魔法使いになれなかった話。

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問わず語り

小学5年の頃、Mつんと言うクラスメイトがいた。

Mつんは、小柄な、かわいいというよりはきれいなタイプの、小学生ながらすでにどことなく落ち着いた雰囲気を持つ少女だった。

Mつんとはクラスの中で一番仲がよいというわけではなかったけれど、仲のよい方だったとは思う。いや、どうだろう。小学生のわたしは今考えても少し浮いた子だったので、わかりやすくいつも一緒に行動するような人がいなかった。いじめられてもいないけど、今風の言葉で言えばクラスカーストのどこにもいない感じの子。そういう子があなたのクラスにもいなかっただろうか。それがわたしだ。少なくとも、それが今振り返った時のその頃のセルフイメージ。

その頃は本能のままに生きていたので、よく泣いたし、よく男子とも喧嘩した。喧嘩したというよりは、よく泣くのでからかわれていた、に近いかもしれない。男子と喧嘩して先生に叱られた結果、わたしだけ机ごと廊下に出されたことがあったのだけど、あの時わたしは何をしたんだったか。まあ、おばあちゃん先生にはあまり好かれていなかったように思う。

一度などは、おねえちゃん一緒に帰ろう、と教室に迎えに来た妹に、今まさに男子に向かって泣きながら椅子を持ち上げて威嚇している瞬間を目撃されたこともある。当時の小学校は土曜日は休みではなく半ドンで、なぜかその日だけは妹と下校することにしていた。一応自分の名誉のために書いておくともちろん投げてはいない。いなかったはずだ。そうであってほしい。けれど、その姿を見た妹は当然当惑した。妹はわが妹ながらかわいい、クラスでも間違いなく普通に好かれる子であったし、おねえちゃんがちょいと様子のおかしな子であったのは、今となっては(というかずっと)仲良い方ではあっても、少なくとも子供の時分は困惑する場面も多かったろうと思う。妹の話は今日の本筋でないので横に置く。今これを読んでいるだれかにこれ以上ひかれる前に、わたしの当時の逸話もこれくらいでやめておく。

Mつんの話にもどる。

Мつんは、浮いているとか浮いていないとかは気にせずひょうひょうとつきあってくれるクラスメイトのひとりで、当然ながら私はMつんが好きだった。Mつんはどこか神秘的な雰囲気をもっていた。見えないものが見える人ではない、少なくともそう言う話を本人からきいたことはない、けれど、見えていても不思議じゃない雰囲気はあった。でも、きれいで神秘的、ということに加えて、わたしの尊敬を押し上げた要因は他にもあった。

Mつんの家は、お墓のすぐ隣だった。

わたしも、見えないものが見えるタイプではないし、別段そういう人にあこがれていたわけでもなんでもなかった。どころか極度の怖がりだった。肝試し大会なんてものはまっさきに棄権する子だった。でも、なにしろ怖がりだったゆえに、平然と、かはともかく、お墓の隣で生活できるというだけでわたしの尊敬をかっさらうには十分だった。

あるとき、そのMつんの家に遊びに行った。わたしだって昼間なら平気なのだ。Mつんの2階の部屋からはやはりお墓が見えた。

その時何を話したのだったか。彼岸花の話をしたことは覚えている。でもだいたいは普通のとりとめもないこと。だったはずだ。けれど、その中で、Mつんが、ある秘密を打ち明けてくれた。でもそれはMつん本人の話ではなく、Mつんが当時一番仲の良かったFさんの話だった。

「だれにもいっちゃだめよ。Fさん、草むらで死体をみつけたことがあるんだって」

その時のわたしは、どのような気持ちでそれを聞いていたのか。鵜呑みにしたわけじゃないと思う。でも、嘘だとも思っていなかった気がする。どこかありそうに思えたのは、お墓の隣で聞いている、という雰囲気にやられたせいかもしれない。でもそれ以前に、それはFさんの秘密ではないのか。と大人ぶった予防線をはりたがる気持ちからたった今思いついて書いたが、当時はそのように糾弾するような気持ちはなかった。怖いと言う感情も記憶の中に存在しない。あったのかもしれないけれど、体感としては残っていない。

残っているのは、秘密を打ち明けてくれたのだから、わたしも打ち明けなければという気持ちだった。返報性の原理というやつである。かどうかは知らない。

ともかく、それで、わたしは打ち明けた。その時抱えていたとっておきの秘密を。

小学4年のある日夢を見たこと。夢の中で魔法使いになれると誰かに告げられたこと。でも条件があって、魔法使いになるには3年間誰にもそのことを言ってはならない、黙っていられたなら3年後に魔法使いにしてあげよう、と告げられたこと。言いつけを守って、ずっと誰にも話していなかったこと。そして、このことを打ち明けるのはMつんがはじめてで唯一の人であること。

だから、つまり、わたしが魔法使いになれなかったのは、Mつんに秘密を打ち明けたせいなのだ。あの時打ち明けなければわたしは今頃魔法使いだったかもしれない。

いや、どうだろう。

よくよく本能をさぐると、本当は魔法使いになどなりたくなかったのかもしれない。だから打ち明けたのかもしれない。あるいは6年の終わりに失望するのがいやで予防線をはったのかもしれない。子供の心は狡猾にそれくらいのことはやってのける。

打ち明けなかったら、わたしはどうなっていたのだろう。

ひとつだけいえるのは、打ち明けたのがお墓の隣に住むMつんでよかった、ということだ。他にふさわしい人を思いつかない。いまだに。

 とほ

 

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