まだ続く故郷下関ネタ。
はじまり
思えば2017年の長期帰省時は、私がヒンドゥ神話を持ち帰ったり、妹が古事記にはまっていたり、トライアングルの旅に出たりと、古代とか神話とか神社とか何かそのようなムードに満ちていた。
関心は次の事象を呼び込む。だから自分ではおもしろい偶然だと思っていたけれど、朝目覚めてスマホを手に取った時にそれが目に飛び込んできたのは、単に目が引っ張られたにすぎないのかもしれない。
記事にしようと思い立った今、なんできちんと記録しておかなかったのか悔やまれるけれど、スマホを開いたのが発端だったのは確かに覚えている。最初は台風だか大雨だかの気象情報だった。そこからニュースアプリを開いて関連リンクを踏んだのか、自分で検索したのだったか、いつものADHD脳発動で発想が飛躍したのか、いつのまにかペトログラフという石に行き着いていた。それが下関にあるという。彦島に。
彦島とは
まず彦島について。下関市民にとっては普通に馴染みがある町名だし、中高一貫で通っていた女子校は市内各地から生徒が通っており、クラスに数人は彦島からのクラスメイトがいた。とはいえ町名には馴染みがあるものの、そういえば彦島ってどこだっけ、私行ったことないかもしれない、と思った。
今もかもしれないけれど昔はよく、ヒコットランドなんてちょっとした揶揄をこめて呼ばれるなどしていた。あるいは住んでいる人が自虐と地元愛の両方をこめて発していたのかもしれない。ただそう言われて納得するほどには僻地めいているという認識はあった。
でも「行ったことない」は間違いだったことに地図を調べてすぐ気づく。だって彦島は九州に渡る山陽本線の通過点。何度も通ってきた場所。下関を離れて30年近くたっているとはいえ、無知っておそろしい汗。ただ、やはり、なんらかの用があって自ら足を踏み入れた記憶はなかった。
さらに、あらためて地形を見た時に、僻地であるという認識はあったけれど(しつこい)、ヒコットランドwと笑っていたけれど、あれ揶揄じゃなかったんだ、彦島って本当に島なんだ、という気づきを得る(無知の上塗り)。
ともかく。その彦島にある彦島八幡宮に、ペトログラフなる石が祀ってあるという。彦島八幡宮の存在もこの時初めて知ったし、ペトログラフのことと合わせて母と妹に話すと、そのへんののりはいいというかドライブフットワークの軽い人達なので、一緒に車で行ってくれることになった。
ペトログラフとは
ちなみにWikipediaによると、岩に刻まれた彫刻のことをペトログリフ (Petroglyph)、岩に描かれた絵画のことをペトログラフ (Petrograph)といい、日本では混同されることも多いけれど定義としては違うものらしい。
ただ、この記事では「ペトログラフ」で統一するけれど、解読された文字の説明などを見る限り、彦島にあるそれは上記定義の「ペトログリフ」でいいんじゃないのかしらとも思う。実際、神社公式サイトでもペトログラフ(ペトログリフ)と併記されている。
彦島八幡宮に奉安されているのは”シュメール文字解読の古代文字刻銘の神霊石”。
さらに引用すると、彦島・杉田遺跡の岩から「合計30個のペトログラフが検出され、それらの文字は、セム語系(シュメール、バビロニア文字)と北方ツングスのエニセイ文字系のものが入り混じったものである事が指摘された」という。
つまりそれらはシュメール文字であると。つまりそれはどういうことなのか。人類のルーツを示唆しているのか、シュメールが先か古代日本が先かという話なのか・・・
そもそもなぜスマホでペトログラフに目が引っ張られたかといえば、かくいう私も古代文明だとか人類の起源だとか大陸移動だとか、あれとかそれとか、もっとあれとかそれとか(何)に興味があるからなんだけれども、彦島の場所も知らなかったわたくしに古代文明の謎について説得力のある説明などできるはずもないので、この先気になる方は各自調べてください(逃げ)。
とっかかりとしては彦島八幡宮の情報は堅実だと思います。とだけ言いおいて、あ、でも私は誠実なページから奇抜なページまでひととおりまわってますけどねえへへ、とも正直に告白して、クエストへ。
クエスト開始
■彦島八幡宮
車を降り、境内に向かって歩き始めてすぐに妹が「あ!茅の輪くぐりがある!」と声をあげた。「なに?茅の輪くぐりって」。どこまでも無知な姉。
毎年6月末に夏越の大祓(なごしのおおはらえ)として茅の輪をくぐることで、心身を祓い清め、無病息災を願うんだそう。というわけで横に書いてある作法を確認しながら3回くぐる。単純なのでこれだけで今日は運が良い気がしてくる。
■境内のペトログラフ
お参りをしたあと、いよいよ敷地内にあるペトログラフへ。
たびたび公式サイトからの引用で恐縮だけど、境内にあるぺトログラフのある神霊石は境内で発見されたのではなく、昭和57年5月に運び込まれたものだそう。三菱重工業(株)下関造船所のドックと巌流島の海底を「泳ぐ岩」がありそれを引き上げたところ・・・という由来の続きは公式サイトへどうぞ。
ただ、境内に安置されるまでの「由来」については、数日後偶然にも三菱重工ゆかりの人から実際に聞いたので、本当にそういうことはあるのかもしれない。
■もうひとつのペトログラフ「彦島杉田岩刻画」。
杉田丘陵の頂上にある、平成3年に下関市指定文化財に指定されたという「彦島杉田岩刻画」。
丘陵の頂上、頂上というか実際にはなだらかな丘の上にあった。行き方がわからなかったので、八幡宮の宮司さんに丁寧に教えてもらい、もらったもののわからず(汗)、ついには若い宮司さんに車で誘導してもらった(汗)。
団地の横をぴゅいっとあがったところに緑の平地があり、その奥にあった(語彙)。
きちんとした写真と場所の説明をしてらっしゃる方のブログを見つけたので、下にはっておきます。自身の無能はネットで補うと。やはり地元の方の説明は心強い。
さらに詳しく由来などが書かれたサイトもはっておきます。
杉田丘陵からは、眼下に宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦場として有名な巌流島が見渡せた。巌流島もさあ・・・歴史的に由緒ある場所なのにへぼい像がちろっと立ってるだけで、下関さあ、観光資源なにげに豊富な市なのに不器用というか、ああもうなんだか愛しいなあ、とこじれ郷土愛を抱くなどしている。・・・今回の記事、下関の人にめっちゃ怒られそうな気満々だけど先へ行く。
メイズにはまる
とはいえ、ペトログラフ探検はここでおしまい。けれど、ペトログラフについて検索している時にもう一つ知ったことがあった。それは彦島7神社めぐり。
貴布祢神社 御祭神:高龗神
恵比須神社 御祭神:事代主神
金刀比羅宮 御祭神:大物主之神
塩釜神社 御祭神:塩土神
田の首八幡宮 御祭神:仲哀天皇・応神天皇・神功皇后
金刀比羅宮 御祭神:大物主之神
知ったからには、神社好きの妹(兼ドライバー)、好奇心旺盛な母もいることだし、めぐらない手はない。彦島八幡宮でマップをもらい、クエストもといお参り開始。ちなみに私、御朱印は集めてない人です。ただお参りしたかっただけ。
全部の神社を撮ってないのだけど、ただ見て分かる通り、階段が予想以上に多く、高齢の母は最初の1~2社でリタイア。私と妹で息切れしながら階段をのぼりおりを繰り返してお参りした。
厳密にはお参りする順序があるのかもしれないけれど、行きやすい順序で巡った。だって彦島、土地勘のある母でさえも見つけられないほどなかなかのメイズっぷり。何度も路地に迷い込んだり、行き止まりにあたるなどした。
一番迷ったのが塩釜神社。地図見てもまったくわからないので、普通の主婦なのに謎に顔が広い母が下関の歴史や文化に詳しい方に電話をしお知恵を拝借することに。その人の指示に従いながらすすむと、住宅街の中の小さな公園のような敷地内にひっそりとあった。ここが一番クエスト感あったな。
最後にお参りしたのが恵比寿神社だった。
お参りを終えた時のことはとてもよく覚えている。
この日は午後から天気が崩れるとかで、途中から雲が多くなっていたのだけど、からっと晴れて、さああっと気持ち良い天気雨が降ってきた。そうして車に戻る頃にやんだ。天気が崩れたのは彦島を出たあとだった。単純なので、絶対あれ祝福の雨だよね、と妹と話すなどした。
7神社巡りのあとは、せっかくなので地図に書いてあった彦島十二苗祖が祀ってある場所にも行ってみた。河野通次を始めとする、彦島開拓の祖となった十二名の墳墓がある場所。
こうして彦島クエストを終えたのだけど、ペトログラフ、7神社巡り、そのメイズっぷり。知って身近になるよりは、ふしぎな印象が強まった。彦島の名の由来も「日子の島」と呼ぶ人がいたり、神代の昔の「引島」説があったり、おもしろいぞヒコットランド。
おわり
とまあいい感じで終わりたかったですけど、彦島から抜け出たあと、さすがに疲れと迷路っぷりのせいかちょっとした険悪なムードが漂っていた母娘3人(苦笑)。おなかすいたのもあるのかも、と、にしんそばの店に立ち寄ることにした。食べていると父から電話。寂しかったらしい。
とほ
p.s.
今、地図見ながら思い出した。私彦島行ったことあったわ。南風泊市場でふぐの袋せりを見に行ったことあった。それも真夜中に取材で。大学卒業後戻っていたすごく短い間ライターをしていたことがあって、地元の記事を取材して書かせてもらったりしてたんだった。