パンはこねなくてもいい

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問わず語り

 

パンはこねなくてもいい、と知った時はちょっとした驚きだった。

いやパンはこねるものである。基本は。こねたほうが窯伸びのよいパンになるし、食感もふわふわできめこまやかだ。だけど、こねなくてもパンという名のものがちゃんとできあがる。どちらかというともちっとしているけれど、それが好きな人間もいる。私のように。

今ではこねないパンのレシピはネットの海を探せばいくらでもみつかる。前からあったのかもしれないけれど、パン作りに手を出した頃は、こねなくてもいいなんて思ってもいないから探しもしなかった。そして、私のパン作りは挫折した。

こねなくてもいいという話を聞いたのは、10年前の長旅中にとある国で骨休めをしていた時、3週間ほど暮らしたアパートのシェアメイトから。ある日部屋に帰るとよいにおいがしていて、彼女がパンを焼いていた。タイミングよく焼き上がったのでご相伴にあずかることになった。焼きたての香ばしい全粒粉っぽい褐色のパンにバターやジャムをたっぷり塗って食べた。

スーパーで売られている全部の材料をあらかじめ合わせた粉を使ったのだという。しかもこねていないという。「パンはこねなくてもいいのよ」と彼女は言った。こねたほうがきめ細やかになるけど、こねなくても十分おいしいパンが作れると。あとでスーパーで確認すると、たしかにパンの材料粉(なんていうの?)が複数種類、お手頃価格で売られていた。いいなあ、これなら私でも作れそうだから買って帰りたい、と思ったけれど、1年以上の長旅中のちょうど中間地点であったし、あきらめた。パンはこねなくてもいい、ということだけ記憶して。

私が初めてパン作りに手を出したのは20年以上前。そして挫折したのだけど、それは、どこまでこねていいかわからない、というか、こねるのめんどくせええ、という、そもそも君はパン作りに手を出すな、という初期段階での挫折であった。

そこをスキップできて一次発酵までやってくれるホームベーカリーはもちろん買った。けれど、私が買ったものが不良品だったのか、どうせなら餅つき機能がついているものがいい!と欲張ったのがいけなかったのか、鼻の長いアニマル印のブランドを私は信用しているけれど、一次発酵を待っている間にどうしても生地が下のなぞの空間にだれ~っと漏れる、ということが起きて、脳内星一徹がちゃぶ台をひっくり返してしまった。

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それからパン作りは封印していたのだけど、長旅後に再び、こりもせず手を出した。お米も炊飯器なしで炊くようになっていたので、ホームベーカリーも当然買う気はなかった。でも怖いものはない。だって、パンはこねなくてもいいのだから!

ちなみにさっき某ネットショップをちょっと探したら全材料入りパン粉は売られていた。昔からあったのかもしれないけれど、少なくとも何種類もずらりとスーパーに、ということは日本ではない。富澤商店などでも粉は単体の強力粉だ。全部入りはないよね?

でも、その頃には、こねないパンで調べるとそれなりにネットでレシピがヒットするようになっていたし、全部入り材料がなくても調合くらいはできる。それで、こねないパンを作り始めた。のに。

今ではこねている。結局。

もちろんこねないパンもつくる。気泡の大きめなもちっとしたパンも好きで気分によって作る。今日はちょっとめんどくさいからこねないパンにしよう、という日もある。でもそんな日でも気づくとこねている。こねないパンは水分量が多めなので手にくっつきやすいのだけど、少しでもこねられそうなら、すきあらばこねている。今ではこねる時間が至福ですらある。あれねえ、気持ちいいんだ。知らなかったよ。今では、こね終了のタイミングは手の感覚でわかる。体をかけてこねるので、ちょっとした運動になるのもよい。

でもそれもこれも、一旦「こねなくてもいい」というコペルニクス的転回があったからだ。あ、こねなくてもいいんだ、と思ったことで、パン作りのハードルがぐっと低くなり、気づくと勝手に「こね」道を進み始めていた。

そうして今日も、目下のお気に入りである黒糖くるみパンをこねて焼いた。バゲットづくりにも手を出している。どうやったらきれいなクープが開くかが最近の課題である。

とほ