日本語が好き。

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言葉/言語語り

日本に属するもので一番好きなものを選ぶとしたら、いや選ぶまでもなく、日本語だ。

他言語と比較して効率が悪いと言われたりもするけれど、こんな美しくこまやかな表現を携えた言葉はほかにない、

かどうかは、他に日本語と互角に話せる言語を持たないので知らない。

みなそれぞれがうちのが一番と思ってるのかもしれない、そう言っているのも実際耳にしたし、自分の母語はだめ!と思ってる人が多いよりはいいかもしれない、私自身、他国の言語に惹かれるところもある、

がそれでもいう、私は日本語が好きだ。日本語はすばらしい。

制約がありながら自由に豊富な表現が次々生み出せる言語。生み出してきた日本人の感性。

私は他の多くの日本人と同じように、母語と母国語が一致しているけれど、世界では母語と母国語が異なる人も多い。だから、日本人の感性と日本語を一緒に話すのは、もしかしたら他国では避けた方がいいのかもしれないけれど。

フランスに数ヶ月いた時に通っていた語学学校で、自国をプレゼンする機会があった。プレゼン自体は話したい内容があり、準備をしっかりしていったこともあって、受けは悪くなかった。その期間の試験をパスできたのはプレゼンのおかげだった。とあとで先生に言われた。自分でも筆記テストが散々だったのはわかっていたので、プレゼンがんばっててよかった、となった。

それはいいとして、そのプレゼンの最初に、ホワイトボードにおおきく梅雨と書いた。が、それに触れることなくプレゼン終了。終わったあとの質問タイムで、なんで書いたの?と言われた。

そりゃそうだ。

なんで書いたのだったか、四季の話をしたので、なんとなく、ついうっかり、直前に思い立って書いてしまった。

長雨で気がふさぐ時期に梅の雨なんて言葉をあてる背景、そしてそんな文化で育ってきた目にこの2文字の組み合わせがどのように映るかまで伝えられればよかったのだけど、フランス語でそれを表現できるレベルにはとても達していなかったために、ただ気分でボードに書いただけの人になってしまった。

だってほら美しいでしょう?(C’est beau, n’est pas?)。

がせいいっぱいだった。

しかも、当時ネスパ?という言葉が使いたくてしょうがなかったので、そういっただけだった。

知らんがなby他国の衆。

私は多分、自国に対する執着がもともとうすい。

他国の人に自国の文化を語る機会がある時に、ぐっと夢中に入り込んでいる日本の文化があるとないでは伝え方の熱に差がでるように感じている。

正直なところあまり日本のものでぐっと夢中になっているものってなくって、近年ますますその傾向が高くなっているのは自覚していて、邦楽ほとんどきかないし、邦画もみない、本棚に並ぶ本のほとんどが翻訳本だ。

歴史も日本史ではなく世界史だったし、旅も遠い場所から先に行きたがる傾向があるから、旅先としても日本は手薄だ。まあ歴史に関しては、最近は興味の芋づるに従って気になれば自分で調べるようにはなってきたけれど、虫食いだらけには変わりない。

単なる嗜好の話であり、そこに問題は感じていないけれど、自国のことを語る機会がある時には、深い知識をもっていないことを不甲斐なく思う気持ちが生じることはよくある。

そんな中で唯一これ、とはっきり言えるものがあるとしたら、日本語だ。日本語には執着のようなものすらある。言語自体だなんてアピール力ないけれど、私の場合母語を糸口にすることで自国文化とつながりやすい気がしている。自分に基礎言語として与えられたのが日本語だったということを幸せに思う。

まあ、そのうえで、言語自体が好きだから、欲を言えば、他言語が同じくらいのレベルで自分の中にある状態を味わってみたかった気もしてるけど。や、学習すればいいんですけどね。母語レベルまでってなかなかね。年も年だし。年を言い訳にしてはだめですね。

実のところバイリンガルで育つ子どもの言葉の獲得過程にはとても興味がある。これからはそういう子どもたちが増えていくんだろうなあ。

とほ