昨日書いたスペインからモロッコへの入国についてもう少し。
モロッコ入りは、ちょっとした手違いからタリファからの船になった。
ヨーロッパからモロッコへの入国は、フランスやスペインなどのハブ空港からカサブランカやマラケシュといった大都市に飛ぶ方法と、スペイン南部の港からモロッコ北部の玄関口タンジェに海路で入る方法がある。
アルヘシラスからフェリーでの入国にこだわってしまうのは、私が沢木耕太郎世代であるからかもしれないのだけど、過去に一度使ったこのルートを今回も使おうと、セビージャで取ったバスでアルヘシラスに向かったところ、安宿街に近いタンジェ旧港へのフェリーはタリファから出ているとわかり、あわててバスを乗り換えてタリファに向かったという経緯があった。
それで、バスの乗り換えに時間を取られたことと、アルヘシラスからのルートにへんにロマンを感じていたせいで、あーあ、まちがっちゃったな、という気分が濃厚になっていたのだけど、その後『アルケミスト』を読んで、図らずも同じルートをたどっていたことがわかり、そういうことか、ならよし、と腑に落ちたのだった。なにが、そういうことでならよしなんだかだけど、腑に落ちちゃったのだからしょうがない。
他にも、この旅では、タンジェは単なる通過地点ではなく、行きたいロケ地が密集しているマストの目的地であり、その映画の1つでつきとめたかった主人公たちの宿があったのだけど、モロッコ滞在中はみつけられずにがっかりしていたら、帰国後、タンジェでたまたまみつけて泊まっていた宿こそがその宿であったことが判明した、ということもあった。
このように、旅で、まちがったと思っていたら、最終的には合っていたとわかる展開になったり、求めていたものを知らず知らず手にいれていた、というようなことが、私はよくある。
うっかりさんがなんでも都合よく受け取るの図、と言われればそのとおりでございますな気もするのだけど、それが起きた時やあとでわかった時の小さな鳥肌を楽しんでしまう面もある。
死んでは元も子もないので気をつけつつではあるのだけど、それ以外はまあ何が起きてもよし、のスタンスでいると、偶然が向こうからやってくる機会が増えるような気がする。そうして、これだから旅はやめられない、とさらにずぶずぶと旅沼にはまっていく。
ただ、逆に、何が起きてもよし!だからこい、さあこい、早くこい、と鼻息荒く待ち構える姿勢でいると、いつまでたってもなーも起きない、という運命の神様のいけずぶりを味わうことにもなるのだけど。
でもそんなためつすがめつやっていく感じがまた、五感だめしのようでやめられないのだよなあ。
とほ