モンステラの勢いが止まらない。

問わず語り

これは、かつて緑の指がないと嘆いていた者が緑の指を獲得するまでの物語である。

緑の指がなくたって。
緑の指を持っていない。俗にいうサボテンも枯らす人である。実際俗に言うかは知らないが、実際サボテンさえも枯らしてきた。 ...
その後のモンステラ。
順調に育っている。こうなるとかわいくてしょうがない。 長い間、さまざまな植物を枯らしてきた私だけれど、ついに緑の指...

 

窓際に置いたモンステラの勢いが止まらない。

死にかけていたとは思えないほどの生育ぶりだ。今や我が家の緑王国の要。昨年の夏には、さらに特大サイズの鉢に植え替えた。その後も順調に切れ込みや穴がたくさん入った大きな葉が増えている。

購入するときに2人用か3人用かで4秒悩み5秒後にはそんなの3人用に決まっていると選んだ、横たわると人をだめにすることで家主に有名なソファに横たわり、そのまま上を見上げる。と葉脈が目の前に迫る。葉が大きすぎて天井が見えないくらいだ。

もはやここはジャングルではないのか。

単にそういう位置に顔を持ってきているだけであり、ずらせばいいだけなのだけれど、モンステラにまみれていたくて、じっとしている。そして、最もいきのよい新入りのぴんぴんつやつやに張った葉の裏側から葉脈をなぞり、かわいいねえ、きみは、などとつぶやく。よくぞここまで大きくなった。ほんとにかわいいねえ。ほんっとにかわいいねえ。

すると古株の葉たちがちょっとしゅんとしているような気になる。ので、最初の小さい子から順に声をかけていくことにする。きみが顔を出してくれたからほかの子たちがいるんだよ、とか、初の切れ込みが入ってそりゃもう嬉しかった子には、きみは切れ込み隊長だ、これからも長生きするんだよ、とか、顔の向きがひとりだけ個性的な子には、そういうひねくれた態度嫌いじゃないぜ、とか。

やばいやつである。が、かつて猫にしていたことをしているまでだ。やることは動でも静でもたいしてかわりないのだった。

つまり。

私はついに手に入れたと言っていいのではないか、緑の指を(倒置法)。

あらゆる植物に対して獲得したとは言わない。やるときはあいかわらずやらかしている。

先だっても寝室のポトスが気づいたら、しなり、くたり、となっていて、慌てて水をやった。ポトスは復活が早いから本当に助かる。翌日には何もなかったような顔をして、私に許しを与えてくれた。

他にもシェフレラだかカポックだかの下の方の葉が気づいたら落ちていて、茎までしおしおのぱーになっていて、ごめんよこんなになるまで放っておいて、となった。頃合いをみながら水をたっぷりあげるを数回繰り返すと復活した。おそらく成長したせいで鉢が窮屈になっているうえに、今使っている土に保水性がなくすぐに排水されてしまうせいもあるだろうと思うので、違う土と大きい鉢で植え替えをしてあげないといけないのだろう。

このように私の緑の指はまだまだ、お迎えしている子たちの丈夫さに甘えているに過ぎないところがある。真の緑の指の持ち手を名乗れるのは、息も絶え絶えの子にも、うちにいらっしゃい、私ならあなたを生かしてあげられる、と言えるようになってこそだろう。

しかし、まあ、正直そこまでの指は求めてない、というのはある。私は旅人でもあるのだ。行ける時が来たら旅に出る。だから猫だってあきらめている。下手に緑の指を獲得しては、返ってせっかく指を持ちながら役立てられない心苦しさを飼うことになりかねない。私の指があれば生き返るかもしれなかった緑たちを置いて、旅に出るというのか。そんなことでいいのか。が待てよ。緑の指を持つ者として、どこかで行き倒れている緑を探す旅に出るというのはどうだろう。屋号は緑の子ルンルンでどうか。

今日は私の中の昭和魂が荒ぶっている気もするが、それはさておき妄想は真の指を獲得してから言えという話である。丈夫な子たちとしかつきあっていないのに妄想だけが育ってしまっている。私はまだまだ謙虚でいないといけない。先は長い。

これは、かつて緑の指がないと嘆いていた者が緑の指を獲得するまでの物語である。

もとい、

これは、かつて緑の指がないと嘆いていた者が目標値の低い緑の指を獲得するまでの物語である。

続く。

かどうかは不明。

 とほ

旅と猫。
猫がいない生活になってそろそろ4年になる。 慣れたといえば慣れた。それに、ある時から旅はやめられない、と悟ったので、と...