こんにちは、とほです。
何度も足を運んでくださっている人はご存知かもしれませんが、私は巡る人である。
旅中に小説の舞台や映画のロケ地を訪れるということは昔からしてきたし、このブログも元々は海外の映画ロケ地巡りレポとして始めました。
漫画やアニメで自分がそれをするようになるとは数年前までは思いもしませんでしたが、ついに手を出したゴールデンカムイ北海道巡りは、おかげさまで当ブログの人気記事になっております。
で。
今回はそのアニメ・漫画関連地巡り第二弾です、と。
作品は『チ。-地球の運動について-』。

チ。これねえ、わたくし、めちゃめちゃはまってしまいまして。
過去の記事では、2巻まで読んだところでアニメ開始を知り、気になりまくりだけれど試験とかやることもりだくさんなので漫画もアニメも年明けまでおあずけにしまーす、と言ってますがどの口でしょうか、懺悔します、意志薄弱なわたくし、その後まもなく漫画全8巻を購入して読んでいましたし、アニメも開始時から毎週膝を揃えて待ち構えてがっぷり見てました。なんなら毎回考察や反応動画巡りもセットで見てました。
移り変わっていくオープニング、何度見たことか。名曲を生み出してくれてありがとうサカナクション。世界観を余す所なく盛り込んでくれてありがとう運営さん。
そんなチに堕ちたわたくしが25話リアルタイム鑑賞後まんまとロスに陥いったタイミングで特別展の開催を知りそれも帰国時期にまだやっていると知れば行かない選択があろうかいやない!
と、あつくるしい前置きはこのくらいにして、今回はそんな東京チ。巡りレポートです。
チ。特別展(日本科学未来館)
ウェブサイト
開館期間:2025年3月14日(金)〜 6月1日(日)
開館時間:9:30-17:00
休館日:基本火曜日
料金:一般2,200円他
行き方:ゆりかもめ「テレコムセンター駅」から徒歩約4分
またはりんかい線「東京テレポート駅」から徒歩約15分
2025年3月14日(金)〜 6月1日(日)。
〜 6月1日。
そう、もう終わっているんです。
終わったあとに記事を挙げるのがなんともとほクオリティですが、気にせず行きましょう(気にしろ)。もしかしたらそのうち全国でも開催されるかもしれないし。
特別展入場口の前に貼られたラファウとフベルトさんの特大幕。これだけですでにエモいですが、その背後の頭上には
動く巨大な地球が。ジオ・コスモスというらしいです。チ。展用というわけじゃなく、日本科学未来館にもともとあるもの。ですが、地動説の物語に入っていく前の演出としてぴったりじゃあございませんか。
入口でもらった地動説研究ノート(簡単バージョンと難しいバージョンあり)を手にいざ入場。
※場内は、映像など一部注意書きがある箇所以外は撮影自由でした。
第1章:地動説との出会い
場内の構成は、物語の流れにそって進んでいくようです。
第一章の登場人物たちがお迎えしてくれました。
この作品の魅力のひとつは、胸にせまる台詞の数々。場内のパネルに印象的に配置された言葉をさっそく撮りまくる私。
ただの文字やん…と左脳がツッコミを入れるも、右脳に支配された手は止まりません。
第1章エリアの目玉、この時代の天体観測機器アストロラーベを体験するコーナー。
満天の星空に向かってアストロラーベを掲げて指差すポーズを取り撮影している人が多かったです。
私はというと、セリフの波は「はううっ」と撮りまくっていたくせ、こういうスポットでは、すんと撮ってすっと去る人。←がしっかり列には並んでいる
月光が差し込む机。ラファウの目を思い出してしまいます。
第2章:地動説の証明
推しがいる第2章にやってきました。推しというか推し群というか。
チが「地」「知」「血」を示すことは、観賞/読了済みの方ならもう言う必要もないと思いますが、このすべての字が第2章エリアに展示されているのをみて、そうか、このオクバデヨレンタ章で明確になったのだったな、とあらためて思うなどしました。
そんな2章エリアの目玉コーナーは「金星の見え方」体験。
なんたって「満ちてろ」「満ちてる」は、全25話の中でも屈指の胸あつ場面。金星が満ちることはない天動説、それに対し、満ちて見えることが地動説の証拠となる。それをこの目で見てやろうではないですか。
がしかしわたくし、列に並んではみたものの、自分の番がきてテーブルをくるりと回して、「なるほど(←わかってない)」とつぶやいて、その場をあとにしました。
理屈は理解できなくても、感動はできるようです。
オクバデヨレンタの祝杯。ここで終わってほしかった。このあとの物語のトンネルといったら。
「なんか」から「絶対」へ。
第3章:地動説の普及
3章エリアに突入。
物語のエモさ、推しのエモさは2章までに軍配なんですが、なんの、この章の展開もまた鳥肌で。
3章では、現実世界の同時代に登場するあるものが鍵になります。
活版印刷。
現実世界に擬態している本作、史実と混同してはいけないんだけれど、伝えられている歴史をうまく組み込んでもおり。登場するまでは予想していなかったのに、登場したとたん、そうか、そういうことか、と。
朝日が描かれるのも、夜の場面が多かった2章までと違うところ。
ところで、壮大な日の出を全身で浴びることを「シュミる」というらしいです(松山◯ンイチさん語録)。
私も、3月、ホーリー祭参加のために行ったヴァラナシのガンジス川のほとりでシュミってきました。←どうでもいい情報
ああ。もう。言葉になりません。古い友人との「再会」。文字は奇跡なんですよ、本当に。
かと思えば、メタ展開が来たり。物語の軌道を作ってきた影の主役とオリジナル主人公の「再会」。そこで突如、私たちの視点は高みに押し上げられ、物語を俯瞰することになる。これを当時20代前半の作者がかいたっていうんですからもう(語彙。
とまあ、持てるエモを主催者の手のひらでころころと転がされながら、物語を再体験していき。
第4章として、現実世界における地動説の過去、現在、未来が紹介されたパネルを眺め。
出口付近の活版印刷を体験できるコーナーも、しっかり並んで待って体験し。
推し、わかりやす。
最後は、「怪獣」をBGMに特大スクリーンに流れるダイジェストシーンを視聴して出口へ、という流れでした。
3月の開催直後は相当な混雑ぶりだったらしいチ。展。
混雑を避けるためもあって平日の午前中を選びましたが、3月ほどじゃないにせよ全然人がいましたし、入口出口目玉スポットはすべて列に並びました。
そんな感じで堪能はしたんですけども、インドから帰国したその足で来ていて機内の睡眠時間30分なのもあって会場出たところで電池が完全に切れ、ちょっと休憩のつもりで座った3階のフリースペースのテーブル席で気づいたら1時間爆睡してました。汗。
でもそれで体力が少し回復したので、もうひとつの目的地に向かうことに。
印刷博物館(TOPPANホールディングス)
ウェブサイト
開館時間:10時〜18時(入場は17時30分まで)
休館日:月曜日/年末年始/展示替え期間
入場料:一般500円(※)
企画展:「黒の芸術 グーテンベルクとドイツ出版印刷文化」
企画展の開催期間:2025年4月26日(土)〜 7月21日(月)
行き方:東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅より徒歩約8分
JR/東京メトロ(有楽町線他)の飯田橋駅より徒歩約13分
(※)サイトには入場料一般500円とありますが、企画展がある時は常設展のみの閲覧はできないということで企画展と合わせて1500円でした。
ここのことは、Xの投稿で知りました。確か、アニメ放映中、活版印刷が登場したタイミングでの印刷博物館の中の人の投稿だったと思う。
そういえばさっき日本科学未来館のサイトでチ。展の開催概要を確認したところ、[協力]にTOPPANホールディングスと印刷博物館の記載がありました。
さて。まずは常設展からいきましょうか。
展示室に向かうまでの円形廊下の壁面にずらりと並べられた古代の壁画や印刷物や道具など。
え、待って、いきなり楽しいんですけど。
こういうミニチュア、すぐ撮っちゃう。
関連記事:ゴールデンカムイ巡り② 函館で鯉登少年と土方歳三を思う。
と、廊下でトラップに引っかかりまくったあと、ようやく展示室にたどり着きました。
1543年 コペルニクス「天球の回転について」出版
天動説から地動説へ
ケプラーやガリレオの名前も。
関連記事:天文学者ケプラーの人間くささ
チ。巡りとして来てますのでそれっぽい写真を選んで乗せましたが、日本の印刷文化を含め見どころ満載でした。
続いて企画展。
企画展は撮影禁止だったので、入口だけ。
最初は常設展だけ見られればと思っていたのですが、企画展「黒の芸術 グーテンベルクとドイツ出版印刷文化」も見られてよかった。
なんたって、グーテンベルクは第3章で登場した活版印刷の生みの親。
ということをここで初めて知ったわたくし、WordPressのブロックエディタ名「グーテンベルク」はそういうことか~、と膝ポンするなどしました。
印刷工房。各種印刷機が置かれていました。日を選べば印刷体験もできるらしい。
出入り口付近に置かれていた活版印刷機。これを見に来たようなものなのに最初気づかず、出る間際に発見。
「地球の運動について」がこの印刷機で刷られて無事出版された世界線を夢想してみたり。
以上、チ。に関係あるなしにかかわらず見応え十分な博物館でした。空調もよく人も少なく、快適にゆっくりじっくり見てまわることができました。
ちなみに活版印刷の博物館ということでは、印刷博物館からさほど遠くないところにこういうところもあったみたい。
市谷の杜 本と活字館
知っていたら合わせて行きかったなあ。
おまけ:推しの話とか
ここからは、完全雑談です。推しの話とか感想とか。身のある話はしてないので、お暇な方だけお進みください。
以下、だである形。
オクジー。
登場時こそ見た目も含めて、え?この人が次の主人公??となっていた彼が、結果的にもっともぶっささる人になった。
だって、物語を書くんですよ。文字も読めなかった彼が。そして、束の間の夢の中とはいえ、明らかにバベルの塔を彷彿とさせる塔の中で世界の真理を求めるようになる。あれだけさっさとこの世界から退場したがっていた彼が、最後には次に託すことを確信し、希望を持って退場していく。
バデーニの変化も、ふたりのバディ感もぶっささっているけど、蓋を開けてみれば、一番刺さったのは私にはオクジーだった。
あと、ピャスト伯。
え?ピャスト伯?
まあ1章から3章まで主要登場人物全員が推しといえば推しではあるんだけど。知に関してはピャスト伯のエピソードも欠かせない。
「不正解は無意味を意味しない」
ピャスト伯が受け継いで一生を捧げたものも、間違いを認める心も、あまりに尊い。
この現実において地動説の証明がなされたのははるか昔のことであり、現代に生きる私は地球が自転し、太陽の周囲を公転する惑星であることをとっくに事実として知っている。けれど、ピャスト伯のそれを古い証明であると一蹴する気持ちはみじんもなく、ただそこに描かれた「知の衝動」に純粋に心がふるえる。
というか、私は今「事実として知っている」と書いたけど、現時点で事実ということになっていることをわかった気になっているだけ。人は皆、それぞれ「知っている」気になっているだけ。地球は平らではないと「普通に知っている」と思い込んでいる私は、フラットアース説を信じる人を気の毒な目で見てしまったりもするけれど、その説が事実じゃないと言い切れるすべを私は持たないのにそれをやってしまっている。向こうは向こうで、地球が丸いと思っているこちらを「あー…」という目で見ているのかもしれないけれど。
どちらの立場だろうと、自分が今常識だと信じていることがいつか覆される可能性はゼロじゃない。
新たな証明ができて覆された時にどういう態度をとるのか。2000年を背負ったピャスト伯のエピソードは、本当に心を打つものだった。ピャスト伯といい、オクジーの「満ちてろ」といい、バデーニの「真理」といい、ヨレンタの「文字は奇跡」といい、9話は格別だった。
私達は何かを知るために生きている。普段は意識して生きてはいない、けれどなんらかのトリガーで、たとえばこのような物語を通して、そう感じる機会をあたえられたとき、魂がふるえる。
この漫画/アニメはみなに刺さるわけではないかもしれない。でも揺さぶられる人は知のDNAが強い、あるいは眠っていたそれがこの作品によって叩き起こされた人なのかもしれない。

