでフランスの扉がぱっかーんと開き、一時期は完全に捕らわれていた。たったひとつの映画の強烈なフィルター越しだ。正しく国を見ているとは到底言えない。でも恋の始まりなんてそういうものでしょう?(←そうかあ?)。

フランスはいまでも好きだし、インドに落ちてしばらくも、住むならどちらにするかで揺れていたりした。インドの話は今いいっちゅうねん。

フランス映画をよく観るようになったのも、この映画発端だ。といってもヌーヴェル・ヴァーグ時代はいまだにあまり掘ってはいなくって、ベネックスと同時代以降の監督の作品が多い。カラックス(ベティブルー以前に観た記憶があるのは『ポンヌフの恋人』くらいだった)、ベッソン(まあこの人は途中からアメリカ映画と認識して観ているような気もするけれど)、ジュネ(アメリだけじゃなくわりとどれも好き)、クラピッシュ(以前記事にしたこの映画とか)、オゾン(出ると反射的に観てしまう)などなど。ちなみに最近のお気に入りは硬派なジャック・オーディアール監督。インドに重心が移った今でも、これらの監督を含め、フランス映画で気になったものは公開されればさくっと観に行く。だからちょいちょいインドをはさまないように。

私にとって、ベティブルーと切り離せない存在がもうひとつある。

それはTさん。

遥か昔、ホームページなる失われた領土を持っていた頃、映画つながりで知り合ったTさんに、この映画を教えてもらった。Tさんは、ただ感想を書くのではなく、映画をユニークな角度から紹介するホームページの主催者だった。最初は「掲示板」から、その後は直接やりとりするようにもなった。でも、教えてもらったのだっけ、好きな映画と書いてあるのをみて観てみようと思ったのかもしれない。そうして観てみたら、私が完全にこの映画に墜ちてしまった。それでずぶずぶのぐずぐずで息もできない状態になっていたら、Tさんが寄り添ってくれて、救われた。我ながらこうやって書くと意味不明だし、外から見れば映画の良さを語り合っただけともいえるのだけど、でも私目線でははっきりくっきりと、あの時、手を差し伸べてもらって救ってもらったのだ。

実のところ、Tさんにはその後も映画を超えてずっと、本当に細く細く、でもとぎれそうになってもとぎれず不思議に続く関係の中で、支えるともなく支えてもらってきた、という感覚がある。密につながったことは一度もない。物理的にも遠い。TさんにはTさんの生活がちゃんとあることは承知しているし、私にもある。でも、楕円形の軌道のようにしばらく遠ざかっていたと思うと、ふと近づいて束の間、触れ合う瞬間が周期的に訪れる。その時には、単にスモールトークで終わることもあるけれど、なにかだいじな、でも押し付けではけしてない、なんだろう、どういえばいいかな、やわらかいサポートとしかいいようがない、大げさかもしれないけれど使命を思い出させてくれるような言葉を投げかけてくれる。言葉すらないかもしれない。でも確実にあたたかい背中押しを感じている。ずっとそう。Tさんは意識してないかもしれないけれど。そういう人がどこかにいてくれるというのは、ささやかなようでいて確実に力になる。今ではTさんは、私にとって、ベティブルーとリンクしている人であると同時に、そういう人になっている。あ、あ、でも、これからもそうしてくださいという圧ではけしてけしてなく(しどろもどろ)。

……ジャンジャックベネックスではなく、ベティブルーでもなく、最後はちがう話になってしまった。けどいいや。いつかどこかで書きたかったのだと思う。

ベティ・ブルーに出逢わせてくれてありがとう、Tさん。本当に細く長いおつきあいだけど、おつきあいといっていいのかすらあやういけれど、楕円周期の微小天体同士のようにつながっていてくれてありがとう。ここを見てくれることがあるかはまったくわからないけど、そっと投下しておきます。

とほ