昨日の続きのような違うような。
昨日、昔話のむすびの言葉は、意味がわからない呪文めいたものほど物語の世界と現実とをわける効力を発揮する気がする、と書いた。
でも、その地方の子どもたちには即座に意味がわかってしまう言葉なのかしら。
呪文のように聞こえるのは私がその方言を知らないからで、当時のその地方の子供たちにとっては呪文でもなんでもなかったのかもしれない。意味のわかる言葉は日常でしかない。
そのあたりのことを今日もつらつら考えていて、連想ゲームのように3つの映画に行き着いた。
『インサイド・マン』
『アノマリサ』
『追憶の森』
上記3作品には共通点がある。
知らない者にとっては呪文のようにしか聞こえない言葉の代表格といえば、外国語。実際には呪文でもなんでもない。
つまり英語圏の映画であり、外国語がある種の謎解きのツールになっていたわけだけど、んー、謎解き、ってほどでもないか、だけど重要な鍵のような使われ方をしていて、1つはその言語がどこの国の言葉か判明し、その意味がわかることで突破口となり(と見せかけてその後判明した事実でまた後退するのだけど)、1つは名前の秘密が明かされ、1つは最後にとある事実につながる。
でもさ、他国の言葉ってエキゾチックでミステリアスだし、響きが好きだとそれだけで習うきっかけになったりするけれど、他の国の人間にとってはどんなに謎めいていても、その国の人にとっては母語は隣のおっちゃんレベルになじみのある日常。
で、吹き替えだと難しいけれど、字幕だった場合、その国の人は観ていて言葉を耳にした時点で即座に意味がわかっているわけで、登場人物が苦労して暗号を解いた末にどや顔してみせた時に、え、知ってましたけど?となる。
特に上記のうち後半2作品は鍵となっている言語が日本語なのですよ。つまり私にとっては母語なわけで。
1つでは、あれはそうか、日本人でなければあの暗号は最後までわからなかったんだな、ずいぶんわかりやすいなあと思っていたけれど、日本人限定の早めのネタバレだったんだ、と思った。それでも最後の明かされ方には胸打たれたし、日本語をそんな使い方してくれてありがとう、と思ったのだけど。
もう1つは知ったあとでも「は?え?それ合ってますのん?」となった。でもこっちもやっぱり、使われ方が不気味にユニークで好きではあったのだけど。雰囲気的にどっちがどっちの映画かばればれな気もしますが。
いずれにしても、これらの映画を観たあとに抱いた感想は、外国語を暗号のように使う時は慎重でないといけないな、ということだった。まるで製作者側のような口ぶりですみません。
タイトルと微妙にずれを感じなくもないけど、このままアップしてしまいます。
監督スパイク・リー、出演デンゼル・ワシントン、クライブ・オーウェン
銀行強盗完全犯罪系サスペンス。心理戦、そこそこおもしろいです。インド映画好きはエンディング曲に注目。
監督ガス・ヴァン・サント、出演マシュー・マコノヒー、渡辺謙
青木ヶ原樹海が主な舞台。特に大きなことが起きるわけじゃないけれど、私は嫌いじゃなかった。それこそ日本のおとぎ話のような話。
監督・脚本チャーリー・カウフマン
ストップモーションアニメ。額に膏薬貼ったおばちゃんのようなチャーリー・カウフマン節ばりばりの神経症的世界観。褒めてます。