テレビを見なくなったことによる弊害。

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旅語り

 

前々回の記事↓でテレビを見なくなって久しいと書いたけれど、そのとおり、テレビのある生活にさようならしてそろそろ10年になる。

インド映画におちた時のこと。
今日の『マツコの知らない世界』でボリウッド映画が紹介されたそうで、テレビがうちからいなくなって久しく、なくてあたりまえ...

 

きっかけは1年半の長旅。まあ旅の出発前にすでに、少しずつテレビはもういいかなという気持ちになっていて、ためしに観る時間を減らしたら意外なほどになんの支障も感じなかった、という下地はあった。それで、帰国後新たに生活を始めた時に、テレビは持たないことにした。

具体的にいうと、元夫が前に使っていたテレビをくれたので、本体自体はあった。でもDVD観賞用にのみ使っていて、テレビに切り替えることがほぼないまま2011年に地上放送が終了し、そのままめでたく屍と化した。

 

やめたからには私なりに情報の取捨選択とか時間の使い方に思うところがあったからだけれど、ただ、今日の話は、みなもやめるべし!という話ではない。逆に見なくなったことで起きた、ある弊害の話をしようかと。

その前にまず、やめたメリットをいえば、静けさに慣れた。テレビをつけっぱなしにしていることによる無自覚な脳内のせわしなさから解放されたのは大きい。

情報収集に関しても特に困ってない。もともと、とりたい情報は自分でとりにいくタイプだし、今はネットなり書籍なり複数の情報源があるわけだし、不自由は感じていない。足りない分は納得するまで複数あたればいいし、知りたいことに関しては対応できていると思う。

と書くとさも、あちしっていつもニュースに関心ある意識高い人、みたいだけれど、いやいやいやいや、頭の中はだいたい映画や本や旅やインドやインドやインドのことで占められており、有益な情報がつまっているとはいいがたい。むしろ虫食いだらけのすっかすかである。

それに、マスメディア側の切り取りによる情報操作に操られにくくなった反面、そういう外部からもたらされる偏りではなく、自身の嗜好による偏りはどうしてもある。これは認める。ただこれは弊害かというと、どっちをとるかの違いなんだろう、とは思う。

あと、時間の使い方に関しては、テレビに費やす時間はたしかにゼロになったものの、SNSという大敵の台頭によりまたたくまにその時間が埋められてしまっただけ、という黒い噂も脳内でささやかれている。

‥‥‥メリットの話をしていたはずなのに、デメリット色が濃くなってしまっているのはなんでだろうか。まあいい。よくないがまあいい。

ここからもともと書きたかった弊害の話に戻す。

当然といえば当然であるが、有名人の顔と名前を覚えなくなった。

10年前からアップデートされていない。私が見てないことを知っている友人と会話していてテレビの話題になると、「XXがさ‥‥‥あ、XX知ってる?」と確認されるようになった。年一回の帰省は、テレビの中の見知った顔がまだ存外活躍していることを確認する場になっている。とともに知らない顔も着実に増えているので、その人がどの方面で活躍している人なのか、妹のレクチャーを受けたりする。

ただ10年って長いようで短いというか、短いようで長いというか、全然知らなくなるかというとそうでもなく、意外に知ってる芸能人は残っている。お笑い芸人は意外と知ってる。見なくなる前はお笑い好きだったから、多分一番顔と名前が一致しているんじゃないかな。それでも、旬な人やグループとなると途端に浦島状態になる。

お手上げなのは、アイドルや若手俳優。邦画やドラマをほぼ観ないために、全敗に近い。まあこれはテレビを見てる見てないの話じゃなく、単に世代や興味のせいもあるのかもしれないけれど。でも、テレビをつけている生活だったら、CMでの起用などもあるだろうからまだ覚えてはいただろう。

現在、私がそれらの人を知る機会があるとしたら、ソースはだいたいTwitterとかYoutube。それでもだいたい通り過ぎていく中、なんらかの形で自分の生活にからんできて初めて目がいくという感じ。

2年前、モロッコの女子旅先として人気のフォトジェニックな青一面の町シャウエンで、日本語を勉強しているという少年に出会った。正確には、歩いていたら声をかけてきた少年がいて、膝に広げられたノートをみると、鉛筆で書かれた日本語の文章の書き取りが見えた。わたしが日本人だとわかって声をかけてきたのだろう。

日本語を書けはするもののまだ話せるほどではないようで、片言の英語で、ノートに書いた文章について一生懸命説明してくれた。そのあとで、自分には日本語の名前もあるんだ、と言った。顔にくっきりと「なんていう名前かきいてくれ」と書いてあったので、きいた。彼は名乗った。ヤマザキケント、と。

オーケー、と私は言った。そうして勉強ノートを指し、グッジョブ、と言って去った。

名乗ったあとの少年の顔には、明らかに「どや」という表情がうかんでいた。そこには、日本語の名前を持っていること、それを言えたという点での「どや」以上の何かが含まれているような気はしたが、名を名乗られても、わーすごいね!みたいな反応はでてこないし、オーケー、と受け止めるだけの微妙な反応になった。

さらには、立ち去りながら、きっと日本人の旅人から教えてもらったんだろうな、と勝手に推測し、でもヤマザキは日本人らしい名前だけど、ケントはどうなんだろう、いやかっこいいけどさあ、どうせならもっと和風な名前を教えてあげればよかったのに、という架空の旅人にだめだしまでしていた。

旅先のなんてことないひとこまだ。でも、そんな感じで少年の表情と自分の何様思考がアンカリングのような役目を果たしたのか、名前もしっかりフルネームで覚えており、帰国後数ヶ月たって、なにかのyoutube動画で同名の俳優さんをお見かけした時に、ああここでも浦島が発動していたのだな、と気づいたしだい。

少年に名前を教えた旅人は、きっと若い女の子で、その俳優さんが好きで、その名前を言えば日本人は反応するよ、と言ったのかもしれない。まあでもこれも勝手な妄想であり、少年の日本語勉強意欲はことのほか強く、自らYoutubeか何かから見つけてきて、ヤマザキケントと名乗ることにしたのかもしれない。

今はどこでだって異国の情報は得られる。実際その後マラケシュでは、日本語をYoutubeのみで学んだという日本語ぺらぺらなモロッコ人にも出会った。少年が自分で見つけ出したのだったら、それこそ、わーすごいね!だったのに。微妙な態度で去ってごめんね、モロッコのヤマザキケント君。まあこれも勝手な妄想であり、彼の名前の由来はなぞのままである。

テレビを見なくなった弊害というより単に旅先で反応に失敗した人の話になったところで、おまけにテレビやめたけど結局Youtube見まくってんじゃねえか疑惑も高まったところで、現場からは以上です。

とほ