川棚温泉にお昼を食べに行ったら、弁才天とスラムダンクに出会えた話。

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故郷下関ネタ

 

竹生島別府弁天池に引き続き、弁才天巡りの話。

今回は主体的に巡ったというよりは、巡り合った、引き合わせられた、ような気がしている話。自分語り成分多めでお送りします

発端は昨年2023年8月、下関の実家に滞在していた時。観光ビザでの5ヶ月のバンガロール滞在を終えてバンコク数週間を経てインドから一旦帰国し、今度は8月後半に開校するデリーのヒンディー語学校入学に向けて、領事館に学生ビザ取得のための必要書類を郵送しパスポートの帰りを待っていたころ。

予定のフライトの直前になってもパスポートが戻って来ず、ハラハラしながら待っていました。が、ハラハラはしていたのですけど、インドに戻れば再び辛い物と騒音にまみれた日々が始まることは明白であったので、静かで何食べてもおいしい国内での残りの日々を満喫していました。

川棚に雰囲気がよくてランチが美味しい食事処を見つけたから行こう、という母の言葉で、川棚温泉まで母と妹と3人でドライブすることになりました。

川棚というのは、下関駅方面から山陰側を車で北上して40分ほどのところにある地元民や出身者ならだれもが知っている温泉町。瓦そば発祥の地でもあり、県外の人からの認知度は、温泉としてはともかく、瓦そばなら知っているという人も多いかもしれません。

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と瓦そばを出しときながらなんですが、この日食べに行ったのは瓦そばではなく、川棚温泉の中心部に位置する『藤屋~fujiya~』という日帰り温泉&お食事処の日替わりランチ。

 

玄関口で靴を脱ぎ通されたのは横長の和室。掘り炬燵の各テーブルは上から吊るされた布で仕切られ、開放的な空間ながら隣を気にせずにゆったり落ち着いて食事できる雰囲気。

さりげなく置かれた火鉢や調度品も素敵で、ここいいね、とかなんとか言い合いながら、三種類の日替わり定食から1つを選んで待ちます。

私と妹が選んだのは『包み焼きハンバーグ』。ハンバーグはジューシーで、じゃがいもはほくほく、付け合せもおいしく、お手頃価格ながら大満足のお味でした。

藤屋はもとは旅館だったのを数年前に立ち寄り温泉&食事処として再スタートしたのだそうで、絶妙に落ち着いたセンスを感じる空間に、川棚にこんな場所があったんだねえ、と新鮮な気持ちになりながら、部屋を出てお会計をすませ、人柄のよさを感じるオーナーさんと少し話をしたあと、今はギャラリーやカフェとして開放しているという2階にも行ってみることにしました。

そしたら。

 

階段をのぼりギャラリーに入って目に飛び込んできたのは

 

 

スラムダンク!!  ?

 

バガボンド?

え、どういうこと?ここどういうギャラリー?

しかもこれ、全部切り絵なんですって奥さん信じられます!??

近づいてみます。

切り絵や……。しかも浮いてる……。

制作したのは実はオーナーさん。なんと漫画作者も公認なのらしい。そういえば、お会計場所の近くにも影絵のようなフクロウや風景画が置かれていて素敵だなと思っていたのだけど、それらもすべて切り絵で、オーナーさん作なのらしい。

なんというか、さっき食事している時はちょっとかしこまっていた私達だったんですけど、しっぽりした和空間にいきなり疾走感あるスラムダンクしかも切り絵という意外性にやられて、ここで「わっはー!」という気分になり。妹と私、写真撮りまくり。母は、でしょ、という顔でなぜか自慢げ。

他にも、開放感のあるカフェがあったり、ものづくりの作家さんがワークショップを行う貸しスペースがあったり、ハワイアン雑貨のお店があったり。なにここ、楽しい。

そういうほどけた気分で行ったからでしょうか、

動線的に自然に最後に奥のハワイアン雑貨のお店に足を踏み入れると、そこには気さくな雰囲気のきれいな女の人がいて、

結論をいうと、近くに弁才天を祀るお堂があると教えてくれたのはその人でした。

もう少し詳しく書くと、自然に会話が始まって、インドの話になって、気づけば「孔雀の赤ちゃんの写真見ます?」とその人のスマホの画像フォルダを家族三人でのぞきこむというシュールな状況ができあがっていて、それがなんだか愉快で、

そもそもなぜインドの話になったのかといえば、お会計のときに母が、オーナーさんについぽろりと、というよりはいつもの調子で「上の娘、明後日からインドに行くんです」と切り出して、5X歳の娘は、あーもうそういうの言わなくていいてえ、と辟易したとかしなかったとか、でも母の言葉をくんでオーナーさんが「今日来るハワイアン雑貨のお店の人はインドの人と縁がある人なんですよ」と教えてくださったのだとすれば母も流れを作ったひとりだったのかもしれず

ええと、収集つかなくなってきたので巻いていきますが、

そこは雑貨の販売の他にカードリーディングなどもしている場所らしく、その女性とコルカタ出身のお知り合いの女性とのエピソードをきくなどしているうちに、棚に陳列されていたオラクルカードに目がとまって、それはヨギカードと呼ばれるもので、ひらくとそこにはヨガ哲学の用語やヴェーダの神様の名前など私にはなじみのある言葉が並んでいて、サラスヴァティの話になって、サラスヴァティがでてきたなら弁才天推しの私としてはその名を口に出さないわけがなく、その流れで「この近くにも弁才天が」と教えていただいたのでした。

弁才天の話題にうつってからは、弁才天の言葉を司る神様としての特性について話したり、弁才天から弁財天への名前の変換に関するその人の捉え方に共感したり、それ以前に建物に入ってからずっとここちよさみたいなものを感じていて、それは私だけではなくて、妹と「ここってなんというか、気がよいというか、磁場がいいというか」と話すなどしていたり、そういうひとつひとつの駒が、この日のこの流れは起こるべくして起きたことだったと告げていた気がするのです。

うん全然巻けてないね。われながら話に収集ついてない自信あります。

 

藤屋から歩いて三分のところにある妙青寺の奥に、弁才天を祀るお堂はありました。

それはとても小さな祠でした。でも大きさは関係なくて、その場にたって、今日自分はここに来ることになっていたのだなと感じました。もちろん思い込みかもしれません。でも感じたのです。

晴れた日でした。緑が眩しくて。

拝み終えて小さな橋を戻る途中に、黄金の鯉が二匹すいいと泳いでくるのが見えました。妹が、拝んでいるわたしの背後を大きな黒い揚羽蝶が通り過ぎたと教えてくれました。

来ることになっていたのはとくに私だろう。でも、私だけじゃない。妹と母の家族三人で、ここの空気を味わう必要があったのかもしれない。

この日の3ヶ月前に父が亡くなりました。

いきなり重い話をしてすみません。今日の記事をそういうものにしたいわけじゃないのでここではその事実だけを書くにとどめますが、そのこと以外にも2022年後半から2023年の前半は個人的に心が乱気流の日々でした。

年の後半からデリーで学生生活をスタートさせることは決めていたものの、一時は各方向が膠着状態で、精神的にも物理的にも先がみえない状態でした。

それが、8月後半になって軽やかになり、いろいろなことがするするほどけて行きはじめました。なにか抜けた感覚がありました。

そんな中での、川棚でお昼を食べる母の提案。

この日の空気を思い出すと、上向きに切り替わる最終起点だったような、なんというか、いってらっしゃいと背中を押されたような、そんな気がするのです。

実際、本当にぎりぎりではありましたが学生ビザ付きのパスポートが無事届いて、2日後にはデリーにいて、それからの日々はその年の前半とはまるでちがう、明るく楽しい日々がまっていました。困れば自然に助けてくれるだれかがあらわれて、その人達も含めて本当感謝しかない。

これらは私が感じたことを書いたものですが、もちろんすべて気のせいかもしれません。なんてことない、おいしいお昼を食べにきて推しの話をしたら近くにいるよと教えてもらった、それだけといえばそれだけの話。

ですが、この日の空気、流れ、この弁才天堂をお参りできたことは、私の中では特別なものになっているのです。

お寺の門を出るときに、まるでだめおしするかのようにもう一度、頭上をゆっくり通りすぎていった黒い揚羽蝶も含めて。

 

 

藤屋~fujiya~ (立ち寄り温泉と食事処)

住所山口県下関市豊浦町川棚5178
TEL:083-772-0397
定休日:月曜日、第4日曜日

営業時間と料金

11:30~14:30(日替わりランチ3種1200円)(ランチと温泉のセット2050円)
18:00~22:00(会席料理4400円~ 4名から)JR下関駅からの行き方
車:JR下関駅方面から約40分。※近くに無料駐車場あり
電車:JR山陰本線「川棚温泉下車(40分)、徒歩27分
バス:
サンデン交通35系統「川棚温泉」行き終点下車(1時間10分)、徒歩6分

 

写真は一部、今年再訪したときに撮ったものも使用しています。

 

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