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そのおじさんの泣き方は見事にみっともなかった。
何があったというのだろう。
道端で。
顔も覆わず。
過ぎ行く人々の間に力なく突っ立ったまま。
おいおい泣いていた。
ずるずる泣いていた。
ぼうぼう泣いていた。
べえべえ泣いていた。
おじさんはいつのまにかヤギになっていた。
べええええええ。
べええええええ。
めえ、べ、
めええええええ。
自分で気づいていないのだろうか?
おじさん。
思わず声をかけてしまう。
ヤギになっていますよ。
ヤギは一瞬我に返り、いけねえ、という顔をしたが、次の瞬間には、いいんだもうどうでも、という虚ろな目に戻った。
めええええええ。
めええええええ。
めええええええ。
相変わらず目は見開いたまま、涙も鼻水も垂れ流し状態ではあったけれど、泣き声が一つに統一されたせいか、もうみっともなくは聞こえなかった。
どこか、澄んでいた。
それは、真に、真に、悲しい叫びだった。
めええええええ。
めええええええ。
めええええええ。
だめだよう。
そんな泣き方をしては。
私はいたたまれなくなって、ヤギの頭をそっとなでた。
なでて、なでて、でもヤギがあんまり泣き続けるので困ってしまって、立ち去ろうとした。
おじょうさん。
呼びとめられた。
お願いがあるんだけど聞いてくれんかね。
私は突っ立ったまま、おじさんだったヤギの顔を見つめた。
そこのかばんに入っている手紙を全部、私に食べさせてくれ。
ヤギの傍らには、くたびれた革のかばんが落ちていた。
私は黙ってファスナーを開けた。
ふぁさ。
中は手紙でいっぱいだった。
黄ばんだ手紙。
真新しい手紙。
未開封の手紙。
くしゃくしゃになった手紙。
びりびりの紙片になった手紙。
私は言われた通り、それらを無造作につかみ出して、ヤギに食べさせ始めた。
ヤギも泣くのをやめて食べ始めた。
涙だけは流し続けていたけれど、もぐもぐと、静かに悲しみを咀嚼し飲み下してゆく。
私ももくもくと食べさせ続ける。
この手紙には何が書かれてあるのだろう。
本当のところ、知りたくてしかたがなかった。
けれど黙っているしかなかった。
だって、私に知る権利は、ない。
もくもくもくもく。
もぐもぐもぐもぐ。
もくもくもくもく。
もぐもぐもぐもぐ。
ふと、もうヤギが涙を流していないのに気づいた。
流していないどころか、目が悲しみを語っていない。
微笑のようなものさえ浮かんでいる。
それはどうみても安らかな表情だった。
忘れてしまったのだろうか。
悲しみを。
今食べている手紙の内容を。
自分がかつておじさんだったことを。
ヤギは穏やかな顔をして咀嚼し続けている。
私の左手はかばんの中を探り、とうとう空になったのを知る。
今右手に持っているものが最後の一枚だ。
それまで自動的に差し出していた手が止まった。
ヤギは、最後から二番目の手紙をゆっくりと飲み下し、それを早く差し出せと目で合図する。
あ、あの、
ヤギは透明な目で私を見た。
この手紙、いただいてもいいですか。
いいよ。
ヤギはあっさり言った。
でも読まない方がいいと思うけどね。
私、知りたいんです。
いろいろなことが知りたかった。
今はもう安らかになったヤギは、去って行く女の子を見つめながら、
悲しみがあの子のものになりませんように
と、心の底から、真に、真に、祈った。
fin.
本日も大昔に書いた超短編再録です。