旅情と郷愁。

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旅語り

私は旅が好きというより、旅に出ている時の自分の精神状態が好きなのかもしれない。

それにしても、コロだかコービだかの件で思うように旅に出られなくなってずいぶん立つけれど、SNSを眺めていて、こんなにも旅に出たい人がいたのだな、とあらためて感じている。

少し前にツイッターで、「 #見た人もなにか無言でインドあげる」というハッシュタグ付きのツイートがたくさん回ってきた。私もウハついて幾つか挙げたけれどほっとくと延々挙げてしまいそうだったのでぐぐっと抑えて、まわってくる画像とつぶやきを楽しませていただいた。

時折このハッシュタグは発生するけれど、今回は前回より盛り上がっていたような気がするのは、それだけ私も欲していてそのような目で見たからだろうか。前回流行った時はちょうどインドにいた時で、自分の旅に忙しかったのもあってそこまでじっくりみていなかったかもしれない。今回のこのハッシュタグは間違いでなければインドが発端だったと思うけど、他の国名や地名でもいろいろ出てきていた。「無言で」いうとるのにwみなひとことふたことみこと添えているのがせつなくもおもしろかった。

旅ができないからよけいに強まっている部分はあるだろう。けれど旅情は、行って少し時間がたち、その地で自分が出遭った出来事を思い出す時にこそ強く感じるのかもしれない。

旅情は郷愁に近いのだろうか。

とすると感じるのは過去にだけか。いや、もちろん旅のただなかでも感じる。それに自分が経験した旅じゃないといけないわけじゃないという気もする。未来に感じたっていい。いつか行きたいと思っている未踏の地に想いを馳せる時に感じることもあるのではないか。

そういえば「なつかしい」という形容詞は、日本語にぴったりくる言葉が英語にはないという話題において筆頭で挙げられる語句のように思う。英語でいうならノスタルジーかしらね、でも百パーセントの一致ではないよね、みたいなところにおさまりがち、というのも含めて。

じゃあ日本語話者同士「なつかしい」に対する感覚が一致しているかというと、これまたおおいに疑問なんだけれど。

同じ母語話者同士でも1つの語句に対する認識は厳密には一致していない。微妙な幅がある中でだいたいこんな感じという暗黙の了解のもとに使っている。だから時にあるいはしょっちゅう誤解が生じる。あの人やさしいから、というセリフひとつをとったって、真逆の意味で使われることもよくある。会話であれば、表情とかトーンとかマとか前後とか脈絡を総動員させて判断をくだす。

となると、やいこらAI、きみらが追いつくのはまだまだ先だな!とAIに向かっておしりぺんぺんしたくもなるのだけれど。こういう言葉を吐いてしまう時点で人類の、というか私のあせりがみえるというか、いずれは追いつかれる前提での捨て台詞のようでもある……ってなんの話をしていたのだっけ、旅情の話だよ。遠く離れすぎだ。離れすぎて旅情の話題に郷愁を感じてしまった。

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話を元に戻して。

戻したところで最初のパラグラフが言いたいことだったのですでに終わっていることに気づいた。ので以上です。

早く実際に旅ができると一番いいけれど、どこにいても旅はできるというメンタルの人が一番強いような気もする。本の中にでも。映画の中にでも。日々のほんの小さな気づきにでも。それは旅情とはまた別の話な気もするけれど。

とほ

インドパキスタン国境ワガボーダーの国旗降納セレモニーin 2019。なつかしい密。