寄り道だらけの『歩いて見た世界』。

映画

 

『パタゴニア』の冒頭の、氷河に閉じ込められたブロントサウルスの皮の話はとても印象的だった。

ほんの序章なのに読み終わるのを待てずに感想を書き始めてしまったくらいだ。この本を読むずいぶん前に、ブロントサウルスは実は存在していなかったとする記事を目にした記憶があってその真偽を確認し始めたり、私自身の南米旅の終わりに対峙したラムネ色の氷河の記憶がよみがえったりもした。うまい書き手は読み手からも引き出すのがうまい。引き出されたものの巧拙はともかく。

だから、映画『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』が章立て進行であり、第1章がその草食恐竜の名で始まったのを見て、心の中でにやりとした。出だしとして申し分なく、それだけで入り込むには十分だった。

これは生前のチャトウィンと親交のあったヴェルナー・ヘルツォーク監督による彼の人生と旅の軌跡を追ったドキュメンタリー映画だ。

ヘルツォークがチャトウィンの映画を撮っていると知ったのは2年前。

積ん読解消ソロキャンプ。
読みたい本が山積みだ。芋づるをひっぱる手が止まらない。積ん読もくずしていきたい。 2年ほど前からソロキャンプにはまり...

ヘルツォーク監督のブルース・チャトウィンの映画ができたそうですね。映画も楽しみ。旅の人、チャトウィン。

ドキュメンタリー形式の映画は好んで観る方ではない。けれど関心がある人の話であれば別だ。公開はいつだろうと気にするともなく気にしていたけれど、パンデミックの波に翻弄されて、話題作もミニシネマ系も次々上映が延期されていった。この2年の間に、そういえばあの映画はどうなったんだろう、と海馬の片隅で思い出したことがあったかどうか。

今年になって岩波ホールが閉館すると知り、上映スケジュールを確認したら、最後の上映作品がこの映画だった。

こういう時の感情をうまく表す言葉が見つからない。最後にこの映画を持ってきたことに対する感慨というか、なんだろうな、なんだろう、岩波ホール閉館に対するもろもろの想いと合わせて・・・といいたいところだけど、正直なところこのホールで映画を観た回数は片手で足るほどだし、常連のようなことは語れない。それでも一応長年の映画好きとしては、映画館の閉館の知らせを聞けば常に、それがどこであろうと、一つの時代が終わっていくせつなさは感じる。そのせつなさは、移り行くものに対する郷愁や旅情の近くにある感情のようにも思える。まあ、実はひとことで言えて、感傷ってことなんだけど。

とにかく、それで、そうか、行かなきゃな、と思った。

チャトウィンの映画の話に戻る。

全8章のタイトルは1章に限らずどれも秀逸で、旅をするように、流れるように、神話の道をたどるように、引き込まれたまま、ずっと幸せな気持ちで最後まで観終わった。この手のもの、すなわち旅もしくは言葉あるいはその相互作用が好物な人間にとっては、観ている間中ずっと内側にも外側にもたゆたえる、滋味深い濃密なエキスで満たされたような潤沢な時間だった。

希代の紀行作家の足跡を追いながらも、同時に観ているこちら側の内側のあれやこれやが、旅への郷愁をかきたてるキーワードにいちいちつくつくと刺激されて、およびですか、と浮上してくるものだから、それらをなだめたり慈しんだりするのに忙しい時間でもあった。

うまく感想をかければいいのだけど、そういうわけで、なんだかここちよい映画だった、みたいな間の抜けた感想しか出てきそうにない。

どさくさにまぎれて、その浮上したものを挙げるなら、たとえば、第3章の「歌とソングライン」では、自分が『ソングライン』を読んだ時のことや、もっと前にアボリジニ文化に興味をいだいて行きついた今は亡き保苅実さんのサイトで知ったアルチェリンガすなわちドリームタイム(穂刈さんはドリーミングと呼ばれていた)という概念のこと、第4章の「放浪者という選択」では、放浪という言葉に対する言い知れない憧れとともに長旅中に山ほど出会ったお手軽自称放浪者により生まれた複雑な気持ちのこと、それからなぜかバルガス・リョサの『密林の語り部』のこと、第5章の「世界の果てへの旅」では、長旅でたどり着いた文字通り「Fin del mundo」と標識のあるアルゼンチンの町ウシュアイアのこと、それから旅の終わり、世界の終わりについて、といったふう。

つまり、この映画もチャトウィン本人の著書と同様、遊歩あるいは寄り道を促す類の作品だった。旅を題材にする作品はある程度はどうしてもそんな空気を帯びてしまうのかもしれない。その軸がチャトウィン、それも「歩いて見た世界」だというのならなおさら。

それにしても、ヘルツォークは、私が観たことのある数少ない作品の印象のせいか、ヘビーな映画を撮る、俳優になかなかごムタイな要求をなさる監督という認識でいたので、この映画のトーンは正直意外だった。生前のチャトウィンがヘルツォークと親交が深かったというのは知らなかったけれど、様々なものを共有してきただろう人特有の視点がそこにあった。文章に限らず実物も、人の心をつかむ魅力的な人だったことが充分伝わってきた。晩年のやせこけた姿が映し出されたとしても。

死期が近いことを知ったチャトウィンはヘルツォークにリュックを託す。そのリュックを背負って、ヘルツォークもまた歩く旅をするのだ。パタゴニアで。

私が『ソングライン』を教えてもらったのは、世界一周の後半、南米で出会った旅人からだった。合わせてカルロス・フェンテスの『老いぼれグリンゴ』も勧められたから、今思えば、彼はチャトウィンの『パタゴニア』とセットになった池澤夏樹編集の世界文学全集を読んだのかもしれないな、などと勝手な推測をしている。

その旅では、南米の最後はとんでもない駆け足で、ボリビアで『ソングライン』を人に教えてもらったあとは、アルゼンチン、チリ、とパタゴニアを駆け抜け、エクアドルまで北上して、そのままフランスに飛んだ。そして3ヵ月滞在したパリのブックオフで偶然その本を見つけ、購入して自国に持ち帰った。読んだのは帰国してから。今も手元にある。ユーロの値札を後ろにつけたまま。

そういえば、アルゼンチンでは、パタゴニアに魅せられてずっとその地にいることに決めた人にも出会った。その人は、チリだとかアルゼンチンという国レベルのくくりではなく、パタゴニアという一帯に魅せられたようだった。一瞬の滞在に過ぎない私でも、その気持ちはわかる気がした。

パタゴニアにはいつかまた、もう一度戻るつもりだ。生きていれば。

チャトウィンに戻そう。いや、ずっとチャトウィンの話はしているのだ。自分の中では。これは、チャトウィンというキーワードで私の中から引き出される私の歩いてきた軌跡。現時点の。

そういうわけで、映画の感想のふりをした自己満足記事にすぎないけれど、ほおっておくとさらに寄り道を始めてしまいそうなので(実際これでも幾つか削除した)、このへんで終わることにします。

とほ

P.S. ブロントサウルスの存在について。実はアパトサウルスの亜種であった、として学術的に存在を末梢され、しかし2015年の論文発表で、いややっぱりおったわ、となって学名復活となったようだけど、その後どうなったのでしょう。教えて詳しい人。

 

 

 

崩落は予測できない。その瞬間を見たくて、あたりをつけて一カ所を見つめていても、まったくちがう、遠くのほうが崩れたりする。目をやったときにはもう水面に落下している。それでも最初の崩落が引き金になって段階的にはがれ落ちていく氷片を運よく目が捉えることもある。辛抱強く見ていた箇所がついに、ということもある。スローモーション。時間差で轟く音。どの時点で鳴っているのだろう。なんとも耳に心地いい。細かい気泡のあるラムネ色の軍隊。おそろしくゆっくりと前進する。ダウンジャケットが必要な気温だし、本来なら日差しを歓待したいところだけど、ここでは曇り空のほうがいい。ラムネ色がより濃く映えるから。

拙著それでも地球をまわってる』”カタストロフの音<アルゼンチン>”より

 

コネもなにもない人間が旅の本を商業出版するまでの話。
その1. 売り込む。 2009年から2011年にかけて東南アジアから南米まで西廻りで世界旅行をし、そのエッセイを2014...