地図を広げて眺めるという行為。

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旅語り

インド映画に3人の独身男がスペインを旅する『Zindagi Na Milegi Dobara (『人生は一度だけ』 ←『人生は二度とない』の邦題で2022年10月28日一般公開)』という映画がある。主演は現在本邦劇場公開中の『Warウォー!!』にも出演しているリティク・ローシャン。

内容はここでは割愛するとして、この映画で地図を広げるシーンが何度か出てくる。まあ最近観た他のロードムービーでも出てきたのだけど。要は、ロードムービーではありふれた、地図を広げ位置を確認するという(だけの)行為に、言いしれないわくわくを覚える。

もちろん自分でするのも。

ただ知らない地の、とくに海外の町中で地図を確認する行為は、治安的にあまりよろしくはない。「私は旅行者です、この地に不案内な者です」とアピールする行為でもあるからだ。利便性からいっても大判の地図を広げるということは外ではあまりしない。

以前は、海外では普通に紙の分厚いガイドブックを利用していた。でも治安が心配な国では極力頭に入れておいて出す頻度をへらすとか、影でさっと確認して何もなかったような顔でさっさっと歩きはじめるとか、コピーを小さく手にたたんで持つとか、最悪紙に手描きするなどしていた。

今では、だんだん自分で紙の地図を広げる行為は年を追うごとに減ってきていて、どうしても過去の旅と今の旅という比較の話をするとデジタルかアナログかという話になっていやなんだけどしょうがない、利用できるのであればやっぱりついスマホに頼ることも多くなっている。google mapやダウンロードして使えるmaps.meといった地図アプリの恩恵は計り知れない。

でもな、ちっこいんだ。スマホ画面は。

大判の地図を広げ、位置を確認するという行為にはロマンがある。

今も自宅では一番目にとまる場所に世界地図をはっている。トイレにもインドの地図がある。大きな地図はいい。壁に飾るものとしては絵画より地図のほうが何倍もうっとりできる。意味もなくずっと眺めていられる。いつのまにか頭の中で旅が始まる。今まで気にならなかった地がふいに光り始める。ルートができあがっていく。

地図に対するこの高揚は一体なんなのだろう。

とほ